京都の長楽寺にある秘仏・准胝観音像は、天皇の代替わりの時だけ公開されるという。
今回、その機会に巡りあえたので、公開が終わる16日の前に、名古屋から日帰りで京都に行く事にした。
そう、名古屋からだと京都は日帰り圏。
新幹線(のぞみ)だと30分も乗っていると京都に着く。
といっても訪れるのは久々。
市内の移動はバスが主だが、本数が多いのでたいして待たない。
ただ運賃は市内230円で、都バス(200円)より高い。
駅構内からバスの中まで外国人でごった返している。
やはり中国人が多い。
「祇園」でバスを降りて、八坂神社内を通り抜け、東山山陵の懐ろにある長楽寺へのゆるい登りの道を進む。
拝観料を払って石段を登ると本堂がある(写真)。
緑に囲まれた素朴なたたずまいで、むしろ鎌倉的風情。
私の前にいた中年女性が本堂前で神社式の参拝をしていたので、 いくらなんでも座視できず、
「お寺では手を合わせるだけです」と仏式参拝の作法を教えた。
さて、堂内の中央に、秘仏准胝観音が開帳されている。
さすが、日頃公開されている前立の准胝観音像と見比べると、造りの精度が違う。
そもそも、准胝観音ってあまりお目にかからない観音様だ。
手が片側で9本ずつあるので、略式の千手観音を彷彿させるが、面は一面だけ。
天皇の代替わりに公開されるので、京都御所にいた頃の天皇はその機会にこの准胝観音を拝んだそうだ。
明治以降の天皇は、国家神道に束縛され、仏詣すらできない。
この寺の収蔵庫には一遍上人を始めとする遊行上人像などがあり、もともと平氏の建礼門院ゆかりの寺なのだが、時宗(じしゅう)ゆかりの寺にもなっている。
この他建礼門院の寺宝(安徳天皇着用の衣で造った幟が痛々しい)や庭園もあり、結構充実した拝観だった。
山門を下って左側に入ると、大谷祖廟で親鸞上人の廟所。
一応参拝した。
さらに下って円山公園を北に脱けると、浄土宗の本山・知恩院に達する。
どでかい山門をくぐり、石段を登るとこれまたどでかい御影堂、さらに奥にはこれまたどでかい鐘もある。
いかにも京都の本山っていう威厳。
鐘楼から外に出ると、法然と親鸞が出会ったという吉水の安養寺(時宗)。
かように、このあたりは法然、親鸞、一遍と続く浄土門ゆかりの密集地。
この先に「吉水弁天堂」があるので、立寄ると、入口に鳥居があり、堂内中央には、神鏡が飾ってある。
ところが、祈りには弁財天の真言(オン・サラスバティ・ソワカ)を唱えよと書いてある。
まさに神仏混交だが、弁財天は仏教に組み込まれたヒンズーの神。
少なくとも、神道の神ではない(神道も、本来はなんでもありだから)。
長楽寺からの道と合流して再び円山公園にもどって、ここから南に折れて高台寺に向う「ねねの道」を歩く。
そういえば、高校三年の修学旅行で、祇園から円山公園を抜けて清水寺まで歩き、その道の風情が気に入ったのを思い出した。
周囲は観光客でごった返し、レンタルの浴衣を着た若い女性(ときたま男性も)が目につくが、
話す言葉は中国語(他の外国人は会話の音が耳まで届かない)。
和服ってシンプルながら、それなりの服装美を実現できているから、外国人もあこがれるのだろう。
今回は清水寺まで行かず、途中で西に下って、八坂の塔に向う。
五重の塔の向いの八坂庚申堂には若い女の子が密集しており、「くくり猿」を願掛けに奉納している。
庚申堂は願い事が書かれたくくり猿(布製の球にしかみえない)でカラフルに飾られている(写真)。
そういう私も庚申様は好きなので、三猿像(庚申のつかい)の焼物を買った。
バスの通る東大路に出ると、通りの向こうは建仁寺なので、その塔頭である禅居庵に向うため、通りを横断。
禅居庵は建仁寺の塔頭の中でも庶民に公開された所で、摩利支天を祀っているのだが、
ここにわれらが小笠原流礼法の開祖・小笠原貞宗公の墓所があるのだ。
ただし今回は長楽寺のついでにたまたま足を伸ばしたので、墓参の用意をしていない。
摩利支天参拝用の線香を拝借して(もちろん賽銭投入)、火のついた線香二本を墓前に置いた。
ここから宮川町の茶屋街を脱けて(舞子さんにはお目にかかれず)、鴨川を渡り(さすが京の町は川に背を向けていない) 、河原町松原からバスで京都駅に戻った。
京都は密度が高いから、かような日帰り散策でも充分楽しめた。
そういえば、まだ訪れていない所がたくさんある。
これからも時機を選んで訪れるようにしたい。