西叶神社社殿の見事な彫刻は安房国千倉の彫刻師後藤利兵衛によるものだそうで、
当時の浦賀の繁栄を髣髴とさせる大変豪華な作品はぜひ後世に残したいものです。
実際に見ると、なかなか迫力がありますよ!
社殿向拝の格天井には28の彫刻
社殿両横の紅梁上で屋根を支える力持ちの力士さん
また以前、ここの社務所にある漆喰の鏝絵が素晴らしいと書きましたが、今回
さらに別の鏝絵が残されている寺社なども訪ねてみましたので、後日まとめて
ご紹介したいと思います。こちらも必見ですよ!(と、ちゃっかり宣伝?)
西叶神社の近く、浦賀湾を見下ろす高台にある曹洞宗のお寺 延命山東福寺は
案内板によると江戸幕府より二石の御朱印地を賜り、歴代の浦賀奉行も就任時には
必ず参拝に訪れたという格式のあるお寺です。欄間に彩色の鏝絵が残されています。
また、江戸.中期を代表する画家 酒井抱一が描いた大亀の絵馬があるそうです。
これは案内板にあった写真。
さらに進むと、1891年(明治24)開園という市内最古の愛宕山公園があります。
右から「浦賀園」と読める地味な石のプレートが時代を感じさせますね。
階段を上っていくと「咸臨丸出航の碑」などがあり、海を見下ろす眺望が抜群です。
公園を下りて向かったのは通称「陸軍桟橋」。江戸時代、船改めを行った
「船番所」跡です。開放的なウッドデッキに座ってお弁当を食べたくなります。
片隅に、戦後外地からの引揚者56万人を受け入れたことを記す記念碑が
あります。華南から引揚げて来た船内でコレラが大発生、故国を目前に
して亡くなった人々も多くいたことが記されてあります。
桟橋の近くに、浦賀湾を跨いで対岸の東浦賀まで乗せてくれる
渡し船の船着場があります。大人1人150円也のミニ船旅です。
船から見る浦賀湾です。潮風がとても快い~!
次回は、東浦賀の様子をご紹介しますね。
また機会があれば、ということにしましょう(笑)
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いいのかしら?
京都の学校に行っていたことがあります。
なんと、毎日智積院の前を通っていたんですよ。
ただ、それだけですが、(いつか川口で薪能を見たときにもここの名前が出てきました。)
知らぬが仏で、見るべきところも見ないでしまったことが残念です。
鞍馬寺は有名なので、彫刻も紹介されているかもしれませんね。
浦賀から千葉、伊豆、京都へと、一つのことからいろいろと関心が広がるのはおもしろいですね。
何せ素人なもので、書き方のおかしな所があるかもしれません。
悪しからず・・
伊豆の長八館にも、機会があれば行ってみたいものです。
紅梁と言っても知らない者も多い!参考にして下さい。でもかなり専門的です。
神社木造部位名称
http://web1.kcn.jp/sendo/shajitishiki/syajiyougo.htm
木彫刻
http://members3.jcom.home.ne.jp/nyosui/
紅梁
http://www2.tcn.ne.jp/~boss/syaji/kouryou.htm
http://www2.tcn.ne.jp/~boss/syaji/sotomawari.htm
海老紅梁
http://www.kamidana.jp/pop/pop04.html
伊豆の長八館
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/chouhachi_museum.html
彫刻だそうです。思わぬ広がりにちょっとびっくりです。
続きの「東浦賀」を何とか1回分に纏めようと少ない脳味噌を絞ってます。
「鏝絵」をご紹介できるのはいつ?・・スミマセン、暫時お待ちを!
88歳までその道一筋だったということなので、きっと地元にはいろいろなところに作品があるのでしょうから、夜猫子さんがおっしゃるように、若いときの作品と円熟期のものを比べてみるのはおもしろいでしょうね。
芸術家には長命な方が多いようですね。
彫刻一筋に生きた名人でお弟子さんも大勢いたそうです。
西叶神社の彫刻は28歳の時の作品と聞きました。若い気迫が漲って
いる作品なんですね。安房地区の寺社や神輿などにも作品が残っている
そうなので、歳を重ねた円熟の彫刻も機会があれば見てみたいものです。
こんなすばらしい彫刻を残した彫刻師、どんな方だったのか伝記でもあれば読んでみたくなります。
「鏝絵」というのはよく知らなかったのですが、テレビで見たことはあります。
神社仏閣などに多いのかしら。
見せていただけるのを楽しみにしています。
浦賀港湾の渡し舟、気持ちよさそうですね。
見事な夏雲が見られるのもあとわずかでしょうか。
この港にも引揚げ船が着いていたこと、初めて知りました。