箸折峠を下り、日置(ひき)川に沿って近露の集落に入ります。
此処も熊野街道の要所で、伝馬所が置かれ宿屋が立ち並ぶ
宿場町でした。後鳥羽上皇はここで歌会を開いたとか。
長い旅のつかの間の娯楽だったのでしょうか。
日置川近くにあるのは「近露(ちかつゆ)王子」
お社は現存しませんが、見事な筆跡の石碑があります。
南北朝時代、吉野に落ちて来た大塔宮護良親王を助けた
野長瀬一族の墓所など、歴史の香りが漂う山里です。
近露王子~継桜(つぎざくら)王子の辺りは、往時の街道の
雰囲気が今なお色濃く残っているといわれています。
路傍には、行き倒れた参詣者を弔う小さな仏が・・
すべての枝が南の熊野権現の方角に伸びているので
「野中の一方杉」と呼ばれる樹齢800年を超す巨木群に
守られるようにして「継桜王子」のお社があります。
明治時代の神社合祀の際、多くの社の樹木が伐採された中
南方熊楠(みなかたくまぐす)の運動のお蔭で伐採を免れた
貴重な天然記念物の杉は、径8m余の幹が裂けたり洞ができたり
しながらも堂々と立っています。「俺を見ろ、少し傷ついた
くらいでへこむな」という声が聞こえたような気がしました。
その先にある藁葺の家はTVでお馴染みの「とがの木茶屋」
予約すれば食事や宿泊もできるそうです。
続いて、藤原秀衡ゆかりの「秀衡桜」
参詣の途中 産気づいた奥方の出産した赤子を岩洞に残し、
赤子の無事を祈念して桜の枝を別の木に接いで行った秀衡が
参詣を終え戻ってみると、赤子は無事で桜も花が咲いていた
という言い伝えがあるそうで、これはその桜の子孫だとか。
この辺りに水道が引かれたのは近年になってからだそうで、
水の不便さが歌われた地歌が碑に残されています。
「一人娘は野中にやるな 野中吹きあげ 水遠い」
その頃 地元の人々が汲んだ湧水が
「野中の清水」
今も50~200t/日を湧出し、日本名水百選に選定されています。
地元の人ばかりでなく、どれほど多くの旅人の喉をも潤してきた
ことか。今も地元の人々の手で大切に管理されているそうです。
ひっそりと自然と共生する山里の人々の
暮らしに思いを致しながら歩きました。
滝尻王子からここまで10,559歩
それも史実を交えての上手な説明が添えてあるからなのでしょう。
社の樹木が伐採された中で南方熊楠(みなかたくまぐす)の運動のお蔭で伐採を免れた樹木たちの話には、感銘を受けました。
日本で最初に「エコロジー」という言葉を使った人だと聞きました。
高い見識を持ったスゴい方だったようですね。
苔むした近露の石碑も、壊されるところを保存に奔走した方がいて
辛くも残されたとか。そうした方達のお蔭で熊野古道があるのですよね~!
TVでよく見せられます。今回も古道の雰囲気がよく出て感服!本文もコメントも説明もよく分かりみんないいです。
ご一緒に歩いている気分になって頂けたら嬉しいな!
旅も後半です。がんばってリポートしま~す。