新元号令和の初日を迎えた。
事前にアマゾンで令和を奉祝する小型の国旗を買っておいたので、これを玄関前に掲げる(写真)。
素直に祝う気持ちがあるからで、こういう気持ちになったのは生まれて初めてだ(我が家で国旗を飾るのも始めて)。
そもそも昭和天皇については、第二次大戦における戦争責任とその後の人間宣言といういわば責任放棄に対して思う所があり、
素直な気持ちになれなかったが(天皇制そのものには反対でない)、その後の天皇に対しては、何のわだかまりもなかった。
むしろ、平成になってからの天皇(今の上皇)を拝見するにつれ、明治以降に無理やり神格化された天皇ではなく、本来の天皇の姿に近づいた感があった。
天皇家とは結局、あえて民間企業の例にたとえると、日本という国の”オーナー家”だと思う。
実際の経営権は、他の優秀な、あるいは民主的な方法で選ばれた平民出の社長が握るとしても、
その国(とその民)を最も愛し、常にその安寧を心から願っているのが天皇という存在だ。
たとえばわれわれ一般国民は、時には国を捨て他国民となったり、「日本死ね」と口走ったりすることもありうるが、
天皇家だけは、無条件に日本を愛し、最後の一人になるまでこの国と運命を共にするはずだ。
すなわち、この国に対する思いの深さ、「愛国心」の強さは、天皇に及ぶ者がいない。
古代から天皇の儀式(国事行為)はまさにその表現である。
そのような天皇自身の国を愛する思いを知って、われわれ一般国民は天皇に感謝し、親しみを覚え、敬愛する。
なので、過去いかに政治的権力を握っても、このオーナー家にとって替わることはできなかった。
このような存在を歴史的に保持している日本は、世界でも唯一無二の国であり、われわれの誇りである。
だからなおいっそう、天皇の存在を歪めた明治以降の制度、一世一元の制や女性皇族に対するさまざまな制限は見直すべきである。
たとえば元号は、天皇の代替わりとは無関係に、もっと歴史意識にもとづいて決めてほしい(昭和21年に改元すべきだった)し、
女性天皇に対しても、今のイギリスのエリザベス朝、古代の推古朝などがあるように、まったく抵抗ない。
宗教的にも、神道からもっと自由になっていい(むしろ神道が天皇家から離れてほしい)。