週末です! 晴天です!
歩きますとも!(笑)
まずは、此処から☆
「稲荷(とうか)山 浄妙寺」
臨済宗のお寺で 鎌倉五山の第五位。
創建: 1188(文治4)年
開山: 退耕行勇(たいこうぎょうゆう)
開基: 足利義兼
中興開基: 足利貞氏
鎌倉五山のうち1~4位までは北条氏ゆかりのお寺ですが、当山は足利氏のお寺。
開山当初は真言宗のお寺で「極楽寺」といいましたが、足利義兼の子 義氏のとき
改宗して臨済宗となり、その4代後の貞氏のとき「浄妙寺」と改められました。
「伝 足利貞氏の墓」
「明徳三年(1393)」の刻銘は3代将軍 義満公の頃。
ということは、のちに建立された供養墓?
足利氏の略系図
義康ー義氏ー泰氏ー頼氏(智光寺殿)ー家時(報国寺殿)ー貞氏(浄妙寺殿)ー尊氏(長寿寺殿)
境内にあるレストラン「石窯ガーデンテラス」が誘惑するけれど
きょうは寄らずに、境内横の細道を上って・・
「鎌足稲荷」
祭神:稲荷大神
説明板によると;
藤原鎌足は、乳児の時に 稲荷大神から授かった鎌槍をお守りにしていました。
大化改新で曽我入鹿討伐を果たして鹿島神宮に参詣した折に、「宿願を達成
したからは、授けた鎌を奉納すべし」との神告を受け、現われた白狐に導かれて
この地に埋め、お堂を建てて祀ったとか。 「鎌倉」の地名の由来とも伝わります。
山門前から右手の小路に入り、暫く歩いてR204に出る所に
「足利公方邸跡」碑
(手前側が R204)
鎌倉幕府開府の頃 足利義兼がこの辺りに居館を構えたのが始まりといわれ、
尊氏が覇権を掌握し京都に遷ってからは、関東管領となった子の基氏が住み、
それ以後、代々の子孫が此処を住まいとしていたようです。
1451(享徳4)年 足利成氏が当時関東管領の上杉憲忠と争いこれを暗殺
した「享徳の乱」の後、成氏は追われて古河(茨城)に敗走。 古河公方と
呼ばれるようになり、此処は廃墟となったことが記されています。
(続)
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