3年目の3.11。
今回は大学で会議の日に重なったので、2年連続行った東京の九段の慰霊会場に今年は行けない。
なので、名古屋の地から、あえて冷徹な第三者的視点で記す。
福島原発の周辺自治体の復興という以前に住民帰還の問題がそろそろ大詰めになっている。
ただ、若い人を中心に、帰還を諦めている人が増えている。
本当なら、皆で一緒に他の土地へ集団移転するのがいいのかもしれない。
ただ、現代市民社会で”集団移転”という政策は、元の居住地が物理的に居住不可能でない限り、難しい。
江戸時代なら、壊滅的被災地は「死地」とされて、お上の命令で住民は集落単位で集団移住したのだが。
現代では、幾度も津波被害に見舞われた三陸地方でさえ、沿岸から高台に移転させるのに手間取っている。
ましてや福島原発の周辺地域では、まずは自治体そのものが住民の帰還を切望している。
故郷に戻りたいという気持ちがあることは、同じ人間として重々分っているが、
原発周辺の自治体については、自治体レベルの集団移転こそ、すなわち、故郷そのものの移転こそ最善策(というよりそれしかない)であると、ホントはわかっているはず(代替地をどこにするかという難問はその次の問題)。
そもそも除染の着手が遅すぎたわけだが、除染した残土を域外に拡散するのでなく、むしろ集中させて管理すべきであることも、自分の故郷の問題としてでなければ、皆わかっているはず。
復興がなかなか進まないのは、個人、自治体、国の間でのそれぞれの利害、優先順位が異なっている点もある(総予算が足りないわけではないが、配分が問題)。
むしろ、このままではなし崩し的に”故郷”が消えていってしまう。だって故郷(双葉町、大熊町、浪江町の一部)は実際には「死地」だから。
故郷が死地でしかないなら、絶望しかない。希望は、死地以外の所にしかない。
集団移転が無理なら、しばらく故郷はバーチャル化して心の中に閉まって、
実際の故郷の地には、セシウム137の半減期を頼りに数十年以上かけて年配者から戻ってくるようにするしかない。
今年来年のうちにメドなんてありえない。それも本当はわかっているはず。
一方、津波の常襲地帯である三陸の岸辺は、漁業基地としての利用以外は、定住はすべきでない(気仙沼に行ったら、縄文時代の住居跡は高台にあった)。
高台の宅地化という大規模工事が必要。
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