今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

福島市の今の線量ってどうか

2014年03月07日 | 東日本大震災関連

今年の3.11が近づいてきたせいか、ここ最近は、テレビでも被災地の現状がよく紹介されている。

たとえば、今日のNHK「あさイチ!」で、福島市の線量が0.20μSv/hで、市民はもう気にしなていないという内容(一方、二本松市では気にする母親グループの紹介)だった。

0.2μSv/hという値は、原発事故直後の東京の最高値(私の実測)に等しく、また日本の高放射線帯である東濃(岐阜県多治見市~中津川市)の私の実測値にほぼ等しい。
もちろん、当時の私の判断で東京の値は逃げるには値しなかった。

東濃はもちろん原発事故とは無関係で、地中からのラドンガスが太古の昔よりずっとこの値を出し続けている(いずれ福島市はここより下回る)。
ラドンガスの危険性を高く評価するなら、肺がんの死亡率が高くなるはずなので、東濃住民の「悪性新生物」による自治体単位の最近数年分の死亡率を、岐阜の他地域と比較したが、特に高いという結果ではなかった。
すなわちこの値は健康被害を心配するには及ばない。

ただし、重要な点が等閑視されている。

この値は空気中のγ線であり、地表のβ線(α線も)の存在が無視されているのだ。

東濃と東日本との違いは、このβ線にある。

すなわち、空気中の値は東濃と福島で差がないが、セシウムなどが付着している福島の地面のβ線はずっと高いはず。
β線の汚染分布は非常に複雑で、一軒の家の周囲でも異なり、いわゆるマイクロスポットを形成する。
場所によっては空気中(地上1m)より10倍は高い(地表1cmでの値)。
β線が高い所では、地面に触れた部分は空気中より汚染される。
地面に触れた手が口内に入ると体内でα線による内部被曝の恐れが生じる。

二本松市のグループの人も、γ線の評価だけで、β線・α線に対しての懸念がなかった点が気になる。

逆に言えば、建物も透過して防ぎようがないγ線と違い、透過性が極端に低いβ線・α線被曝は自覚すれば服一枚で防げる(白い防護服はこのために着ている)。
だから、小さい子を裸足で歩かせない、地面を素手でさわらせない、風の強い日は土ぼこりを吸わないようマスクをさせるなど、きちんと”自覚”して対応することが必要なのだ(内部被曝の”恐怖”をいたずらに煽られないように)。

ホントは、自宅周辺・生活圏で地表のβ線を計りまくり、マイクロスポットを確認しておけば、そこ以外では神経質にならないですむ。
γ線しか測れない線量計ではこれができない。

追記:よく考えてみれば、福島県民は放射線と健康について専門家のレクチャーを受けていないはずがない。γ線とβ線の区別がつかないのは在京マスコミだけなんだろう。


埼玉の存在感

2014年03月05日 | 

昨年末から今日までの自分の東京発の山や旅の行き先が、
ことごとく埼玉(小川町、和光市、長瀞町、飯能市)になっている。
これは偶然なのか、それとも埼玉が私を呼び続けているのか。

そもそも埼玉って、東京人(生まれも育ちも)から見ると
同じ武蔵の国という同国意識がありながら、武蔵国府は東京の府中だし、大発展しているのは東京・横浜の2大都市(人口で全国1位、2位)+100万都市川崎がある南武蔵なので、埼玉となっている北武蔵は、失礼ながら”武蔵の残り”という感覚になってしまう。
その点、千葉は、下総・上総・安房の三国が並んだ異(い)なる国であるため、同国意識がない分、存在感がある。

東京人にとっての埼玉は、東北や上信越への旅の最初の通過点でしかなく、荒川の鉄橋を越える際に「東京から出た」と思った後は、車窓からも目をそらしてしまう。

一見かように存在感がない埼玉だが、私が高校時代を送った西多摩では、銀行は「埼玉銀行」(当時:今のりそな銀行)で、外食で食べるうどんは「山田うどん」だった。
東京西部には埼玉が自然に入り込んでいたのだ。
今でも、都内で手ごろな中華を食べる時は「日高屋」に入る。
練馬に住んでいた知人は西武ライオンズファンだし、
所沢から乗ってくる西武線の乗客は皆池袋まで降りない。

すなわち、東京が川上で埼玉が川下なのではなく、
荒川の流れと同じく、埼玉が川上で東京が川下なのだ。

数年前に行田に行った時、地元の「行田フライ」なるものを初めて食べ、自分の知らない埼玉があることを痛感した。

実は今日、雨の奥武蔵からの帰途、傘を持ってこなかったので、
乗り換える飯能で途中下車して、駅ビル(ペペ)の100円ショップで折畳み傘を買い、
そのついでに書店で『漫画うんちく埼玉』(比古地朔也)を購入し、
帰りの西武線内で楽しく読んだ。
地元の書店てこういう地元本が置いてあるからいい。
この本から”埼玉にとっての東京”を見事に言い表したセリフを引用する。

「かつて一体だったわが身から江戸・東京を切り離し、常にその成長に尽くし、困ったときはいつでも受けとめる。それが埼玉」

埼玉に存在感がないのがこの理由だとしたら、東京はその縁の下の力に感謝しなければならない。


奥武蔵の旅1

2014年03月04日 | 山歩き

実質的な春休みに入ったので、東京発の温泉旅に行きたい。
2泊なら山形の肘折温泉に決まりなのだが、
週末に名古屋で用事があるので、1泊しかできない。
あれこれ迷った結果、休暇村の中で一番最近にオープンした宿「奥武蔵」(埼玉県飯能市)を選んだ。

ただ場所は西武池袋線終点(実質的には西武秩父線)の吾野(あがの)にあるので、観光地でなく、観光地の近くでもない。
周囲にはハイキングコースはあるが、”百名山”級の山はなく、
首都圏からは楽な日帰りコースばかり。
すなわち、首都圏から泊まりに行くような場所ではない。
そんな所に休暇村をオープンして大丈夫なのかと心配したくなるが、
それが逆に、”隠れ家”感を唆(そそ)るものでもある。

日帰り圏の旅先であえて泊まることはもともと厭わない。
なぜなら、日帰りでは絶対経験できない、その地の夜や朝の情景を味わえるから。
出発や帰宅を急ぐ必要がない点も余裕がもてていい。
ただ、奥武蔵地域は、日帰りハイクの山々に囲まれた所なので、元”山ヤ”としては泊まる日の昼や翌日も山歩きをしたくなってしまう。
ただ両日とも山をやると、山ヤ根性は満足する代わりに、「のんびり温泉旅」というメインコンセプトから外れる。
そちらの基準では、わざわざ疲れに行っては意味がないのだ。

そこで妥協案として、泊った翌朝に朝からハイクをし、行きはものすごく軽い歩きを加えるだけにした。
私の「のんびり温泉旅」では、いつも早い15時にチェックインして、
部屋でのんびりパソコンを開き、寝る前はDVDで映画鑑賞にひたるのを旨としている。
なので、装備はリュックでも中にノーパソ(MacBook Air)を入れ、靴は山用。

往きは軽い歩きだけなので、昼頃家を出発。
まだ雪が残る吾野で降り、まずは駅裏の「吾野湧水」を水筒に詰め、
吾野と休暇村の中間に位置する「秩父御嶽神社」に登る。
数えきれないくらいの石段を登って、山頂直下の神社本殿に着いた。
けっこうな登りだったので額には汗。

この神社から休暇村方向に下りの山道が地図に載っている。
ただしその道はいわゆるハイキングコースではないので、事前の情報は何もない。
踏跡や積雪状態が不明だが、GPS地形図(sonyのnav-uとipadmini内の地形図)を持っているので、
それをたよりに神社の裏手から山道を進む(山の経験者なので不安はない)。
まずは「御岳山」(370mほど)の小さな山頂に達した。
山頂の木には「休暇村奥武蔵」を示す手書きの標識があり、
それが示す先にはかすかな山道が山を降りている。
降雪後のため踏跡はないが、ほぼ一本道なので迷わず下る。

北向きの尾根だが、樹木が疎いので残雪もそれほどでなく、
麓の朝日稲荷神社の境内に降り立った。
ここを抜けたら、休暇村奥武蔵の裏側に出た。
目論見どおり。

まずはチェクインして、リュックを置いて、とりあえず近所の吾野集落に足を伸ばす。
日帰りハイクでは絶対素通りするような所をこそ、泊り旅では歩きたいのだ。
宿から川向こうの車道を歩くと、宿の背後には登ってきた御岳山の奥にそびえる吉田山(445m)が意外に立派(写真)。
龍岩公園にある雨量計を眺め、地名の由来となったと思える我野(あがの)神社に詣で、宿に戻る。

部屋はツインベッドの洋室で、フローリングが新しい。
奥の2脚の椅子には薄い畳が敷かれ、広々とした和洋室的しつらい(写真)。ツイン洋室
休暇村三国(福井県)もこんな感じだった。
とにかく新しくて気分がいい。
ここが温泉だったら、観光基地として滞在したい。

夕食は、あえて皿数の少ない「ヘルシーディナー」にした。
オードブルと肉料理で3皿つき、あとはハーフバイキング。
バイキングのメインは天ぷらで、エビ、ナス、イモ、葉物4種を目の前で揚げる。
他はサラダやデザードが主で、おかずは数えるほどだが、
ロールキャベツがあったので私は天ぷらと合わせてそれで足りた。

さて湯だが、「こもれびの湯」という名で、
日帰り客も受け入れているようなので、
てっきり温泉だと思って行ったら、分析表がない!
サイトを確認したら、確かに「温泉」だとは明記していない。
温泉ではなかったのだ。
「のんびり温泉旅」のはずが…
せめて、遠赤外線効果のあるナントカ石でも浴槽に入れておけば、
少しは有り難みが増すのに(そうしている風呂なら、心理的に温泉扱いできる)。

実際水質検査をしてみると、確かに水道水とほとんど変わらない。
異なるのは遊離残留塩素が”強い”点だけ(1.0mg/l,通常は0.0)。
まぁ、殺菌効果はあるのかな…
湯から上る時は、きちんとかけ湯をして塩素を落しましょう。

ところで、明日は雨なんだね…

泊り旅の欠点は、一週間前には予約することもあり、
翌日雨だからといって勝手に変更できない点だな。


中近>遠近

2014年03月03日 | 生活

近視でメガネをしていた人間が老眼になると、やはり近くが見えにくくなる。

老眼初期なら、近くを見る時だけメガネを外すが、老眼が進むと裸眼でも無理になる。

そこで「遠近両用メガネ」の登場となるのだが、実用的なものを選ぶと、レンズの上下幅が広い、
いかにも老人的メガネとなってしまい(サングラスならそれもいいのだが)、しゃれっ気のある人には抵抗がある。

ところが普通幅のメガネにすると、視野正面で遠方を確保するために、焦点距離の段階が多重となる”近く”が犠牲になる。

運転専用ならそれでいいが、パソコンを見、本や腕時計を読むには支障があり、結局、”近く”用の単焦点のメガネも併用することになる。

私も外出では遠近両用をかけ、帰宅後は近く用にと使い分けていた。

ところが、中近両用メガネを試行錯誤で幾度も作ってくうち、

運転に支障ない程度に”遠く”が見え、しかも日常生活で最も”近い”腕時計も読める状態を確保できた。

これならこれ1つで生活できる。

なので遠近両用は不要と判断し、今まで使っていた遠近両用メガネもこれとほぼ同じ中近両用に作り替えた。

現代生活では遠目より近目の方がよく使うから、結局この方が生活に合う。

ちなみに私の場合、左目は元来近視で焦点が近くに固定されており、

右目は正常だったが白内障手術で人工水晶体にしたため遠くに固定されている。

すなわち両目とも水晶体の調整ができないのだ。

中近両用メガネで、私の左目でもそれなりに遠くが見え(右目には劣るが)、右目でも腕時計が読める(左目には劣るが)。


失敗の専門家

2014年03月01日 | 失敗・災難

私のポカは昨日の記事で終わらなかった。

今日は、一年で最も重要な教授会である「卒業判定教授会」。

そのために数日前から名古屋に帰っていた。

そして今日、早めに大学に行き、教授会が始まるまで研究室で待機した。

そろそろ始まる頃と思い、会議室に行ったら鍵がかかって入れない。

照明は切れて、中には誰もいない。

事務室に行ったら、会議開始は3時間前で、もちろんとっくに終わったという。

事務室の職員は皆、私の顔を見て笑っている。

その瞬間、私は強烈なデジャブー(既視感)に襲われた。

いやデジャブーではない。

昨年も私は今日とまったく同じ行動をして判定教授会に出られなかったのだ。

2年続けて、同じ失敗をやらかした。

その理由はすぐにわかった。

自分のスケジュール管理はパソコン・タブレットのカレンダーソフトでやっている。

年一度の定例行事は、一度入力したものを「毎年」で繰りかえしにしている。

昨年の「判定教授会」の開始時間の入力を3時間間違えた。

そしてそれをそのままにしたので、今年も同じことをしてしまったのだ。

かように、私は次から次へと失敗する。

なにしろ我がブログのカテゴリーに「失敗・トラブル」を設けたくらいだ。

ただし、失敗をしても、ただでは起きないのが私。

自分が犯す失敗を分析し、再び繰りかえさないよう対処行動を考える。

まず、昨日の記事で示した、事業収入は今後は計算ミスをしないように、エクセルの集計欄の隣に入力額の半額を自動出力する欄をつけた。

菓子を入れる袋は、食べ終わった空き袋を入れるのは透明の袋にし、買ったものは白い袋と色別にして、食べ終わってない菓子を間違って捨てることがないようにした。

そして今日の判定教授会については、忘れないうちにカレンダーソフトの来年の開始時間を訂正した。

ミスをしたあと、どうすればそれを防ぐか考え、即座に実行する。

その対処行動を繰りかえして、ノウハウを蓄積していく。

きっと私は、失敗をいかに防ぐかという”失敗学”の専門家になれる。

一人の失敗だけで、専門家になれるのかって?

私はそもそも、”失敗”の専門家なのだよ。