世間では年度末の平日の月曜だが、勤務先では一応”春休み”なので、東京の実家にいる。
東京はすでに桜も満開だし、気温も高くなったので、少しは遠くに出かけようかと思うのだが、年度の切替り時期は学校関係者特有の鬱気※に襲われるためか、遠出する元気が出ない(遠出するには、「よし、行くぞ!」という強い気持ちが必要なのだが、それが出ない)。
※:過去一年の業務のすべてが白紙に戻され、また1からやり直す新年度が始まる気の重さ。ただ、始まってしまえばこの鬱気は吹っ飛ぶ。3月末の今だけの状態。
なので、決心がいらない近所の散歩コース(谷中~上野)で桜を観に行くことにした。
正午前に西日暮里の店で定番の昼食(五目焼きそば)を食べて、出発点となる諏方神社※の高台(諏訪台)に登ると、咲き誇った桜が迎えてくれる。
※日暮里・谷中の鎮守である諏方(すわ)神社は、諏訪ではなくこの字。ただし台地名は諏訪台。
この桜の花を観ただけで、鬱気が消えていく。
それまでの冬枯れの寂しい枝から一変した桜の”時限的な”華やかさは、”今だけ”という儚さを伴ったものだけに、むしろ焦燥感さえもたらし、鬱気がベースになければ、ハイ(躁)になってしまうほどだ。
谷中霊園の桜並木は、桜も人の量もともに手ごろで、近所の名所的な安心感がある。
霊園を出て上野に向かう所に、今まで素通りしていた多寳院(真言宗)という寺の桜がきれいなので、初めて立寄ろうと門に向かうと、「吉祥天安置」との石標がある。
私は昨年夏以来、吉祥天のファンになり(→吉祥天をお迎え)、吉祥天を求めて詣でているのだが、幾度も歩いた近場の散歩コースに吉祥天が祀ってあったとは。
石標でアピールしているだけに、閉まった本堂の隣に吉祥天を祀る堂があって、ガラス戸越しにきれいに彩色された吉祥天を拝める(写真)。
かように吉祥天は、如意輪観音や弁才天以上に女性美が表現される分、眼福を味わえる。
そこから今の時季に歩くにふさわしい”上野桜木”を抜け、赤煉瓦の校舎に桜が映える東京芸大を過ぎて上野公園に入る。
公園内を南下すると有名な丈の低い”上野の桜”の並木になる。
コロナ禍が幸いしてか、桜の下での宴会が禁止されているので、通行人が平等に満開の桜を堪能できる。
道脇の清水観音堂を桜越しに見上げ(写真)、観音堂に上がれば、清水の舞台上から桜越しに不忍池の弁天堂を見下ろす。
桜並木を抜けて最後は上野広小路に降りる。
ここまで来たなら、さらに山手線1駅分歩いて秋葉原に向う。
久々の秋葉でいつもの店々を巡り、名古屋宅用の電動鼻毛カッター(320円)を買う。
観桜も歩きもこれで充分。
今回歩いた山手線6駅分を電車で戻った。