さて、此処はどこの国でしょう?
日本を離れ で○○時間・・・
なんて ウソでーす
日本語の看板が遠くに写ってます~
でも、一見それ風な感じしませんか?
京急線「金沢八景」駅から「平潟湾」に沿って歩くほどに
だんだん潮の香が強くなってきます♪
渡る橋の名は「平潟橋」
その下を流れ 平潟湾に注ぎ込む川は
「侍従川」
この川付近にも、あの照手姫にまつわる伝説が残されています。
昔 常陸国での戦に破れた小栗判官の侍女 照手姫は、藤沢から
朝比奈峠を越え六浦湾に出ようとするところで追手に捕らえられ、
侍従川に投げ込まれるなど 何度か危難に遭いますが、その度に
日頃信仰する観世音菩薩の功徳により 奇跡的に一命をつなぎ、
その後 無事に小栗判官と再会を果たしたという話です。
「侍従川」の名は、照手姫の乳母の名に因むといわれます。
その先の白い橋を渡れば、もう「野島」に到着です。
「夕照橋」
人家の路地の奥に、お寺が一座。
「野島山 染王(ぜんのう)寺」
古儀真言宗のお寺です。
創立: 年代不詳
本尊: 聖観世音菩薩
1382(永徳2)年 比丘尼了意が、野島山に小庵を結んだのに始まる
と伝えられます。 『新編武蔵風土記』(1828年)に、「善應寺」として
野島山の山頂に所在したことが記されているそうです。
山門前の一隅に六地蔵と、庚申塔(寛文・元禄の銘)が並んでいました。
境内に、「筆子塚」
左右4基のうち2基は善應寺の、2基は正覚院の住職の名。
いずれにも「施主 手習子共」の文字が刻まれてあります。
このお寺が往時 寺子屋のような学問推進の場であり
師であった住職の為に手習子達により建立されたとか。
1688(元禄元)年~1731(享保16)年の造立のようです。
「野島公園」
野島山を中心に整備された1周 3、40分ほどの海浜公園です。
「掩体壕(えんたいごう)」
隣接する横須賀市夏島町に嘗てあった海軍航空隊基地の
戦闘機を空爆から守るための施設として建設されました。
標高約55mの野島山を東西に貫通する長さ約260mのトンネルで
両側にある出入口部分は幅約20m 高さ約7mのコンクリート造り、
中央部分は 幅約10m 高さ約8mの素掘りになっているそうです。
(説明パネルより)
同時期に掘削されていた「夏島掩体壕」と合わせて、海軍の
小型機約100機を格納する計画でしたが、終戦になり
実際には使用されることはなかったということです。
このあと・・
山頂の展望台へ行ってみようかと思ったのですが、
園内に人影がほとんどないため、淋しくなって・・・断念 (笑)
さて、どうしようかなぁ~
あ、そうだ
以前 改修中だった施設は、その後どうなったかな?
ちょっと寄ってみることにしましょう☆
空もきれいですね~!
体調の方はいかがですか?
まだまだ暑いけれどこの青空を見ると、ぼちぼち遠出をしたい気になりますね♪
青空はほとに気持ちがいいんですが、湿疹のあと暑さと汗に消極的になっています。
(でも、薬はほとんど不要になりホットしています)
嫌疑をかけられたウルシ類、大きなヌルデの木のあるところは反対側の歩道を歩き、道端のヌルデの若木を見ては「オット」と日傘を傾けたり…(笑)
実はベランダの小さな鉢植え(2年前に買ってきたもの)のハゼノキが…。
医師に「それはもうやめましょう」と言い渡されてしまいました。
かわいそうに端っこに追いやられて(追いやったのはダレ?)
長々と失礼しました。
kikyoさん、がんばって!
面の皮が厚手にできている‘猫’は、幸いこれまでカブれたことはないのですが
加齢とともに体質もどう変化するか分からないですからねぇ・・用心に
こしたことはないですね。気をつけよっと!