今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『世界は「関係」でできている』:量子論と龍樹

2022年03月14日 | 仏教

これは2020年にイタリアで出版された最新の量子論の本(邦訳はNHK出版より2021年)。
伝統的な物質観では矛盾してしまうものの、実証されている”量子論”をなんとか理解したいがために購入した。
※:たとえば以下が伝統的な物質観が通用しない量子(陽子、電子、光子など)現象
①量子は粒子でありかつ波動である:相補性
②量子は複数の場所に同時に存在しうる:重ね合わせ
③量子のペアは互いに影響しあわずに(遠く離れていても)組合せられる:もつれ

量子が”特定の性質をもった物質”という前提であるかぎり、理解不能なのである。
そこで、量子は分子→原子→の先にある究極の物質としてより、モノを可能にするコトとして理解すべきではないか、という視点ができつつある。
※:ハイデガー的に言えば、”存在者”(存在するモノ)を可能にする”存在”(存在するコト)。

この本の著者であるイタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリは『時間は存在しない』(NHK出版)でも知られている。

本書のタイトルから、言わんとする事は予想できるので、理解を確かにするため、本書を読む前に龍樹(ナーガールジュナ)の本(『根本中頌』(中論)の解説本)を読んでおいた。
龍樹は、大乗仏教の基本概念である”空”(くう)、すなわち有でも無でもなく、そのどちらでもある存在の本質を主張した。
※龍樹の実際の論理はこの2倍複雑。空は有と無の両端に対する”中道”であるという。空は有/無の二元論理そのものを否定しているわけだ。二元論理はシステム2の概念的思考そのものが胚胎するバイアス(自覚されない認知的偏り)で、龍樹はそのバイアスを批判しているのだ。

そして事象はこれらの縁起(相互作用)によるものとして、存在の単独性が否定されている(量子はもつれているのが当たり前)。
※:縁起説は、釈尊の頃(阿含経)から言われている。

果たして本書を開いたら、あにはからんや(実はうすうす期待していた)、そのナーガールジュナについて語られていた。

といってもロヴェッリは、仏教にはとんと無縁で、ナーガールジュナについても知人に「読んでみろ」と紹介されて初めて知ったという。
そしてナーガールジュナの著作の英訳(イタリア訳は無いらしい)を読んで、21世紀の量子論者が達した物質観が2千年近く前のインドで主張されていたことに「深い感銘を受けた」という。

肉眼レベルでは物質に見えるものも、その構成要素を突き詰めて分解すると、物質ではなく、相互作用の網の目になるという。
すなわち世界は縁起のネットワークであり、「色即是空」なのだ。
※:般若心経を知っていれば、あえて龍樹を読まなくても空観は理解できる。
さらにロヴェッリは自我の実体視も否定していて、「諸法無我」に達している。

結局、現象として在ること(測定可能性)は実体(モノ)として在ることではない。
今までの科学は、現象の背後に実体があると想定していたのだが、実証科学である量子論でそれが否定された。

このような世界認識(空観)は、ニヒリズムでも懐疑主義でもない。
ロヴェッリ自身、ナーガールジュナの主張を読んで「自身を愛着や苦しみから解き放つ助けとなる」と言っている。
それこそが仏教の目的だ。

本書はこの話題で尽きているわけではないが、関係論という主題部分にナーガールジュナ(龍樹)が燦然と輝いていたので、そこの部分を紹介した。