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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

新緑の妙本寺

2014-04-17 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉・比企ヶ谷の「妙本寺


朱塗りの二天門が すっぽり新緑の中☆




          


御衣黄




鐘楼も 一面のシャガに包まれて






ときどき無性に 此処へ来たくなることがあるのは
この 深い緑のせいかもしれません





鎌倉散歩③

2014-03-14 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉で梅といえば、‘猫’のなかでは やっぱり此処だな

紅葉ヶ谷の「瑞泉寺




天然記念物の黄梅が咲いていました☆






苔むした梅の古木がたくさんある 梅の寺です。



黒椿や



三椏も



福寿草の群生☆





境内にはまた、鎌倉ゆかりの文化人の碑が点在しています。


「 死をいとい 生をもおそれ 人間のゆれ定まらぬこころ 知るのみ 」
                           吉野 秀雄



「 手の平に 豆腐をのせて いそいそと  いつもの角を 曲がりて帰る 」
                            山崎 方代(ほうだい) 



「 いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ 」
          久保田 万太郎



「 男の顔は 履歴書である 」
                大宅 壮一



駐車場前の梅林☆



足のむくまま、気ままにぶら~り ひとめぐりして・・

13,164歩




明月院も雪の中

2014-02-10 | 鎌倉・逗子・葉山


山門に到る鎌倉石の階段を上っていくと

今は枯れ枝のようなアジサイの株が並ぶ
石段脇には、ロウバイの花が満開☆


このお寺はロウバイがたくさんあって 今 とても綺麗です。



マンサクも
          



「北条時頼公墓所」

北条時頼(1227-1263)
鎌倉幕府第五代執権
この辺り一帯は 公が寂した「最明寺」跡といわれます。

明月院
臨済宗のお寺で、国史跡に指定されています。
1160(永暦元)年に首藤刑部太夫 山ノ内経俊が、父の菩提供養のため創建。
1256(康元元)年 北条時宗が「最明寺」を建立。 子の時宗が「禅興寺」再建。
1380(康暦2)年 関東管領 上杉憲方が中興。
開山: 上杉憲方
開基: 密室守厳
    本尊: 聖観世音菩薩像
「明月院」は、もと「禅興寺」(明治初年に廃寺)の塔頭の1つでした。





「宗猷堂(開山堂)」

当寺最古の建物。
密室守厳禅師の木像が祀られています。


「瓶(かめ)の井」

鎌倉十井の1つで、現在も使用されているそうです。
岩盤に掘られた内部が水瓶のようにふくらんだ形をしているので、この名。


「明月院やぐら(羅漢洞)」

間口7m  奥行6m  高さ3m 
鎌倉に現存するやぐらとしては最大級で、壁面に仏像の浮彫り。
中央の石造宝篋印塔は、上杉憲方が生前自ら建立した墓といわれます。


 





東慶寺・雪の境内

2014-02-10 | 鎌倉・逗子・葉山


北鎌倉の「東慶寺」境内 まだ雪がたくさん残っていました





十月桜



ちょっと寒そうだけど・・・
白い境内を けなげに彩っています☆






          











普段よりは訪ねる人が少なめだからか 雪が物音を消すのか・・
静かな境内




昨日 ベランダや家の前の道をがんばって雪掻きしたら
今日はその後遺症で 体の思わぬ箇所が筋肉痛・・・トホホ
慣れないことで こんな所が痛くなるなんて予想できなかったなぁ
 



八幡宮にもご挨拶して

2014-01-18 | 鎌倉・逗子・葉山


今年初めての鎌倉ですから 八幡さまにも新年のご挨拶をしていきましょう


「小町通り」は まだお正月のような賑やかさ☆

          
日本蕎麦の店に 外国人観光客が集まって・・ 手打ちの実演に興味津々のよう



花嫁さんも☆





「段葛」を歩いて






「鶴岡八幡宮」に着きました


今年も 健康で楽しく過ごせますように!!


銀杏の若木も元気に育っているようです☆






寒梅

2014-01-18 | 鎌倉・逗子・葉山


御無沙汰いたしまして どーも


受験シーズンがやってきましたね~ 
鎌倉の荏柄天神さんにも 次々と参拝の人たち


‘猫’も ン十年前の自分を 思い出しますよ・・


神さまも大変でしょうけど              みごと花が咲きますように
          





みんなみんなに 良い春を~!




鎌倉の紅葉

2013-12-05 | 鎌倉・逗子・葉山


そういえば、今年はまだ鎌倉の紅葉を見てなかったなぁ
ということで、見に行ってみました。 定番のコースだけど・・
まだ、見られるかな?


まずは、北鎌倉の「円覚寺」門前の紅葉から。

ここは、そろそろ終盤みたい・・




少し先の「浄智寺」の脇から、山道に入って「天柱峰」へ。
          




そして、ほどなく 「源氏山公園」に到着☆

よかった、まだ見られたヮ ♪






          


「頼朝像」前は、たくさんの人!
お天気もいいし暖かくて、絶好の紅葉狩り日和




サザンカも                       ツワブキも
           





紅葉も楽しめて 満足~
 


15,074歩



鎌倉・なかのみち③

2013-11-19 | 鎌倉・逗子・葉山

 



「なかのみち」を、「笠間十字路」へ向かって歩いています。


左側の住宅街の中の坂を上って行くと
笠間中央公園遺跡

広々した芝生広場に児童遊具、グラウンドもあるこの公園を造成するに
あたり発掘調査をしたところ、多数の竪穴住居の遺構が見つかりました。


(パネルより)
弥生時代の住居跡が14軒・古墳時代の住居跡19軒・奈良時代の
住居跡11軒のほか、鎌倉時代以降に造られたと思われる幅約10mの
大規模な道路跡も発見され、「なかのみち」の旧道かといわれています。
現在は、遺構は保存されてありません。残念ですが・・




「なかのみち」の右手奥に「笠間山 智光院 法安寺


南北朝期の混乱以降、衰退と再興を繰り返してきたお寺のようです。


浄土宗のお寺
  創建: 1358(正平8)年
開山: 持阿智光了専
本尊: 阿弥陀三尊像
「旧笠間領主 生実(おゆみ)藩一万石森川氏ゆかりの寺」とあります。
本堂は、1878(明治11)年に建長寺客殿を移築したものとか。

本堂に祀られている像高10cmほどの十一面観音像は、旧鎌倉郡33観音の
1つで、弘法大師が河原の石に爪で一晩のうちに彫ったと伝えられています。

境内に、その御姿が拡大して彫られた石碑





みちの右側に「今泉村不動
          
称名寺 今泉不動への道標のようです。
「宝永七年」の刻銘




「笠間」交差点に出ました。 六叉路になっていて車の往来が激しい所。

延命地蔵堂


傍らに古い道標があります。 「元禄四年」の刻銘
          
「従是とつ加道」                   「従是ぐミやうじ道」





そのまま直進すると、ほどなく「いたち川」。


鎌倉時代 この川は「出立(いでたち)川」と呼ばれ、交通上また軍事戦略上の
幕府の要衝で、出立時 道中の安全を祈願する儀式が行われた場所でした。
イタチが出たからではなく、「いでたち」→「いたち」という転訛だったのですね。

吉田兼好が、川の名を折り込んで詠んだ歌
かにわが ちにしひより りのゐて ぜだにねやを らはざるらん」
( 私が旅に出てからだいぶ日が経った 閨にも塵が積もっていることだろう
風が吹き払ってくれることもないだろうから ) 『兼好法師集』より

「新橋(にいはし)」を渡る道は新道で、旧道はこちらの橋でした。
水神橋


今回のツアーはここがゴール

このあと「なかのみち」は、小菅ヶ谷の方へと続いていきます。
奥州までとはいかないまでも、機会があれば またこの先も歩いてみたいナ☆


21,912歩





鎌倉・なかのみち②

2013-11-18 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉「なかのみち」を歩いています。

「離山」交差点を少し過ぎ、「なかのみち」のルートから右へ逸れて
R21(現 鎌倉街道)へ向かう途中の左手に

粟船(ぞくせん)山 常楽寺

臨済宗のお寺
  創建: 1237(嘉禎3)年
      開山: 蘭渓道隆(大覚禅師)
        開基: 北条泰時(第三代執権)
 本尊: 阿弥陀三尊像

北条泰時が妻の母親の供養のため粟船御堂(あわふねみどう)を建立し、
退耕行勇が供養の導師をつとめたことが当寺の始まりとされます。

蘭渓道隆は建長寺開山前の5年間 当寺に住んだことから
「大覚禅師古道場」と。 「常楽は建長の根本」と言われます。


仏殿


仏殿の天井画「雲龍」は、狩野雪信が描いたもの。



仏殿背後に、「北条泰時のお墓」

没年は1242(仁治3)年 60歳

円通大応国師のお墓(1308年)       中興開基 龍淵和尚のお墓(1854年)
          



仏殿右側の庭園に「色天無熱池」

ヒマラヤにある竜王が棲むという想像上の池を表しています。


仏殿左側には「文殊堂」

大覚禅師ゆかりの文殊菩薩坐像(鎌倉時代作)は
県重要文化財。 
毎年1月25日のみ公開されます。


お寺の裏山に「木曽塚」
         
木曽義仲の長子 義高の墳墓と伝えられています。
義高は11歳の時 人質として頼朝のもとに送られ、頼朝の長女大姫の
許婚者として共に暮らしていましたが、頼朝と義仲の関係が悪化した
結果 義仲は討たれ、義高も木曽へと逃れる途中で討たれてしまい、
それを悲しんだ大姫は病に倒れ、傷心のうちに亡くなったといいます。

塚の傍らの碑文によれば、「塚ハ元此地ノ西南約二町 木曽免トイフ田間」に
あったものを「延宝八年此ニ移ス・・・薄命ノ公子ノ首級ハ此ノ処ニ於テ永眠・・」と。





旧大船撮影所跡(現「鎌倉女子大」前の公園)を抜けて・・


色づいた桜並木の「砂押川」を跨ぎ・・





「なかのみち」へ戻り、横浜・栄区に入ってきました。

150余段の石段をエッチラオッチラ上り・・
( ふり返って、上から )


青木神社

笠間の鎮守
 祭神: 天手力男命(あめのたぢからおのみこと)
天照大神・伊弉諾命・伊弉冉命

社伝によると、1335(建武2)年 この地の豪族近藤出羽次郎清秀が
領内鎮護のため、日頃信奉する天手力男命を祀る社を創建しました。
明治の末に、鹿島神社・神明社・山王社を合祀。

色鮮やかな鳳凰の懸魚



境内に「二十三夜供養塔」

1860(蔓延元)年 建立
農耕をつかさどる月読尊を祀る石塔。
十五夜から8日後の夜 善男善女が集まり、東の空に昇る月を待って
精進勤行、飲食を共にする月待ちの行事を行うというものだそうです。


(続)



         


鎌倉・なかのみち①

2013-11-17 | 鎌倉・逗子・葉山


先日 ウォーキングツアーに参加し、鎌倉の「なかのみち」の一部を歩きました。
ガイドさんの説明を聞きながら6km余のウォーキングは、なかなか楽しい体験でした☆



まずは、配布されたレジュメで「なかのみち」の概要から;

頼朝時代の鎌倉は湿地帯が多く、急激な人口増に対応して住居地や道を
確保するため大規模な工事が行われ、順次整備がすすめられていきました。

江戸時代以降、各地から鎌倉に至る道は「かまくらみち(または鎌倉街道)」と
呼ばれるようになりますが、『吾妻鏡』をはじめとする当時の文献に見られる
鎌倉への道は、
東海道・中路・下道・武蔵大路などの名称で記載されています。

かまくらみち(推定)


どの道も、のちの開発・整備によって現在それを特定するのは難しいようですが
今回は、1189(文治5)年 源頼朝が奥州合戦のため畠山重忠を先陣とする大軍を
率いて通ったと『吾妻鏡』に記載されている「水堰橋~笠間」までを歩きます。




水堰(すいせき)

「なかのみち」の鎌倉側の入口は不明とされています( 「巨福呂坂切通し」
又は 「亀ヶ谷坂切通し」であっただろうという説もあるようですが・・)が、
小袋谷川に架かるこの橋が「なかのみち」の出発点とされています。
 

近世では「とつかみち」と呼ばれるようになります。 このように、時代と共に
「とつかみち」「うらがみち」などと呼称が変わり、ルートも少しずつ変化しながら
近世から現代へと「道」が続いてきているようです。
 

橋の傍に
          
観音像の道標には「享保12年」の銘。  石柱の字は「せゐ志くはし」と読めます。
「せゐ志く」→「すいせき」かな?




亀甲山 法得院 成福(じょうふく)





鎌倉で唯一の浄土真宗のお寺
 創建: 1232(貞永元)年
開山・開基: 北条泰次(泰時の子)
 本尊: 阿弥陀如来立像

一切経の校正に携わった親鸞聖人は、寺前の道を一向堂へと通ったとか。
泰次は天台宗の僧でしたが、のち親鸞に師事し「成仏」の名を貰い改宗。

寺の裏山の「亀甲窟」

泰次が籠って修行したといわれます。

境内の庚申塔群


墓地には、「寅さん」の御前様 笠 智衆氏のお墓もありました。     




厳島神社

小袋谷の鎮守
創建:不明  昭和初期に三社を合祀
 祭神:市杵島姫命 橘姫命 応神天皇

鳥居の横に、石造庚申塔

舟型の塔で、「寛文10年」の刻銘。
表面の文字は風化のため判読不能。上部にキリク(阿弥陀)・サ(観音)・サク
(勢至)の種子。 阿弥陀三尊の種子が刻まれた庚申塔としては、鎌倉最古の
ものとか。 以前は「水堰橋」北側にあったものが、移されたのだそうです。




「離山」交差点の傍に、「離山富士見地蔵尊

堂内の説明書きには;
「昔この山の頂に古い塚が13ヶ所ありました。元禄の頃、山上に
石地蔵が建ち、以後この山を地蔵山と呼ぶようになりました。」と。 

関白近衛房嗣の子 道興准后(1430-1527)の『廻国雑記』には;
「はなれ山といえる山あり まことにつづきたる尾の上も見え侍らねば
朝まだき 旅立つ里のをちかたに その名もしるき 離れ山かな」 と。
 


当時この付近は沼地だったため山麓沿いに道が通り、地蔵山・長山・越山の
三山続く山並みを「離れ山」と言ったそうです。 のちに、開発で山は削られ
なくなりましたが、現在でも数メートルの段差が見られるとのことです。
「富士見」の名から、嘗ては富士山が見える場所にあったことがわかります。


(続)




鎌倉・安国論寺~長勝寺

2013-11-08 | 鎌倉・逗子・葉山


千葉・安房小湊の漁師の家に生まれた日蓮さんは、17歳頃から
11年間修行研鑚を積み、《法華経》こそ至高の経典との確信を得て
1253(建長5)年 清澄山で題目を高唱し、日蓮宗を開いたといいます。

平安末期から鎌倉期にかけて戦乱が続き、天災も頻発した世情の不安を
《法華経》の教えによって救うため海を渡り、約20年間 鎌倉の地で
精力的に
宗教活動を行った日蓮さんの足跡が、今も市内各所で継承されています。

日蓮さんが 布教活動の拠点とした草庵の跡が、「松葉ヶ谷小庵」跡として
 いくつか残されていますが、今回訪ねたお寺も その一つです。


妙法華経山 安国論寺




日蓮宗
   創建:1253(建長5)年
開山: 日蓮聖人
      本尊:南無本師釈迦牟尼仏
寺伝によれば、聖人が安房国から鎌倉に来て最初に草庵を結んだ地。
境内にある岩窟に籠り、1260(文応5)年39歳のとき 『立正安国論』を
書いたといわれますが、その法窟の傍らに弟子の日朗上人が建立した
「安国論窟寺」と
、のちに池上本門寺第十一世 日現上人が建立した
「要法寺」の二寺が一つになり、「安国論寺」となったとのことです。


御小庵

聖人の小庵跡といわれます。
現在のお堂は元禄時代の建築で、尾張徳川家寄進の総檜造り。

御小庵の後ろにある「御法窟」は、奥の方にチラっと見えるのみ。
庵の前にある 聖人の杖が根付いたとされる「妙法桜」は、市の
天然記念物に指定されています。 この季節は落葉して裸木でした。


「日朗上人御荼毘所」横の石段を上って




山道の途中、視界の開けた場所が「富士見台」

聖人が日々、此処から富士山に向かって読誦したとか。


さらに上って、「南面窟」

1260(文応元)年 草庵が焼打ちに遭った際に
白猿に導かれて避難した岩屋といわれます。


正面に聖人像。その近くには、お猿の石像もありました。



「松葉ヶ谷小庵跡」といえば、以前ご紹介した「妙法寺」と
これから訪ねる「長勝寺」にもあります。



石井山 長勝寺

日蓮宗
   創建:1263(弘長3)年
開山: 日蓮聖人
開基: 石井長勝
本尊: 大曼荼羅
領主石井長勝が日蓮聖人に帰依し、自分の邸内に設け寄進した
庵が始まりといわれる「本圀(ほんこく)寺」があった場所で、のちに
京都に移されて廃寺となった跡に「長勝寺」が建てられたそうです。


帝釈堂前の日蓮像

像高 4m
台座をいれると8mの立派な銅像です。


「長勝寺」から数100m先、「名越隧道」の手前を
右に入って行くと、坂の途中の左側に
「長勝寺 松葉ヶ谷小庵跡」

台座には、「忍難慈勝」と刻まれています。


聖人が最初に草庵を結んだのは、果たして何処なのか・・
それは、専門家の方々の検証にお任せするとしましょう。

いずれにしても、ここ名越松葉ヶ谷辺りを拠点として、度重なる
迫害を乗り越え、布教に励んだ日蓮さんと彼に続く人達によって
この鎌倉の地に 日蓮宗が根付いていったのですね。





おんめさまの天井絵

2013-10-21 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉駅前の花のお寺「大巧寺(おんめさま)」

これまでも、四季折々の境内の花を何度かご紹介してきましたよね。


今回 ご本堂の華麗な天井絵を、ゆっくりと拝観することができました。

以前から、時折少し開けられている正面の引き戸の間から チラリと何度か
見たことはあったのですが、すべてを拝観できたのは初めてデス☆


花・鳥・動物など、全部で63枚あるそうです。

チラ見のときはよく分かりませんでしたが、今回じっくり見て初めて これらは
筆で描かれたのではなく、彫刻に彩色が施されているのだと知りました。







奉納した人の名が見えますね。







 












なんでも、室町期から江戸末期頃にかけて奉納されたものだそうですが
年月を感じさせない色彩と躍動感のある図柄の、とても美しい天井絵でした☆





ある僥倖

2013-10-09 | 鎌倉・逗子・葉山



‘猫’のなかで、鎌倉の本格的な秋を感じるものの1つが
ここ 「妙本寺」の金木犀☆


参道に沿って、甘い香りが続いています。



いつもは 木々を渡る風と鳥の声だけが聞こえる静かな境内ですが、
今日は 祖師堂前に朗々と響きわたる読経の声・・何でしょう?


「水行」が行われていました。
これから 本格的な修行に入られるのでしょうか。
          

水垢離のあと 白い法衣姿になって、堂内で読経が続きます。

灯りがともされ、いつもは固く閉ざされている正面の窓が開かれ
やがて堂内正面の祭壇も開かれて、日蓮聖人の御像が。
聖人存命中に 日法上人が一本の木から彫像し、身延山久遠寺・
池上本門寺・当山に祀られ、「寿像の祖師」と呼ばれている御像です。
壇下には、聖人晩年の直筆による寺宝 「十界曼荼羅」の懸物も。

いずれも、通常は目にすることができない大変有難いものだそうです。
日蓮宗徒ではありませんけど、これはやはり僥倖というべきでしょう☆
貴重な機会ではありましたが、さすがに カメラを向けるのは控え
ました。


遠くから そっと・・