博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『夏王朝』

2007年09月04日 | 中国学書籍
岡村秀典『夏王朝』(講談社学術文庫、2007年8月)

実はこの本、ハードカバー版の方を既に持っているのですが、ハードカバー版の出版以後の発見を補論としてまとめているということで購入。

著者自身も触れているように、中国の研究者が夏王朝の実在を前提に研究を進めてきたのに対し、これまで日本の研究者は夏王朝の存在に懐疑的でありました。しかしここ数年来、この本の著者である岡村氏をはじめ、日本の考古学者も夏王朝の存在を認める論調に変わってきています。

とは言うものの、中国の研究者が『史記』や『竹書紀年』などの文献に見える夏王朝の事績をそのまま考古学研究にあてはめようとしているのに対し、日本の研究者は基本的に文献に見える夏王朝の事績はそのまま史実としては受け取れないが、取り敢えず夏王朝なる王権が存在したことは確かなようだ、だから考古学においても、殷王朝のひとつ前にあったと考えられる王権を仮に夏王朝と呼んでおこうという態度を採っているわけで、夏王朝に対する日中間の認識はむしろ以前より錯綜し、溝が広がっているんじゃないかという印象を受けます……

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6 コメント

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Unknown (巫俊(ふしゅん))
2007-09-05 01:25:19
>日本の研究者は基本的に文献に見える夏王朝の事績はそのまま史実としては受け取れないが

日本側の価値観を正確に履行すれば、甲骨文・金文で確認できない殷の事績、
甲骨文・金文で確認できない西周の事績、
金文・盟書等で確認できない春秋の事績、
こうしたものは「史実」から外すべきであると考えます。
(多くのお話が消えてしまいますねぇ)

『左伝』すら信用してはいけないのです。
こうしたことを考えたとき、絶対的に同時代的な「史実」を限りなく求めていくことが、私としてはむなしく空虚なことだと思うようになってきました。

『竹書紀年』に書いてあることをそのまま史実だとする中国側の価値観に、肯定的であるべきだとは少しも思いませんが、
日本側のように正確さを求めて判断を避けているのも副作用があると思います。

日本ではまだまだ「確実な事実」を確認して歴史を是正していくことが、歴史であると考える風潮が多くを占めていますが、
私の考えるところ歴史学においてもゲーデルの不確定性原理を採用して、史料批判の限界を知るべきだと思います。

夏についての伝承や記録は軽んじるべきでなく、そこから何を見出せるかであって、
そして同時代史料で確認できないから夏と呼ぶべきでは無いといった主張はひとつの価値観として留めておくべきで、
我々が二里頭時代を夏と呼ぶことは、我々と夏の間に漂う時間と歴史的記憶の関係がそう呼ばせているということで、肯定すべきであると思います。

殷周の出土史料の研究は楽しみに読ませて頂いていますが、出土史料の研究に手を付けないと殷周の研究に親しめない、と学生たちに誤解されると後々殷周史は損をしていくと思います。

だから、史実か史実でないかということを争っているよりは、伝聞としての夏、殷、周の歴史を世間に知らしめるべきで、夏、殷、周の歴史が東ユーラシアの歴史や出アフリカ以降の人類史を考えるに際して、重要な太古の遺産であることこそを、私は普及させていきたいと考えています。

だから、普通の研究者(?)とは私は価値観が違うかもしれません。
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Unknown (さとうしん)
2007-09-05 21:03:49
>巫俊さま
>こうしたものは「史実」から外すべきであると考えます。(多くのお話が消えてしまいますねぇ)

確かに甲骨金文学者なんかも五帝や夏代に関する記述については懐疑的なのに、殷代・西周期に関する記述は結構信用すると言った具合で、その辺りダブスタと言えばダブスタであります。

私はむしろ、「甲骨文・金文で確認できない殷の事績」・「甲骨文・金文で確認できない西周の事績」については、100%無視するのは不可能としても、もちっと厳しめに見積もるべきではないか、そうすることで却って殷代・西周期の歴史や文化についてこれまで見えてこなかった部分が見えてくるのではないかというスタンスで研究を進めています。「お前はまだまだわかっておらん!」とお叱りを受けるかもしれませんが(^^;)

>出土史料の研究に手を付けないと殷周の研究に親しめない、と学生たちに誤解されると後々殷周史は損をしていくと思います。

殷周革命に関する説話の研究といったような文学・文献学的な視点からの研究ならともかく、歴史学の立場から殷周史の研究に取り組もうとした場合、残念ながら卒論レベルでも出土文字史料に手を付けざるを得ないと思います。専門家の側としては甲骨文や金文に対して親しみを持たせていく努力はしていかないといけないとは思いますが……
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Unknown (川魚)
2007-09-06 12:43:36
よくある意見やと思いますが、
「商」のまえに、そら「王権」はあったでしょう。
で、夏があったとして、そのひとつまえ、、とキリがないのでは。
権力は、何万年もまえからあったでしょうし。
まあ、出土品見て、「王朝と呼べるか否か」なんでしょうね。
「王朝」という段階の意義はやはりあるんかな。
あと、「カ(xia)」という固有名詞は、いっそどうでもよいのでは。

邪馬台国論争も、「ヤマト」なり「ヤマイ」なるクニを求めるより、九州文明と近畿文明の比較するべきでしょう。

話しはずれますが、
悠久の歴史に思いを馳せる一つの手は、
現存する「未開社会」を見ることです。
ニューギニアなんかで、「あ、こいつがヤマトタケルや」とか発見したり。
ヲウスさんは、ちょっと最近すぎるかな。

*先月末ひっこしました。
始め、ネット引いてないのに上網できて嬉しかったんですが、
そのホットスポットを持ってたおっさんが引越したため、
いまは喫茶店でしかネット見れませんw
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Unknown (さとうしん)
2007-09-06 22:01:20
>川魚さま
>で、夏があったとして、そのひとつまえ、、とキリがないのでは。

夏王朝の実在が一層はっきりしたとして、今度は堯・舜、更には黄帝の都城はどこかという話になってきますよね。実際それを追及した論文も多々発表されているわけですが……

>悠久の歴史に思いを馳せる一つの手は、
現存する「未開社会」を見ることです。

実際、上古の制度や文化を研究するうえで、しばしば「未開社会」の民族誌が参照されてますね。「こういう比較もどこまで有効なんやろう」と疑問に思いつつも、面白がって読んでますけど(^^;)
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Unknown (巫俊(ふしゅん))
2007-09-07 06:51:01
>「未開社会」

人類学に比べて、歴史学は時代の違いを重視してきたので、その時代の中で完結した証明が提示できなければ民族誌も高い地位は維持できないですよね。

昔、著名な人類学者の講義を受けてその内容にしきりに感動したことがあるんですが、その先生は世界の隅々の民族誌には通じているのに殷のことは知らないみたいでショックを受けたことがあります。

>もちっと厳しめに見積もるべきではないか、そうすることで却って殷代・西周期の歴史や文化についてこれまで見えてこなかった部分が見えてくるのではないかというスタンス

なるほど、勿論それが大事なスタンスであることは私も疑ってません。
確かに断代史の中で研究するのであれば、今まで以上に厳しく見積もることが成果を得ることになると思います。
私としては、自身が直接基礎研究をする立場に無いからですが、
いずれ基礎研究が済んでしまうだろう未来(数百年後?)の歴史学では、「結局確定することはできなかった」数々の案件が主要な学術テーマになっていると思います。

そうしたことを考えたとき、甲骨文も殷本紀も呂氏春秋も同じ性質の史料として扱われる日が来ると思います。
どうやら今の歴史学では、呂氏春秋<殷本紀<甲骨文の順ですぐれた殷代を伝える史料であると考えられているようですが、
私の考えるところでは、いずれ呂氏春秋=殷本紀=甲骨文で等価の価値の史料として、しかも殷「代」ではなく殷という「概念」について研究する歴史学が出来るのではないかと考えています。

未来に必ず起こるというよりは、私自身の歴史学が時代区分よりも固有名詞に付帯した概念についての研究に関心があるからでありますが、
歴史は死んだ動物の骨に刻まれているばかりではなく、生きた人間の記憶に刻まれたものであり、動物の骨に刻まれているものは人間の記憶です。

人間の記憶であるという点で、甲骨文も殷本紀も同じであり、その記憶の差異はどこから生まれてくるか、ということが一番大事であると私は思っています。
先ほどから話題になってます中国側と日本側の歴史観の軋轢についても、記憶の差異はどうして生まれてくるかということを歴史学が率先して明らかにしていかないと、せっかくの出土史料の研究さえも無残に無視されることになると思いますよ。
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Unknown (さとうしん)
2007-09-07 23:47:45
>巫俊さま
>その先生は世界の隅々の民族誌には通じているのに殷のことは知らないみたいでショックを受けたことがあります。

まあ、そんなもんじゃないでしょうか……

>いずれ基礎研究が済んでしまうだろう未来(数百年後?)の歴史学では、「結局確定することはできなかった」数々の案件が主要な学術テーマになっていると思います。

甲骨金文にしても、史料としての性質から見えてくることと見えてこないことがありますからね……

>どうやら今の歴史学では、呂氏春秋<殷本紀<甲骨文の順ですぐれた殷代を伝える史料であると考えられているようですが、

同時代史料である甲骨文はともかくとして、殷本紀と『呂氏春秋』とではそんなに扱いは変わらないと思います。成立年代では『呂氏春秋』の方が早く、また諸子の記述を集めた彙編という性質上、いい意味で妙な記述が目に付いたりしますし。河南省の長子口墓が微子啓の墓だという説の根拠のひとつとなったのも『呂氏春秋』の記述ですね。

だからまあ、甲骨金文学者の文献史料の扱い方は、たぶん巫俊さんが思っておられるよりも、良く言えば融通が利いており、悪く言えばご都合主義的でいい加減なんですよ(^^;) (これに関しては日本でも中国でも大して事情は変わらないと思います。日本でも二重証拠法の信奉者が多数を占めてますから。)私はそのご都合主義的でいい加減なところをもちっと何とか出来たらいいなあと思ってるわけです。

ただ、文献史料のうち礼書に関しては、中国の若手の研究者の中で、あくまでその書が成立した戦国あたりの事情を反映した史料として扱っていこうという風潮が出来つつあるような感じです。
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