今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

立木観音に立寄って失せ物

2022年03月23日 | 

栃木県の日光は宗教的史跡と雄大な自然がミックスした関東でもトップクラスの観光地で、これに匹敵するのは神奈川の箱根に(小田原ではなく)鎌倉を合わせたくらいなもの。
そんな日光なので、湯元温泉の往きに寄ろうと思っていたが降雪のために寄れなかった寺を帰途に寄ることにする。

湯元から観光バス仕立ての快適な路線バスに乗って、雪原になっている戦場ヶ原を縦断し、中禅寺湖畔の「立木観音入り口」で降りて、湖畔東岸の雪道を南下し、立木観音に到着。
ここは道路標識も「立木観音」になっているが、正式名は日光山中禅寺(”中禅寺湖”の元がここ)。
奈良時代に男体(二荒)山に初登頂した勝道上人が開いた由緒ある寺だ。
ここから見る男体山(2486m)は、富士形のきれいな円錐形(写真)。
また中禅寺湖の奥に、関東以北の最高峰である日光白根山(2578m)が白い肌を見せている。
※:関東・東北・北海道を(なんなら近畿以西も)含めての最高峰。ちなみに2位は群馬の浅間山(2568m)。男体山は3位。

拝観料400円払い、本堂に入ると、作務衣姿の寺の人(有髪なので僧侶ではない)がやってきて立木観音の説明をしてくれる。
正面に拝む大きな立木観音(重要文化財)は勝道上人作と伝えられる巨木の一木造りの千手観音で、像の足元には木の根が残っている。
お顔は地方色のある素朴な面立ちだが、円空仏に繋がるストレートな彫りで、稚拙さは感じられず、じっと拝んでいたい気持ちになる。
ただ、私1人のために説明要員として残っている寺の人に悪いので、お礼をいって順路を進む(寺の人は戻っていった)。
奥の建物に入ると、五大明王が奥に祀ってある。
五大明王(不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉)が揃っているのはなかなか壮観だが(近くでは見れない)、係の人がさまざまな利益(りやく)の祈祷を勧めてくる。
”利益”を求めてのお参りではないので、祈祷は頼まない(自分がスピリチュアルレベルに目覚めると、自力でパワーを発揮したくなるし)
順路に従って進むと建物の外に出る。
そのまま帰路になるので、今一度立木観音を拝みたく本堂に戻る(またお寺の人が出てくる)。
境内で錫杖型のお守り(1000円)と、本尊の御影(100円)を買った。
私が寺巡りでコレクションにしているのは、御朱印ではなく、個性的なお守りと本尊の御影。

中禅寺湖畔を戻って、「中禅寺温泉」のバスターミナルに行き、日光駅行きのバスに乗る。
その時、バッグの中に入れているはずのポケットWi-Fiが見当たらず、湯元発で乗ったバス内に置き忘れたことに気づいた
車内で現在位置を地図で確認しようと、Wi-Fiをオンにするためにバッグから出して、座席に置いたままにしたに違いない。
最近では旅先の宿にたいていWi-Fiがあるので、ポケットWi-Fiはほとんど使わないが、バス内や歩きでiPadの地図を見たりメールチェックに使う(新幹線や東武特急には車内Wi-Fiがある)。
そして使わなくても毎月定額の使用料は引き落とされている。
契約を中途解除すると違約金を取られるので、紛失しても使用料を払いつづけるハメになるのか。
立木観音に立寄るためにバスを途中下車しなければ、と後悔しても始まらない。
立木観音が悪いのではない。

私はあちこちで持ち物を紛失するのだが、実はことごとく届けてもらって手元に戻っている。
前回の日光の旅でも、東武の特急車内に帽子を忘れたが、帰りの東武日光駅に無事届いていた。
今回も同じ東武のバスなので、それを期待して、バスの中から携帯で東武バスの日光営業所に連絡してみた(フリーパス購入時にもらったバスの案内図に電話番号が載っていた)。
すると期待通り、私のWi-Fiは営業所に届いていた。

これに安心して、立木観音に寄り道した後悔は吹っ飛んで、次に予定していた輪王寺の三仏堂を拝観するため、再び途中下車する。

前回は三仏堂が改修工事中だったので、新しくなった三仏堂とその中身を見たい。
まず外観だが、東照宮ほどでないにしても建物にも金ぴか要素があるのは日光的(写真、三仏堂の裏側)。
拝観料500円払って、金ぴかの三仏(千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音)を拝む。
順路を進むと、直下から三仏を見上げることができる。
ただ造りは上等とはいえず、さらに金ぴかすぎて日本人的には有難みが減じる(実際、文化財に指定されていない)。
写実性の乏しさは同じながら、造形として独特の味がある立木観音の方がいい。
といっても三仏堂内には他にもいろいろな仏像があるので、一見には価する。

今回は三仏堂だけでいいので、総合会館前からフリーパスで乗れる巡回バスに乗って東武日光駅に行き、
少し歩いて営業所の詰め所に行って、我がポケットWi-Fiを有難く受け取った。
失せ物が戻るということは、客観的な損得は±0なのだが、主観的には+側に嬉しくなる(その理由は行動経済学だけでなく、存在論でも説明可能。その解説記事→携帯の在る生活)。

なので、帰りの特急(けごんの伝統的車両だった)内で第三のビールで祝杯を上げた。