今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

瞑想の2種類:多重過程モデルによる

2018年02月07日 | 心理学

私が向おうとしているサイキック・スピリチュアルな領域は、既存の「二重過程モデル」(システム1とシステム2)では説明できないが、その拡大版である「多重過程モデル」(私の最新論文(2018)では「四重過程モデル」と称しているが、さらにサブシステムが増える予定なので、数を限定しない名称にする)では、説明可能であることがわかってきた。

ただしこの話題は、まだ前学問的なレベルなので学術論文にはできない
そのため、本ブログで、その幾つかを紹介する。
※→論文にしました!「心の多重過程モデル」(2019)
まずはこの領域の基本である「瞑想」から。 

瞑想は、通常の意識状態ではない覚醒状態、すなわちシステム2主導ではない心の状態を実現するものである。
意識(システム2)とその補集合(システム1)しか想定していない従来の心理学(二重過程モデル)に対して、私の「多重過程モデル」ではシステム2の意識に代わる状態を複数示すことができる。
すなわちシステム1(無意識)とシステム3(メタ意識)である。
いいかえれば瞑想を、システム1的瞑想システム3的瞑想とにきちんと区別できるところがミソである(→文末に追加情報)。 

●システム1(潜在意識)志向の瞑想は、変性意識状態(トランス)を目指す。
システム2(意識)の活動水準を低下させて、潜在しているシステム1を解放するためである。
これは自己催眠状態であり、まさに睡眠時の夢見と同じく潜在意識の活動が主体となる。
ただそこでの異様な体験は、夢でのそれと同じく、潜在意識内の幻影(脳内再生)現象にすぎない。
夢がそうであるように、それは自我で制御できない妄想的体験である。
なので、この体験だけで自己超越ができたと思ってはならない。

オウム真理教で信者が懸命(強迫的)にやっていた瞑想はどうやらこのタイプである。
システム1の体験を受け取る(解釈する)システム2がそもそも妄想的思考に陥っていれば、妄想の悪循環に陥る。
このような悲喜劇はオウム真理教だけではない、今後も繰り返されるだろう。

●一方、システム3(メタ意識)志向の瞑想は、マインドフルネス(気づき)を目指す。
システム2が主体であることを降り、システム2(思考)を眺める高次の視点を実現する(もちろん、システム2が無視していたシステム1もシステム0も眺めの対象となる)。
この瞑想では、意識水準が通常以上にクリアになる(ハイパー覚醒)。
すなわちシステム1的瞑想とは逆方向の状態である(この違いが重要)。
ただし思惟されるのではなく観照されるのみである。
システム3はシステム2の妄想的思考から自由になり、八正道の「正見」を実現することにつながる。
それを実現できた者を「覚者」(buddha)という。

以上から、システム1の潜在意識を解放するには、それを受け取るシステム2が正しく作動していることが必要となる。
そのためにはシステム2を客観視できるシステム3の作動がまた必要になる。
言い換えれば、あやふやなシステム2下での安易なシステム1瞑想は危険ですらある。
回り道のようだが、釈尊(ゴータマ)が示したように、システム3瞑想を先に修得した方がよい。

ただし既存の(仏教的、認知行動療法的)「マインドフルネス」は、システム3の実現が目標で、システム1の解放には関心を示さない(気づくだけのシステム3では解放・開発という能動性は示せない)。
それに対して「心」の十全な活性化を目指すわが「多重過程モデル」では、われわれが本来備えている心の能力であるシステム1(潜在意識)の解放・開発も目標のひとつである。 

ということは、システム間の相互作用も考慮する多重過程モデルでは、システム3瞑想とシステム1瞑想は背反的なものではなく、それぞれが目的・役割の異なるともに必要な瞑想で、むしろその使い分けこそが必要なのだ。
その使い分けの原理は、システム3すら対象化するさらに高次のシステム4にある。
ただしシステム4については論文にしておらず、きちんと説明していない(本ブログには言及してある)。
実はシステム4の探究のため、サイキック・スピリチュアルな領域に向っているのだ。

追加: D.クリーガー『セラピューティック・タッチ』(春秋社)に附録されている実験論文によれば、瞑想には従来知られていたα波・θ波主体の瞑想(変性意識状態)があるが、実験の被験者となったクリーガー自身によるセラピューティック・タッチ施術中の脳波は、β速波主体であり、これはセンタリング(意識集中)というもうひとつの瞑想状態によるものであるという。これはシステム3の瞑想(ハイパー覚醒)に相当する。