今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

南相馬市の悲劇

2011年09月30日 | 東日本大震災関連
南相馬市の緊急避難措置がやっと解除された。
線量的には、それに値する地域ではなかったのに、原発からの”距離”だけで判断された結果だった。
線量的には、南相馬市は、福島市や郡山市並かそれ以下だ。
4月に南相馬市街にボランティアで入った人によれば、当時でもう空気中は1μSv/hを下回っていたという(市の南西部だけは値が高いが市街地からは遠い)。
本来なら津波被害からの復旧が急がれるべきなのに、強制的に”死の町”にさせられたのだ。

逆に、原発から北西に離れた飯舘村の南部は、緊急避難に値する線量であったにもかかわらず、距離だけで判断された結果、高い放射線量の中、5月末まで野放しにされた
(今日のニュースで飯舘村の土壌からプルトニウムが検出されたという)。

3月の事故当初は、確かにチェルノブイリと同じく距離による判断しかできない。
しかし、その後は実際の線量によって”正しく”判断できたし、すべきだった
(この疑問については5月くらいからこのブログで論じている)。

”計画”に則って、原発が"冷温停止"状態になるのを待っていたのだろうか。
官僚思考の人たちが責任を取りたくなかったのだろう。
その半年間の無為無策のツケは、生活の破壊という形で福島県民にのしかかった。

それにしても、除染が遅々として進まない。
というか悠長に構えすぎ。
放射性セシウムによる汚染下では、年間被曝量が増え続ける一方なのに、
なんで除染計画が”年”単位なのか。

これは地元自治体や東電に責任を押しつけることで、迅速に解決できる問題ではない。
”国土”の問題だ。
日本全体の技術力・財力を動員すべき問題だ。
それは被災地のみを利するために、他地域が犠牲になることではない。
国を挙げての”復興”(大規模公共事業)こそ、我が国全体の景気回復の起爆剤なんだが。