久しぶりに、深川を散策してみましょう☆
今回は、「芭蕉記念館」「芭蕉公園」「芭蕉稲荷」など、以前に
ご紹介した所以外の場所を いくつかご紹介しますね。
平野1丁目にある「老人福祉センター」前に
「滝沢馬琴誕生の地」の説明板
滝沢馬琴(1767-1848)
江戸後期の読本作者 代表作『椿説弓張月』 『南総里見八犬伝』など。
旗本松平信成に仕える下級武士の五男として、この地に生まれました。
幼少時に父親を亡くした後 自身も14歳まで松平家に仕えましたが、
1790(寛政2)年 山東京伝の門下となり、生涯のうちに読本・黄表紙・
随筆など 約470種もの著作を残しました。 享年 82歳
モニュメントは、28年間に刊行された106冊の『南総里見八犬伝』を模ったもの。
道路を挟んだ向かい側に、都指定名勝の
「清澄庭園」
総面積: 約81,000㎡ (庭園面積: 約37,500㎡)
一説には、江戸の豪商 紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えらえます。
享保年間(1716~1735)には 下総国関宿藩主 久世大和守の下屋敷、
1878(明治11)年 岩崎彌太郎氏が所有し、「深川親睦園」を開園。
全国各地から集めた名石を配置した回遊式林泉庭園が完成しました。
関東大震災後 岩崎家からの寄贈を受けて、東京市が復旧・整備し
1932(昭和7)年 東京市の公園として開園したものです。
3つの中島を配した大泉水の周囲には、岩崎家が自社の汽船で各地から
取り寄せた伊豆磯石・紀州青石・生駒石などの 巨石が配置されています。
清澄庭園の北側 R472沿いに、松尾芭蕉ゆかりのお寺。
「瑞甕(ずいおう)山 臨川(りんせん)寺」
臨済宗
創建: 1713(正徳3)年
開山: 仏頂河南禅師
開基: 松尾芭蕉
当寺は俳聖 松尾芭蕉とゆかりの深いお寺だそうです。
1670(延宝8)年 日本橋から深川に移り住んだ芭蕉は、閑寂枯淡の
作風(蕉風)が深まる一方で 生活に困窮していました。 そんな折、寺の
前身である「臨川庵」で修行する仏頂禅師に心服し、足繁く参禅する
ようになり蕉風を確立。 その後 諸国遍歴の旅に出た芭蕉の訃報に
接した禅師は戒名を贈り、位牌を庵に祀って供養。 さらに、臨川庵を
寺にする際、芭蕉を開基とすることで交誼に報いたと伝えられています。
「墨直しの碑」: 芭蕉の門人 各務志考が師の17回忌に、師が敬愛した
西行法師縁の双林寺(京都)に建立した石碑を写したもの。
「梅花仏碑」: 「梅花仏」は各務志考の諡号。双林寺の鑑塔を写したもの。
「芭蕉由緒の碑」: 墨直しの碑・梅花仏碑 建立の由来が記されています。
「玄武仏碑」: 各務志考の門人で墨直しの碑を建立した神谷玄武坊の碑。
これらの石碑を撮っていると、折よくご住職が出てこられて上記のような説明を
して下さり、ご本堂に祀られている芭蕉翁坐像(檜造木像)も見せて頂きました。
R472をわたって小路を入って行くと、立派なビルの相撲部屋が点在します。
深川は相撲と縁の深い土地柄でしたね。 江戸勧進相撲発祥の「富岡八幡宮」も近くです。
「小名木川」に架かる橋を渡って・・
「萬年橋」
全長: 56.25m 幅: 17.2m 架橋年代:不詳
現在の橋は、1930(昭和5)年に架け替えられたもの。
葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵にも登場していますよね。
都営地下鉄新宿線「森下」駅に近い森下1丁目は、
伊東深水画伯誕生の地だそうです。
伊東深水
(1898-1972 )
本名は「一(はじめ)」
鏑木清方に師事し、美しい女性を描いた日本画家。
雅号「深水」は、深川の水に因んで清方がつけたとか。
「深川神明宮」
門松が飾られた石造りの鳥居には、「深川発祥の地」の横断幕。
傍らの石碑に刻まれた由来記によれば:
今から400余年前、葦が茂り住む人も無いこの地を 深川八郎右衛門という
人が一族と共に開拓。 伊勢皇大神宮の分霊を奉斎し祀ったことに始まります。
やがて 江戸に入府した徳川家康が1596(慶長元)年に当地を巡視した際、
地名が無かったこの地を 八郎右衛門の姓から「深川」としたと伝えられます。
今年最後の「ぶらり街歩き」は、江戸の香りを残す街「深川」でした☆
17,711歩
今年も「スニーカー履いて」をご訪問頂き、ありがとうございました!
2015年も スニーカーで元気に歩きたいと思いますので、
また遊びに きて
ね~
どうぞ よいお年を!
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