Wilhelm-Wilhelm Mk2

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足利義兼・義氏

2022-11-02 | Weblog
大河鎌倉殿もそろそろ追い込みであるが、残念なのは北条義時の演技である・・・。マキャベリスト的冷酷さを出そうと敢えて低い声で演技しているのだろうが、よく聞こえず棒読みに感じてしまう。たまに怒鳴るシーンがあるのだが、その迫力の無さと線の細さにもがっかりする。そして相変わらず脇役に喰われまくりだ。しかしながら、ついに先週、最後の大物である和田義盛が退場した。これで主役を超える大きな演技をする俳優は文字通り「滅ぼされた」。
今回の大河で登場せずに残念に思っている事が足利氏の不在である。いずれ北条一族を滅ぼす足利一族は、頼朝の挙兵時から参加しており、源氏直系の血筋であることから頼朝に重宝されていた。挙兵時の当主の足利義兼は北条時政の娘と縁組しているので、もし大河に登場していたら、全成や畠山重忠と同じ立場で北条一族の円卓に加わっていたことであろう。北条の執権政治が始まると、足利は源氏直系の血筋であることから、滅ぼされぬように当主は必ず北条と縁組し、政権内で目立たぬように早期で引退することを繰返した。幕府内の一定の地位は確保しつつも、北条の陰で忍従を続けるのだった。この間に足利は多くの分家(細川、今川、吉良、畠山、一色、斯波、桃井など)をつくるのだが、これが足利一門として建武の新政から室町幕府の原動力となる。そして足利尊氏の祖父である足利家時は、幕府内の政権争いに巻き込まれ、わずか24歳で自害してしまう。その際「家祖である八幡太郎義家の予言した七代目の孫(家時)が天下をとるという使命を果たせなかったので、3代後の孫に取らせる」と遺言(置き文)をするのだった(史実的には疑問視されるが)。この置文を尊氏が一門の前で涙ながらに読上げて打倒北条を宣告するのが太平記の前半のクライマックスなのである。鎌倉幕府の末期は、北条直系のいわゆる得宗家(北条高時)はすでに力を失い、北条の傍系や北条直属の家来が鎌倉幕府を動かしていた。例えば、義時の弟である時房の系譜(大仏流)、泰時の弟の朝時の系譜(名越流)、そして北条の家礼であるが出自の分からない平盛綱の家系である長崎一族である。結局、彼らは新田義貞と足利義詮が鎌倉を攻めた際に、東照寺において全員で自刃して滅亡するのだった。このあたりの息の長い因果応報が歴史の面白いところでもある。
今からでも遅くない、真田広之(太平記の足利尊氏役)の配役で、足利義兼の息子の足利義氏を出してほしいものだ。(年齢が違いすぎるか・・)足利義氏は承久の乱では大将として活躍し乱後に三河守を拝命する。後に足利尊氏が幕府への叛乱を決定する(一門に置文を読み上げる)のが、この三河を任されていた吉良領においてである。