東日本大震災から11年目の今日、あえて吉本隆明※の『「反原発」異論』(論創社)を読んだ。
※:よしもと・たかあき(私の周囲では「よしもと・りゅうめい」)。この本での紹介は「日本が世界に誇る文学者・革命思想家」。私は氏に影響を受けた世代よりやや下だが、『言語にとって美とは何か』『心的幻想論序説』『マス・イメージ論』などは読んだ。実は氏の居宅は近所で、自転車に乗る氏の姿を谷中銀座で目撃したこともあった。
11年前の福島原発事故直後、その時すでに各地のラドン・ラジウム温泉で放射線を計測してきた私は、当時次々と報告される放射線値について、このブログで解説をしていた。
あくまで放射線医学に準拠し、また日常生活での放射線量を計測してきた立場から、客観的に計測値を評価する姿勢を堅持していた点が、ネットでも評価されていた。
原発事故に対して、東電と政府には怒りを表明していた一方、政治的意図で危険性を煽る陣営には与(くみ)しなかった。
問題は、事故を起こした原発対応が一段落した4月以降である。
世間は、「こりごり」という感情で、脱原発にどっと傾いた。
その気持ちはよくわかる。
航空機事故が起きた直後は、私でも飛行機に乗りたくない。
また遺族が飛行機を忌避し続けても理解はできる。
ただ、それでこの世から航空機を廃止せよとは思わない。
世間が、脱原発に傾く2011年、86歳になった吉本隆明は、独り敢然とその空気に異を唱えた。
老いてもなお視点をずらさない氏の面目躍如である。
文学者・革命家以前に、筋金入りの”化学者”であった吉本は、科学という人間の営為の進歩(問題解決能力)を信じ、そして宇宙の謎の解明に資する E=MC^2という、物質(M)からエネルギー(E)への転換メカニズムを手にした人類にとって、この核技術は絶対に推進すべきもの(ただし安全の確保を伴って)と主張している。
すなわち核技術は、特定の政治イデオロギーや一時的な気分で、葬り去るべきどうでもよいレベルのものではなく、人類史レベルの視野できちんと確実に手にすべきものと主張している。
もちろん能天気に礼賛しているのではなく、強大な技術を手にしてしまった人類の原罪として、それを背負って覚悟をもって制御技術を発達させるべきという。
時代の気分に左右されず、人類史レベルの視野でこの強大なテクノロジーに付き合っていくことを主張していたことを今更ながら知って驚いた。
こう主張して東日本大震災の翌年の2012年3月16日に87歳で亡くなった吉本は、最後まで「考え続けること」を実践してきた。
考え続けることこそ科学の探究に通じる。
吉本は人間の知力、知的前進を信じるという基本スタンスを貫いたため、人間(他者)不信を前提にした悲観論を批判したのだ。
マルクスやレーニンに準拠した「革命思想家」でありながら、いわゆる既存の左翼勢力と袂を分わったのも、彼らに巣くう”思考停止”癖と相容れなかったためだろう(逆にいえば、多くの”吉本信者”が氏についていけずに脱落していった。吉本が変節したからではなく、時代の気分(その時だけの正義)に阿(おもね)らない頑(かたく)なな吉本についていけなくなったのだ)。
吉本の論から離れるが、そもそも原発は、核の”平和利用”という目的で推進された。
この”平和利用”とは、表向きは電力利用に見えるが、裏の目的は潜在的核保有能力の維持である(石油エネルギーの代替や近年の温暖化対応などの理由はすべて後付け)。
いうなれば、核実験をせず、核ミサイルを所持せずに、その能力を保持する、安全保障戦略である(国の安全保障の一環なら、民間電力会社にまかせる事業ではないのだが、表の理由が”電力の安定供給”であったため、電力会社に運営させた)。
だから、日本の軍事力強化の否定を最重要とする左翼勢力が、”反核・反原発”とひと括りにして反対したのだ(電力会社が原発の安全性をいくら強調しても、地域住民でない左翼勢力が反対の旗を絶対に降ろさなかったのはこのため)。
もちろん吉本の主張は、核技術が発電だけでなく兵器に使われることも認めた上での事である(核兵器に対する80年代の世界的な「反核運動」に対して、当時すでに『「反核」異論』を唱えていた)。
地球に住まう生物にとって起こりうる最大の危機は、白亜紀末期に起きたような巨大隕石の衝突であるが、それに対処できるのは核爆弾しかないのではないか。
こう思う私は、(視野が同じため)吉本の主張に基本的に賛同する。
ちなみに核廃棄物については、吉本は、宇宙に打ち上げて代謝(放射)させるという案を出している。宇宙線がばんばん飛び交っている宇宙では核反応は通常の代謝現象だから。かように吉本は宇宙的視野で核を眺めている。
現在の廃炉という文脈においても核制御技術の進歩が要請されている(たとえば半減期を短縮する技術開発が進行中)。
ただし、東京電力が原発を運営することには反対する。
それは福島原発事故を起こしたからではなく、その後の柏崎刈羽原発でのずさんな対応が明るみに出て、原発事故を起こした体質が依然改善されていないことがわかったから。