今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

千葉の博物館巡り

2022年03月06日 | 東京周辺

東京の隣の千葉県にはもちろん幾度も足を運んでいる。
千葉県で一番人気のTDLは私のような人間には選択肢外だが、千葉県は登山の対象となる山こそないものの、海が2方向に開けて、由緒ある寺もある。
それどころか、かつて幕張新都心(京葉線の海浜幕張)に数年間週1で通勤していた。

それなのに、千葉県第一の街、県庁所在地の千葉に足を運んでいない(幕張は行政区画上は千葉市内だが、そこから見る千葉の街は海岸線のずっと先の霞の彼方)

実際、千葉(以下、県ではなく千葉市街を指す)って東京からの距離では、神奈川の横浜、埼玉の大宮とほとんど同じなのに、なんか心理的に遠い。
街としてのイメージ(特徴)が得にくく、行く目的が思い当たらないためか。

千葉にはまさに地名を名字とした千葉氏の亥鼻城があるが、千葉県の武将だと安房の里見氏の方が存在感があり、というより千葉氏自体が歴史的にはグダグダな成り行きなので、いまいち関心を引かない。
そんな中、千葉市周囲の地図を眺めていたら、加曽利という所に貝塚遺跡と博物館がある。
そう、加曽利といえば、「加曽利式」という縄文土器の名称になっているほどの土器の発掘地。
博物館のミュージアムショップで土器か埴輪のレプリカを買いたい。
ということで、加曽利貝塚をメインにすることで千葉を訪れる気になった。

ただ、千葉初心者としては、まずは千葉を概観的に理解すべく、地元の博物館から始めたい。
そこで、県立の中央博物館と亥鼻城趾にある市立の郷土博物館を最優先とし、それと挨拶として外してならない地元の鎮守社を参拝する。
加曽利貝塚は市内からはちょっと離れているので、これらの後に行くことにする。
前日、ネットで市内バスの路線を確認して、ルートを決めた。

さて、当日、日暮里から京成を乗り継いで京成千葉で降りる。
まずは 隣のJR千葉の駅ビルで腹ごしらえをと思ったが、予定していた店はJRの改札内にあって、京成千葉からだと入れないので、あたりをうろうろするはめに。
なんとかして、前日のネットで候補の1つにしていた店で”北京焼きそば”を食べる。

ここからバスに乗って中央博物館前で降りるが、バス停からは数百メートル歩く。
実は JR・京成の千葉駅は千葉の市街の端っこにあり、役所や博物館のある中心地へはバスが必要(市街地寄りに「本千葉」・「千葉中央」という駅があるが、これらはバスの便が悪い)。

ちょうど正午に博物館に入る(年齢的に無料)。
ここは県立なので、千葉県全体を視野にいれた展示になっていて、しかも自然(地質・地形、植物・動物)と歴史(先史~現代)の両方という充実ぶり。
なので千葉市どころか千葉県初心者が、まずは訪れるに価する。

そもそも千葉県は、房総半島南端の安房、半島中央部の上総、半島付け根の下総の三国からなっていて、それぞれ地形も歴史も異なる。
安房は、黒潮の分流が館山湾に入り込む温暖の地で、遠い四国の阿波と黒潮でつながっている。
安房の国境を画す山地は、標高こそ低いものの、隆起高度は3000mにも及ぶということで浸食がこうも激しくなければ、日本アルプス級の山脈になっていたという。

丘陵地帯が多い中部の上総は、相模の三浦半島が指呼の先で、旧東海道は三浦半島から上総に達していた。
今では東京湾アクアラインが上総と神奈川を結んでいる。
半島中央部にある磁場逆転層の上の地層が地質年代の第四紀更新世中期(に相当)の時代名として「チバニアン期」と命名された。

下総のあちこに見る浅い谷地形を利用した田んぼは”谷津田”(やつた)という名称で(写真は谷津田の模型)、独特の風景と民俗を発達させた(そういえば千葉の近くに「谷津遊園」っていうのがあったな。谷のことを”ヤツ”というのは相模も同じで、鎌倉の地名にも多い)。

また千葉県に生えているツチアケビというアケビ(植物)は、なんと自分たちの根にからんできたキノコを食べるという。
木はもちろん昆虫をも食べるキノコ(菌類)より強い植物があったとは。

というわけで、千葉県の何たるかが、じっくり学べてとても充実して、なんと見終るのに3時間もかかった(今は午後3時)。

次なる郷土博物館はバスで戻るのだが、あの遠いバス停に達する目の前でバスが行ってしまった。
街中なので次のバスは10分後だが、ネットナビで目的地を検索すると徒歩9分で行けるので迷わず歩く。
千葉市立郷土博物館は台地上の亥鼻城趾にあるためか、天守閣を模した作りになっている(写真)。
こちらは誰でも入館無料。
今は千葉常胤(「鎌倉殿の13人」の1人)の特集をやっていて、入り口には常胤の幟が並んでいる。
こちらは千葉氏に特化した内容で、あとはどこの郷土資料館にもある庶民の暮らしぶりの展示。
すべてを丁寧に見ていたら時刻は4時半をまわり、職員は閉館の準備をしだす。
こんな時刻なので、加曽利貝塚はもう間に合わないので諦める。

訪れた郷土博物館ではできるだけ刊行されている郷土資料を購入したい。
ただ今回の展示テーマである千葉氏にはあまり興味はないので、ざっとわかればいいと思い、『千葉常胤公ものがたり』という漫画本を購入(180円)。
外に出て、亥鼻城趾の碑のある高台(説明版によると、どうやらここは千葉氏の鎌倉期以来の城ではなく、家臣の原氏の戦国期の城らしい)を巡り、台地下の不動明王の石仏のある所に降りたら、また目の前でバスが行ってしまった。

今日最後の訪問地、妙見本宮神社に歩いて向かう。
途中にある市美術館(浮世絵のコレクションがあるという)にも本当は見学したかったが、こちらも時刻的に無理なので、次回に回す。

妙見本宮神社は名の通り、妙見様を信仰する千葉氏が創建したもので、郷土館の展示に妙見信仰の説明を読んできたばかり。
それによると北極星を意味する妙見様は、神道の神でも仏教の仏や守護神でもなく、道教由来らしいが、仏教化されて「妙見菩薩」と称され、特に日蓮宗で信仰された。
そういう意味では神道とは無関係だが、神仏分離後にここが神社化されたようだ。

拝殿の奥には妙見様ではなく神鏡が飾ってあり、それに向かって礼拝をすませた。
周囲にある摂社を廻ると、三峰や御嶽(霊神像)が祀られて、さらに池には弁天堂もあり、実はかなり雑多な民間信仰を残していることがわかる。
私はこういう場こそ好きなのだが、肝心の神社側は(神社本庁に属しているらしく)それらに対して距離をとっている雰囲気(受験生に人気のありそうな天満宮は大切にしている)。

ここの妙見様の隣は戦後移転した千葉氏菩提寺の大日寺跡があり、まさにここは”千葉”の中心部なのだが、ここから千葉駅まで歩いて14分かかった。

というわけで、初千葉は予定に反して2件の博物館だけで終わってしまったが、
訪れる順序としてはこれが正しいので悔いはない。
千葉の基本はしっかり頭に入ったので、次こそは加曽利貝塚。