博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『円明園』

2007年09月15日 | 映画
『円明園』

TV用のドキュメンタリーかと思って買ってみたら、実は映画作品だった模様。

雍正年間の修築から1860年のアロー戦争の際の破壊まで、再現ドラマによって円明園の辿った歴史を描き出しています。ただ、専門家による説明とかそういうのは全く無いのです(^^;) 

見所はCGで再現された円明園ですね。以前に見たドラマ『宮廷画師郎世寧』では実物大のセットで再現してましたが、こちらは雍正年間、乾隆年間、そして咸豊年間と、その時々の修増築、あるいは破壊された円明園の様子をきっちり再現しております。
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『ローマ人の物語 終わりの始まり』

2007年09月13日 | 世界史書籍
塩野七生『ローマ人の物語29~31 終わりの始まり』(新潮文庫、2007年9月)

今年も文庫版『ローマ人の物語』の季節がやって来ましたが、今回はマルクス・アウレリウスからその子のコモドゥス(映画『グラディエーター』で悪役となった皇帝ですね。この映画については本文でも言及されてます)、そしてコモドゥス暗殺後の内乱を経てセプティミウス・セヴェルスの治世までを扱っています。

通常はマルクス・アウレリウスを五賢帝の一人として数え、この人の時代までがローマ帝国の最盛期とされるのですが、本書ではそのひとつ前のアントニヌス・ピウスの時代に帝国衰亡の種がまかれ、マルクス・アウレリウスの時代には衰退期に入ったとしています。

皇帝となってから先帝の統治のツケを払わされるかのように異民族の侵入に悩まされ、もともと丈夫でない体に鞭を打って治世の多くを前線で過ごし、遠征先で病没することになったマルクス・アウレリウス。若くしてその後を継いだコモドゥスは暴君・暗君ということでとかく評価が低く、『グラディエーター』や『ローマ帝国の滅亡』では父親を暗殺して、本来他の有能な将軍に与えられるはずだった帝位を奪い取ったということになっていますが、本書では実際にはマルクス・アウレリウス生前のコモドゥスには暴君となるような兆候が見られず、帝位の世襲をマルクス・アウレリウス自身も周囲も当然のことと認識していたこと、またコモドゥスに帝位が譲られなければ、後に帝位を巡って内乱が起こっていた可能性を指摘し、彼が即位したことについては弁護をしています。

そのコモドゥスが暴君へと変貌するきっかけとなったのが、即位して二年後の長姉ルチッラによるコモドゥス暗殺未遂事件だったということですが、このルチッラ、『グラディエーター』では賢婦人で弟に虐げられるという役所だったよなあ…… 実際はカリグラの妹でネロの母親の小アグリッピーナと同じようなタマだったようです……

そしてそのコモドゥスも側近に暗殺されてしまいます。過去にカリグラやネロ、ドミティアヌスといった暴君が死んだ時には後継皇帝が混乱を収束させ、帝国を一層の繁栄へと導きましたが、今回の場合は後継となったペルティナクスもあっけなく暗殺。混乱を収拾したセプティミウス・セヴェルスも皇帝としては功より罪の方が勝るというありさま。指導者の交替による自浄作用がうまく働かなくなったというあたりからも帝国の衰退が見て取れます。次巻ではセヴェルス朝を経ておよそ50年の間に20名前後の皇帝が乱立したという軍人皇帝時代へと突入していくはずですが……
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『聊斎 小倩』

2007年09月11日 | 中国古典小説ドラマ
寧采臣(胡歌)は街から街への郵便配達で生計を立てる書生。ある村で宿を求めて寺に立ち寄ったところ、小倩(楊冪)と名乗る美女に出会う。小倩は采臣に親しげに振る舞うが、実は彼女は若い男性を誘惑してはその魂を吸い取るのを生業とする妖怪であった。小倩は采臣の魂も吸い取ろうとするが、朴念仁の采臣は彼女の誘惑になかなか乗ろうとしない。小倩は却ってそんな彼に好意を抱くようになり、采臣も小倩に打ち解けていく。その頃、妖怪達の親玉である黒山老妖が人間の肉体を手に入れ、美女と名高い小倩を妃にしようとしていた……

実はこのエピソード、DVD版では一番最後に位置するのですが、先に見てしまうことにしました。

内容的には『聊斎志異』の小倩というよりは映画版の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の翻案ですね。寧采臣が旅の書生という設定も映画版のそれを踏襲しています。しかし胡歌は『少年楊家将』の楊六郎といい、朴念仁な役がぴったりくる役者ですね(^^;) 小倩役の楊冪は『神雕侠侶』で郭襄を演じていた人ですが、こちらでもひたすらかわいいです。

ドラマの方ではこの二人の恋愛に、采臣を助ける盲目の道士の燕赤霞と、小倩の親分の女妖怪・玉蘭が絡んできます。燕赤霞と玉蘭は、人間と妖怪との恋愛がうまくいくはずがないと采臣と小倩との恋を認めません。しかしこの二人、実はある事件がきっかけでそれぞれ女の妖怪と人間の男性に極度の不審を抱くようになっていたのです。采臣と小倩はそれぞれ二人のトラウマを押しつけられる形で引き離されることになりますが……

ラスボスの黒山老妖との戦いも、中華魔界物の雰囲気を出していてなかなか良いです。このドラマ、ホントにエピソードごとに趣向が見事に分かれてますねえ。
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『大漢風』第49話

2007年09月09日 | ドラマ『大漢風』
冒頭から韓信が処刑され、次いで彭越・英布も粛清されていきます。しかし彭越の粛清は割とじっくり扱われたのに対し、英布の討伐は本人が登場することもなく、字幕だけで処理されてしまったのは何とも…… これまでの出番は英布の方が多かったはずですが。

ここんところ呂雉の言いなりになっている劉邦も、いつの間にか老けメイクになっています(^^;) それで劉邦と呂雉との会話の中で劉邦の年が61になったという台詞があったのが気になりました。劉邦の生年は前256年説と前247説の二説あるのですが、没年は前195年なので、ドラマの方では前256年説の方を採っているんでしょうね。そう言えば韓信の処刑の前にあるはずの匈奴との戦いはすっかり飛ばされてしまってますね。この辺りの展開も期待していたのですが……

で、今回は英布の討伐後に劉邦が故郷の沛に立ち寄ったところで幕引きです。ここでいきなり劉邦と曹姫との息子劉肥が登場したのに驚きました。『史記』曹相国世家によると、英布討伐時に劉肥と曹参が軍を率いて劉邦の軍に合流したとありますから、辻褄は合っているわけですが、やっぱりこのドラマ、史実考証と風俗考証のバランスが恐ろしく釣り合ってないですよ(^^;)  しかし劉肥、大人になってもやっぱり丸々と太ってますなあ……
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中国古装劇の危機?

2007年09月08日 | ニュース
「中国古装劇令観衆厭倦陥入空前低潮」
http://www.news365.com.cn/xwzx/whyyyl/200607/t20060725_1033357.htm

1年以上前のニュースなんですが、2chの武侠関係スレで紹介されているのを見て、興味深い内容だったので取り上げてみることに。

要するに当局が歴史ドラマや武侠ドラマなどの古装劇の放映枠を制限するという通達を出したものの、それ以前にそもそも同じような題材や設定、キャスティングで作品を粗製濫造してきたもんだから、視聴者に飽きられてしまって古装劇の視聴率は下がる一方だという内容です。

確かに最近、呉越の争いをテーマにした『臥薪嘗胆』・『越王句践』がほぼ同時期に放映されたり、『貞観長歌』と『貞観之治』が同じく同時期に放映されたりと(これに至っては題名まで酷似していて、どっちの作品がどう違うのか説明されてもよくわからないと思います……)、おかしいとは思っていたんですよね(^^;) 

日本の大河ドラマと同様、中国の歴史ドラマも舞台となる時代やエピソードは割と限られているようです。まあ、ある時代や題材のドラマがヒットしたら、二匹目のドジョウを狙って同じような作品が次々と作られるというのもあるんでしょうけど。胡歌主演の『射英雄伝』も、李亜鵬主演版から3年しか経ってないのにまたやるの?という感じで槍玉に挙がってますなあ。

それにしても『江山風雨情』ってそんなに視聴率取れてなかったのか…… 内容自体は見応えのあるものだったんですが。まあ、舞台が明末清初というのも思いっきりありがちなんですけどね。
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『聊斎 阿宝』

2007年09月06日 | 中国古典小説ドラマ
Yahoo!動画で『陸判』がアップされてますが、第一話だけが無料で後は有料になってますね…… で、今回は中文DVD版の『阿宝』を鑑賞。

獣医の孫子楚は何事にも一途な性格で、みんなから「孫痴」と呼ばれています。そんな彼が、ペットのオウムを治療したことがきっかけでその飼い主で美女と名高い阿宝(レイニー・ヤン)と仲良くなります。しかしその直後から阿宝は1日が過ぎると前の日の出来事や出会った人のことを忘れてしまうという奇病に冒されてしまいます。子楚は彼女と打ち解けても次の日には赤の他人に戻ってしまうことも厭わず、日々彼女の病気を治すために尽力しますが……

ここまで書くと何だか韓流ドラマか映画っぽい展開ですが、実は阿宝の奇病は茅山派の道姑・苗婆婆の呪いによるものだったのです!! 苗婆婆は街の金持ちの子弟・柴小安の乳母で、阿宝に横恋慕した小安の頼みによって、阿宝と子楚を引き離し、また小安のプロポーズを断った阿宝を辱めるために呪いをかけたのであります。

この苗婆婆を演じるのが往年の名女優の鄭佩佩。何だかもの凄い人材の無駄遣いのような気がしますが、お陰様で苗婆婆の迫力だけは満点です。正直怖いです…… で、ここから物語はこの苗婆婆と、孫子楚に味方する道士・陸本善との道術決戦へとなだれ込んでいきます。

孫子楚が幽体離脱できることとか、阿宝のために指を切られてしまうシーンとか、今までの話と比べて原典のエピソードを最もうまく活用出来ているような気がしますね。この孫子楚を演じているのが袁弘という役者さんですが、『少年楊家将』で遼の大将の耶律斜を演じていた人で、今度の新版『射英雄伝』では楊康を演じるそうです。こういう愚直な性格のキャラも悪くはないですが、やっぱり耶律斜みたいにどことなく陰のあるひねた役の方が似合ってそうですね(^^;)
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『夏王朝』

2007年09月04日 | 中国学書籍
岡村秀典『夏王朝』(講談社学術文庫、2007年8月)

実はこの本、ハードカバー版の方を既に持っているのですが、ハードカバー版の出版以後の発見を補論としてまとめているということで購入。

著者自身も触れているように、中国の研究者が夏王朝の実在を前提に研究を進めてきたのに対し、これまで日本の研究者は夏王朝の存在に懐疑的でありました。しかしここ数年来、この本の著者である岡村氏をはじめ、日本の考古学者も夏王朝の存在を認める論調に変わってきています。

とは言うものの、中国の研究者が『史記』や『竹書紀年』などの文献に見える夏王朝の事績をそのまま考古学研究にあてはめようとしているのに対し、日本の研究者は基本的に文献に見える夏王朝の事績はそのまま史実としては受け取れないが、取り敢えず夏王朝なる王権が存在したことは確かなようだ、だから考古学においても、殷王朝のひとつ前にあったと考えられる王権を仮に夏王朝と呼んでおこうという態度を採っているわけで、夏王朝に対する日中間の認識はむしろ以前より錯綜し、溝が広がっているんじゃないかという印象を受けます……
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『大漢風』第48話

2007年09月02日 | ドラマ『大漢風』
淮陰侯に降格されて以来、鬱々として楽しまない日々を送る韓信。そんな彼に気晴らしをさせようと、樊噲やら周勃やらが彼を饗宴に招きますが、樊噲らと同格となったことが気に食わず、終始ムスッとした表情で酒や料理に手を付けないまま早々に帰ってしまいます。そういうかわいげのない所が韓信の韓信たる所以でしょうか…… 

で、宴会場を出たところでバッタリ月姫と再会。何と彼女は韓信のもとを去った後、道士になっていたのでありました。びっちり道服に身を包み、名前も清風と改めています。この時代、道家思想や神仙思想はあっても道観で修行する道士なんてのはまだいなかったんじゃ……というツッコミが何だか虚しくなってきます(^^;) 韓信はこの月姫改め清風に請われるままに、彼と君姫との間に産まれた男児を弟子として預けます。

一方、張良もやっぱり道服に身を包み、部下の謀反を恐れて疑心暗鬼となった劉邦に助言したりしております(^^;) このドラマ、史実考証は悪くないのに、風俗考証でここまでアラが目立つのはなぜなんでしょうか……

その後、韓信のもとに旧知の陳豨が来訪し、彼に謀反を焚き付けます。で、陳豨が一足先に謀反を起こしたあたりで今回は幕引きです。次回はいよいよ韓信の処刑と相成るのでしょうか。
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【新出金文】五年【王周】生尊

2007年09月01日 | 学術
以前に「西周期の賄賂の記録?」というエントリで紹介した金文、五年琱生尊の釈文・解説がこのほど徐義華「新出土『五年琱生尊』与琱生器銘試析」(『中国史研究』2007年第2期)という論文にて発表されました。

この五年琱生尊に関する正式な発掘報告はまだ発表されておりませんが、劉宏斌「吉金現世三秦増輝 -扶風五郡西村青銅器発現保護親歴記」(『文博』2007年第1期)に読み物調で発見当時の様子などが記載されています。この青銅器の写真や銘文の拓本も(かなり縮小されていて見づらい部分もありますが)劉宏斌論文の方に掲載されています。以下、基本的に徐義華論文の解釈に基づいて(一部独断で改めたところがあります)釈文・訓読・解説を行っていきます。

※ 追記 ※ このエントリのアップ後に、『考古与文物』2007年第4期にて発掘報告 宝鶏市考古隊・扶風県博物館「陝西扶風県新発現一批西周青銅器」が発表されていることを確認しました。銘文の拓本なども掲載されています。また、『文物』2007年第8期にも発掘報告と銘文の解説が掲載されるようです。(2007/9/3)

【凡例】

・銘文中では「中(=仲)」、「白(=伯)」、「且(=祖)」、「又(=有)」など字釈上特に問題が無いと思われるものについては、通仮字で表記してあります。
・Shift JISやUnicodeで表示できない文字については、【林去】のように表記するか(この場合は「林」と「去」のパーツを組み合わせた字ということです。)、あるいは字形が複雑でそれも困難場合はやむを得ず〓の記号を付けました。
・銘文中で字の一部が欠けているものについては、[虎]のように[]付きで字を補い、字が丸ごと欠けていて補えないものについては□で表記しました。
・文中の「集成」は『殷周金文集成』の略。数字は著録番号です。

【銘文】

隹五年九月初吉召
姜以琱生熾五〓壺
兩以君氏命曰余老之(=止)
我僕庸土田多積弋(=式)
許勿使散亡余宕其
參汝宕其貳其兄公
其弟乃余惠大璋報
〓(=婦)氏帛束璜一有司眔
盥兩辟琱生拜揚朕
宗君休用作召公尊
〓用祈〓禄得純靈
終子孫永寶用世享
其有敢亂茲命曰汝
使召人公則明極

【訓読】

隹れ五年九月初吉、召姜、琱生に熾五・〓・壺兩を以てし、君氏の命を以て曰はく、「余老ひたり、止す。我が僕庸土田積多し、式て許す。散亡せしむる勿かれ。余、其の參を宕て、汝、其の貳を宕つ。其れ兄は公、其れ弟は乃」と。余、大璋を惠し、婦氏に帛束・璜一を報ず。有司眔に盥し、兩に辟す。琱生朕が宗君の休に拜揚し、用て召公の尊〓を作る。用て〓禄にして純を得て靈終ならんことを祈る。子孫永く寶用して世よ享せよ。其れ敢へて茲の命を亂すこと有らば、曰はく、「汝召人を使ひ、公則ち明極せん」と。

【解説】

関連する銘文として五年琱生簋(集成4292)と六年琱生簋(集成4293)がある。五年琱生簋が西周後期の某王(おそらくは王)の五年正月、六年琱生簋が同じく六年四月のことを記述しており、今回発見された五年琱生尊はこの間の事情を記述したものです。以前紹介した記事では、この3つの銘文は召伯虎が私田の開発を罪に問われた琱生を裁くことになり、琱生が召伯虎の父母に賄賂をおくって口利きをしてもらい、事無きを得たという内容であったとしています。

劉宏斌論文の方でもそういう見方を踏襲していますが、徐義華論文ではこれを否定しこれらは召公一族の財産相続の過程を記述したものとしています。

これらの銘文の登場人物は以下の通り。
琱生:3つの銘文の主役。召公一族の分家筋にあたる。
君氏:召公一族の宗君(当主)。五年琱生簋・六年琱生簋では公、幽伯とも呼ばれる。
召姜:君氏の妻。婦氏とも呼ばれる。六年琱生簋では幽姜と呼ばれる。
召伯虎:伯氏とも呼ばれる。君氏と召姜の子で、一族の次期当主。五年琱生簋・六年琱生簋で登場。

琱生は琱生鬲(集成744)によると、父親が「宮仲」という人物であり、あるいは君氏(幽伯)と宮仲とが兄弟であったのかもしれません。琱生は師〓簋(集成4324~5)に王に仕える宰の官として登場し、分家筋といえども宮廷内の有力者であったようです。

五年琱生簋では召姜が琱生に、君氏が引退を決意し、土地やそれに附属する人員を、本家と琱生とで3:2あるいは2:1の割合で分割したい旨を伝え、本家を相続する召伯虎も父母の意志に従うことを表明した。

ついで五年琱生尊では、改めて召姜が琱生に君氏の意志を伝え、君氏が老年によって引退するので、土地やそれに附属する人員を本家と琱生とで3:2の割合で分割相続し、弟の家系の琱生が兄の家系の召伯虎(すなわち召公)に従うことが確認された。その間に召姜と琱生との間で贈品のやりとりがなされ、相続の合意に関しては有司、すなわち宮廷の官吏も同席したようです。銘文末尾の「其れ敢へて茲の命を亂すこと有らば、曰はく、『汝召人を使ひ、公則ち明極せん』と」とは、後になってからどちらかがこの合意に背くことがあれば、琱生は領民とともに本家に反抗し、本家は琱生を懲罰するという盟誓の辞です。

六年琱生簋では宮廷の官吏による審査が終わり、事前の合意通りに分割相続がなされたことを記しています。この銘では君氏と召姜がそれぞれ幽伯・幽姜と諡号でもって呼ばれているので、五年九月から六年四月にかけて二人は亡くなったと思われます。

今回紹介した五年琱生尊、そして関連する五年琱生簋と六年琱生簋は細部の読解が確定しにくい銘文なので、今回紹介したような召公一族の相続説が正しいかどうかまだまだ検討の余地がありますが、以前紹介した賄賂説は無理があるような感じです。琱生と婦氏との間の贈品のやりとりを賄賂であると見たのでしょうけど…… ただ、どういう風に読むにしろ、当時の貴族の一族同士の関係を探る上では有用な史料となるでしょう。
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