京急浦賀駅前から浦賀湾を挟んで道がV字に分かれています。右へ行けば
西浦賀、左へ行けば東浦賀の町です。まず西浦賀の方へ行ってみました。
浦賀警察署の傍にある「大衆帰本塚碑」は江戸末期、当時の浦賀奉行が
開発以前の浦賀の様子を記し、先人たちの思いを伝えた石碑だそうです。
道の反対側の少し先の路傍に、見過ごしそうな小さな石柱がありました。
刻まれた文字も風化して殆ど読めませんが、表「道路元標」裏「神奈川縣」
と刻まれた明治時代の浦賀地区の道路元標だそうです。その頃はこの辺りが
浦賀地区の中心部であり繁華街であったのでしょう。
その先の門内は、日本初の洋式軍艦鳳凰丸をはじめ日本丸・海王丸・青函
連絡船など約1000隻にのぼる船舶を建造した住友重工業浦賀船渠の跡です。
フランス積みレンガのドライドックと1957年(明治32)建造のクレーン1基が
残されていて、イベントや見学ツアーのときには見学することができます。
これは以前、見学ツアーに参加した際に撮影したものです。
右手の旧道に入って行くと、この辺りは往時回船問屋が軒を連ねて大変賑わった所で
あの「ええじゃないか」があったりもしたそうです。所々に昔日の面影をとどめる店舗や
古い屋敷があったりして、ひっそりと閑静な生活圏に歴史の残り香が感じられます。
以前「浦賀みち」でご紹介したことのある西叶神社が道の右側にあります。
境内にある一対の青銅の立派な燈篭には、天保四年の銘がありました。
社殿は1837年(天保8)に焼失し、その5年後に総工費3千両をかけて再建
されました。隆盛期の浦賀を偲ばせる大変見事な彫刻で飾られています。
次回はその彫刻をご紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに!
みな町の歴史の生き証人ということでしょうか。
古い屋敷も、いずれなくなるかもしれないので、撮っておくのはいいですね。
私の住んでいる町は、浦賀のような大きな町とは違い、見るものも少ないですが、日光御成道にあり、宿場町だったところなので、町の歴史に興味を持てば、すごいもの(??)があるんじゃないかと思います。(私の意識が低いだけ)
すごいものではないけど、昔、市の中心部だった辺りに赤いポストが今でも残っています。
次回も楽しみにしています!
そのポストは今も現役で働いているのですか?
夜猫子も、大磯を歩いたときに見つけましたよ。彼もちゃんと現役でした。
そうそう、あの形で藍色のポストをどこかで見たことがあります。
はて、どこだったかな~?