シリーズ(?)4回目の今回は、嘗て横須賀海軍の発展とともに開け
今もその面影が残る逸見(へみ)~汐入(しおいり)界隈を歩いてみました。
江戸時代に 江戸から三浦半島に入る街道(浦賀道)が
通っていました。今もその雰囲気が感じられますね。
道沿いに、味のある建物が並んでいました。
「鹿居商店」
大正時代の建物だそうです。塩・酒などのお店。
以前 一階のお店を拝見したとき、壁に
レトロなポスターが貼られてありました。
二階部分
出し桁造りになっています。戸袋は一枚板ですね。
「逸見館」
明治中期の創業当時は旅籠屋。大正時代は行商人の
常宿として繁盛したそうです。震災で倒壊しましたが
古材を使って再建、旅館として営業を始めました。
戦時中は、応召の兵隊さん達が肉親と入隊前の
最後の夜を過ごした宿だったそうです。
板壁は、単に並べて打ち付けたのではなく
柱に嵌め込んだような細工になっています。
(小さな画像で分かりにくいかな?)
元「かたばみ写真館」
現在は個人の住宅のようです。
3つ並んだ明り取り窓もいい感じですね!
京急線の線路の反対側に、もう1軒
出し桁造りのお宅を見つけました。
二階勾欄の繊細な装飾がステキです。
駅前の商店街に看板建築のお店がありました。
「ゴンドラ」
現在は洋品店ですが、以前は海軍さん相手の
カフェーだったとのことです。ハイカラな店名は
その名残でしょうか。細部まで凝った造りですね。
浦賀道沿いに、何とも良い雰囲気の神社がありました。
「鹿島神社」
創建は1410(応永17)年。ご祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)。
古くは別の場所にありましたが1891(明治24)年に焼失。
そこが海軍用地とされたため、此処へ移されました。
家康に仕えた英国人三浦按針(ウィリアム・アダムス)の
子ジョセフによって再建されたと言われています。
車道の傍らにひっそりと石碑が建っていました。
「震災慰霊碑」
関東大震災で亡くなったこの地区の人たちの慰霊碑です。
刻まれた犠牲者名の中に、いくつかの朝鮮名がありました。
震災当時、朝鮮人に関するさまざまなデマが流され、そのために
朝鮮人が迫害を受けた事件が各地であったと聞いていますが
此処では民族の別なくきちんと慰霊がなされています。
「それが我々の誇りです」と地元の方がおっしゃるように
この碑が、ここ逸見の素晴らしさを物語っていますよね。
このあと、JR横須賀駅に向かって もう少し歩いてみましょう。
ぜったい見逃すと思われるところをちゃんと見て撮っている…関係者はうれしいでしょうね。
さっぱりわからないわたしにも、「ふーん、なるほど。すごい!」などと関心を持たせてくれます。
関東大震災の慰霊碑に朝鮮の方たちの名も丁寧に刻まれているのは心温まりますね。
鹿島神宮のゲギョも初めて見ました。このゲギョに気づく方も珍しいと思います。
イロイロと、よく注意深く見ていますね。ビックリ!
「ふーん、なるほど。すごい!」は、まさに私のセリフ(笑)
独りでただ歩いただけでは、きっと気付かなかったことでしょう。
いろいろな物に興味を持つと、歩く楽しみが増しますよね!
osamuさんにお借りした建築関係の本を夜な夜な眺めながら、
奥が深いな~と感嘆しています。とても覚えられませんけど・・
もう暫くお貸しくださいね!