歴史備忘録
・村上義清:巷にあふれる信玄贔屓の伝記では初期のライバル程度だが、実は武田信玄を2度も敗北させている猛将。それも大敗である。一度目は板垣や甘利といった武田家宿老が揃って討死した上田原の戦いであり、二度目はあまりの大敗から「戸石崩れ」と評される戸石城の合戦である。信玄の信濃制覇後、義清は客将として謙信の軍団に加わり、川中島の戦いでは乱戦の中で、副将である信玄の実弟の信繁を討ち取ったといわれている。まさに武田家にとっては疫病神ともいえる武将である。武田家と同じく村上家は清和源氏の源頼信の子孫である。義清の子孫は上杉家に従ったというが詳しくはわからない(わからなかった)。
・武田信繁:実兄信玄を補佐した武田軍団の名副将。「典厩(てんきゅう)」と呼ばれる。子供のころ見ていた大河ドラマでは「テンキュー殿」と呼ばれるのが不思議だったが、これは官職である左馬助の唐名とのこと(Wikipedia最高!)。信玄に対する信繁と同様に、実弟による名補佐の例としては、秀吉に対する豊臣秀長が思い出される。信繁の名将ぶりは宿敵の謙信にも絶賛され、真田幸村の実名である信繁も、彼にあやかっているとのこと。武田の没落は信繁の死から始まったとの評も多い。嫡子の信豊は信長の甲州征伐に敗れ自害した。弟である信廉も名副将であったというから、甲斐武田は信玄だけでなく三兄弟で築いたものといえる。
・三増峠の戦い:小田原城を包囲した武田信玄の軍を北条軍が追い打ちして起こった合戦。信玄の名采配で北条軍は潰走したが、激戦だったヤビツ峠ではいまでも戦死者が餓鬼憑きとして徘徊するらしい。
・餓鬼憑き:山道を歩いていて突然空腹になり足が進まなくなるときは、この妖怪に憑りつかれている・・らしい。対処法は少量の飯を残しておいて食べるか周囲に撒くことである。
・ヒダル神:関西の餓鬼憑き。「だるい」の語源とも。
・秩父の三害:秩父に伝わる3つの憑き物。妖狐の「オサキ(尻尾の先が割れている狐から九尾の狐の関連とも)」、お供え用の団子に必ず生団子が混じる家系「生団子」、ヘビの憑き物「ネブッチョウ」。どれも山野で遭遇する妖怪ではなく家系に憑く妖怪である。民俗学的には、成功をおさめたよそ者の家系を、嫉妬から憑き物家系とする地方の差別習慣に由来するとされる。カタカナ表示の妖怪はどことなく怖い。
・村上義清:巷にあふれる信玄贔屓の伝記では初期のライバル程度だが、実は武田信玄を2度も敗北させている猛将。それも大敗である。一度目は板垣や甘利といった武田家宿老が揃って討死した上田原の戦いであり、二度目はあまりの大敗から「戸石崩れ」と評される戸石城の合戦である。信玄の信濃制覇後、義清は客将として謙信の軍団に加わり、川中島の戦いでは乱戦の中で、副将である信玄の実弟の信繁を討ち取ったといわれている。まさに武田家にとっては疫病神ともいえる武将である。武田家と同じく村上家は清和源氏の源頼信の子孫である。義清の子孫は上杉家に従ったというが詳しくはわからない(わからなかった)。
・武田信繁:実兄信玄を補佐した武田軍団の名副将。「典厩(てんきゅう)」と呼ばれる。子供のころ見ていた大河ドラマでは「テンキュー殿」と呼ばれるのが不思議だったが、これは官職である左馬助の唐名とのこと(Wikipedia最高!)。信玄に対する信繁と同様に、実弟による名補佐の例としては、秀吉に対する豊臣秀長が思い出される。信繁の名将ぶりは宿敵の謙信にも絶賛され、真田幸村の実名である信繁も、彼にあやかっているとのこと。武田の没落は信繁の死から始まったとの評も多い。嫡子の信豊は信長の甲州征伐に敗れ自害した。弟である信廉も名副将であったというから、甲斐武田は信玄だけでなく三兄弟で築いたものといえる。
・三増峠の戦い:小田原城を包囲した武田信玄の軍を北条軍が追い打ちして起こった合戦。信玄の名采配で北条軍は潰走したが、激戦だったヤビツ峠ではいまでも戦死者が餓鬼憑きとして徘徊するらしい。
・餓鬼憑き:山道を歩いていて突然空腹になり足が進まなくなるときは、この妖怪に憑りつかれている・・らしい。対処法は少量の飯を残しておいて食べるか周囲に撒くことである。
・ヒダル神:関西の餓鬼憑き。「だるい」の語源とも。
・秩父の三害:秩父に伝わる3つの憑き物。妖狐の「オサキ(尻尾の先が割れている狐から九尾の狐の関連とも)」、お供え用の団子に必ず生団子が混じる家系「生団子」、ヘビの憑き物「ネブッチョウ」。どれも山野で遭遇する妖怪ではなく家系に憑く妖怪である。民俗学的には、成功をおさめたよそ者の家系を、嫉妬から憑き物家系とする地方の差別習慣に由来するとされる。カタカナ表示の妖怪はどことなく怖い。