昨年末から今日までの自分の東京発の山や旅の行き先が、
ことごとく埼玉(小川町、和光市、長瀞町、飯能市)になっている。
これは偶然なのか、それとも埼玉が私を呼び続けているのか。
そもそも埼玉って、東京人(生まれも育ちも)から見ると
同じ武蔵の国という同国意識がありながら、武蔵国府は東京の府中だし、大発展しているのは東京・横浜の2大都市(人口で全国1位、2位)+100万都市川崎がある南武蔵なので、埼玉となっている北武蔵は、失礼ながら”武蔵の残り”という感覚になってしまう。
その点、千葉は、下総・上総・安房の三国が並んだ異(い)なる国であるため、同国意識がない分、存在感がある。
東京人にとっての埼玉は、東北や上信越への旅の最初の通過点でしかなく、荒川の鉄橋を越える際に「東京から出た」と思った後は、車窓からも目をそらしてしまう。
一見かように存在感がない埼玉だが、私が高校時代を送った西多摩では、銀行は「埼玉銀行」(当時:今のりそな銀行)で、外食で食べるうどんは「山田うどん」だった。
東京西部には埼玉が自然に入り込んでいたのだ。
今でも、都内で手ごろな中華を食べる時は「日高屋」に入る。
練馬に住んでいた知人は西武ライオンズファンだし、
所沢から乗ってくる西武線の乗客は皆池袋まで降りない。
すなわち、東京が川上で埼玉が川下なのではなく、
荒川の流れと同じく、埼玉が川上で東京が川下なのだ。
数年前に行田に行った時、地元の「行田フライ」なるものを初めて食べ、自分の知らない埼玉があることを痛感した。
実は今日、雨の奥武蔵からの帰途、傘を持ってこなかったので、
乗り換える飯能で途中下車して、駅ビル(ペペ)の100円ショップで折畳み傘を買い、
そのついでに書店で『漫画うんちく埼玉』(比古地朔也)を購入し、
帰りの西武線内で楽しく読んだ。
地元の書店てこういう地元本が置いてあるからいい。
この本から”埼玉にとっての東京”を見事に言い表したセリフを引用する。
「かつて一体だったわが身から江戸・東京を切り離し、常にその成長に尽くし、困ったときはいつでも受けとめる。それが埼玉」
埼玉に存在感がないのがこの理由だとしたら、東京はその縁の下の力に感謝しなければならない。