博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『古事記のひみつ』

2007年09月17日 | 日本史書籍
三浦佑之『古事記のひみつ』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2007年4月)

『口語訳古事記』の著者による『古事記』考証本です。

『古事記』と同時期に編纂されたとされる『日本書紀』と『風土記』がそれぞれ本来中国風の紀伝体史書である『日本書』の本紀・地理志として構想されており(ちなみに列伝については、『丹後国風土記』に引用されていた「浦島子伝」などが列伝として採用されるはずだったと想定しています)、律令国家の要請に応じて編纂されたのに対し、『古事記』にはそのような要素が見出せないというところから、『古事記』の成立年代に疑問を抱きます。

結論を言えば、天武天皇の命により稗田阿礼が旧辞を誦習し、後に太安万侶がそれに従って『古事記』を著述し、和銅五年(712年)に献上したとする『古事記』序は9世紀に偽造されたものであり、実際は『古事記』は律令国家を志向しない立場によって遅くとも7世紀半ばから後半には成立していたのではないかとしています。

以前に読んだ神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』は本書のように『古事記』から古層性を読み取るのに懐疑的である一方で、序文については後代の偽造とは見ておらず、本書とは対極的な立場にあると言えます。門外漢の私にはどちらの立場が妥当であるのか容易に判断しがたいものがありますが、三浦・神野志両氏に互いの主張の論評を聞いてみたいところであります。何か、恐ろしく話が噛み合わないんだろうなあという気がしますけど(^^;)

あと、『常陸国風土記』に見える「倭武天皇」と『古事記』・『日本書紀』のヤマトタケルを比較し、『古事記』編纂以前には歴代天皇の代数や継承の順番が確定されておらず、ヤマトタケルが(あるいは神功皇后も)天皇(大王)であったと見なされていた可能性があり、またヤマトタケルが悲劇的な死を遂げたという話は割と後になってからできたものではないかという指摘は興味深く読みました。著者の「伝承の成長が歴史を変える」、「古代においては、伝承こそが歴史を作る」という言葉はなかなか言い得て妙だと思います(^^;)
コメント
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