以前、記事にした「霊が見える」という現象の事例報告が論文(「『霊が見える』という現象の事例報告とその批判的・現象学的検討」)として刊行された。
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論文は学術的な内容なので、ここで簡単に解説する。
本稿は日常的に「霊が見える」という1名の事例について、まずは虚言(嘘)・錯視(誤認)・病理的幻視(幻覚)の可能性の視点から批判的に検討し、それらが認められないことで、次にその11に及ぶ報告例がどのように見えたのか、リアルな視覚対象と対比するため、その現れ方を現象学的に検討したものである。
本例は、件数的・内容的に多彩な霊視覚(「霊視」は”霊で見る”という用法もあるため、”霊を見る”現象に特化するためこう命名)例で、数名分のデータに相当する充実した内容であった。
見えた”霊”の形態は、妖怪的なものからリアルな人間に近いもの、あるいは人体の一部や抽象的な模様まで含まれる(論文中に本人のイラスト:右図はその1例で横断歩道に立つ女性の”霊”。下半身が不明瞭だった点が実在の人物像と異なっていたという)。
また現れの視覚的リアリティもリアルに近い明瞭なものから、不確かなものまで含まれる。
ただ、11例の共通特徴が明確で、いずれも音を伴わず、また視覚者との交渉(コミュニケーションや関わり反応)が見られなかった。
この特徴は、視野欠損に伴う神経症状であるシャルル・ボネ症候群の幻視と同じである。
ただし、本例は視野欠損がなく、また他の幻視の原因となる末梢視覚系および中枢視覚系の病理は見出されていない(特に脳については精密検査済み)。
そして幻視は視覚現象のデフォルトとして非病理的にもあり得る、という立場を紹介している(ただ大抵の健常者が覚醒時※に幻視を経験しないのも確か)。
※:健常者が普通に経験する睡眠中の夢は、聴覚等を伴い、対象と交渉もする立派な幻覚である。
また視覚対象は外界と無関係に視野上に見えるのではなく、外界の3次元空間上に配置されている(例えば視覚者が角運動をするに従って視覚対象のアングルが変化)。
本論は「霊が見える」という現象(霊視覚)を心理現象として認めるレベルでの研究で、「霊が実在する」かどうかに関しては全く言及しない※。
※:私のスピリチュアルな関心もそこにはない。従って本研究はあくまで余興にすぎない。
むしろその議論の材料となる位置づけとしたい(霊が見えない=観測されないのに実在するという主張は、「物語」であって、科学的議論としてはあり得ない)。