今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

東京慰霊堂で関東大震災を回顧

2011年09月01日 | 東京周辺
防災の日の今日は、関東大震災が起きた日。
死者・行方不明者14万人を超す、桁外れの大災害だ。
なぜ桁外れの死者を出したかというと、
地震後の大火災、とりわけ本所の陸軍被服廠跡に集結した4万の避難者を焼き尽くした火災が大きい。
その被服廠跡に建立されたのがこの慰霊堂。
両国駅から江戸東京博物館を抜けた北側にある。
仏教的慰霊堂なので、都など地元自治体は戦後は直接タッチできず、今は財団法人が運営している。
行った時は法要が終わったところで、焼香を済ませる。

敷地内では、起震車などのイベントブースがあり、敷地の外には縁日のような出店が並んでいる。
また、昭和初期建築の復興記念館があり、中で遺品や被害状況がわかる。
震災直後の状況を絵と文し記した竹久夢二の「東京災難画信」展集も開催されており、それを冊子にしたものを買った。
建物の脇には、火災の熱で溶解・湾曲した当時の構造物などが並んで、不謹慎ながら現代アートのオブジェかと見まがう(写真)。
敷地内にはその他に、流言蜚語が元で殺された朝鮮人死者の慰霊碑や、その後の空襲で死亡した人の名簿を納めた建物もある。

当時の本所区での死者のほとんどは性別不明とのことで、ほとんど炭化した状態なのだろう。
翌日の被服廠跡は、夢二の表現を借りれば、「死体の海」(”山”ではない)であったという。
この死者数、その後の数回の大空襲での数とほぼ同数である。

こうして見ると、今年の震災もそうなのだが、地震動そのものによる死者より、その後の二次災害による死者がきわめて多いということだ。
つまり、地震後に迅速で適切な避難行動を取っていれば、回避できた犠牲なのだ。