無意識日記
宇多田光 word:i_
 



昨夜のインスタライブ第5回で思わず「わかるわー」と呟いてしまったのが、ヒカルが『誰にも言わない』を歌う準備を始めてから「どこのリップ?」という質問に延々答え始めたところ。

あれ、わかるわー。さぁこれから集中しよう!って時になかなか集中出来ない時は一旦まるで関係ない事やるんでやんすよ。ヒカルさん、直前に「これ気持ちが落ち着かなくて集中出来ないかも」って言っててそこから本来やるはずだった曲の話とかしながらリップを塗っててまぁそこで質問が出るのは予想出来た訳なんだけど、そういう風に寄り道していくことでいつの間にやらパッとSwitch!が入るのよね。時間の限られた中での集中力発揮法。ヒカルさんによる見事な実践でしたとさ。


で、その、ルーベン・ジェイムズと“本来やる予定だった曲”がジョニー・ハートマン&ジョン・コルトレーンの"They say it's wonderful"だっつーんだから、いやこれも聴きたかったわねぇ。何故この選曲だったかといえば、多分だけど『誰にも言わない』でのソウェト・キンチによるサックス・プレイが(この曲での)コルトレーン風だからだよね。もしかしたらヒカルはこの曲をソウェトに聴かせて『誰にも言わない』のディレクションをしたのかも。まぁそれだったら、この曲は寧ろ、今度色々あれやこれやが解決した頃のインスタライブでルーベンとソウェトの二人を呼んで披露した方がいいのかもね。……いやいや、どうせならルーベンとのデュオのままで、コルトレーンのサックス・ソロ・パートをヒカルがアドリブのスキャットでカバーしたりするのも素敵かも! 妄想が広がるぜ。なお、この曲のオリジナルのピアノはついこの間81歳で亡くなったマッコイ・タイナーだから、彼を追悼する意味もあったのかもしれないな。

にしても、ジョニー・ハートマンてなぁ…。名前でわかる通り、男性歌手なんですよ。こういうアダルトな男性歌手が歌う曲をヒカルが見事に料理した好例といえば真っ先に“Fly Me To The Moon (in other words)”が思い浮かぶ訳で、もし“They say it's wonderful”をやってたらこれも名演確定だっただろうなぁ。これは是非またインスタライブやって貰うしかないですねぇ。わかり切ったことだけれども。バンバン気軽にカバー曲を歌いまくって欲しいものですよ、えぇ。

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真っ白に萌え尽きた灰もまだ萌えるのかと痛感した一夜が、いや1ヶ月が終わりましたとさ。まだ茫然自失。

そもそも、5月29日の配信の時点で真っ白になっていたのに、そのたった2日後にその曲の弾き語りやる!!?? しかも生配信で。今地球の随分向こう側で歌われた歌が瞬きの時間でこちらに響いてきてたなんて。生まれる瞬間に立ち会うみたいな、なんかそんな。

……語彙が行方不明。

大体、最初は肩透かしかと思ったのよ。約束の8時を過ぎても現れなくて、やっと、8時8分頃かな、登場したと思ったら眼鏡かけてなくて、質問にも行かずにとっととルーベン呼び出すもんだから嗚呼今日は遅れたから短縮版なのかもと思うじゃん。で、ルーベンがピアノに向かってるのはいいんだけど、それに彼が新曲のプロモーションでそれを歌うのもいいんだけど(それしないと多分ギャラが発生しちゃうのだ)、あれそれだけで彼引っ込んじゃったよなんだ伴奏でヒカルが歌うのはナシになったのかなだとしたら残念だけど同期演奏は難しいからねとか思ってたら質問にはキッチリ答えるわサプライズで視聴者とインスタライブ繋ぐわでもう大サービス大盤振る舞いさ。でもヒカルはまだ何かやりたい御様子で……


それで『誰にも言わない』の弾き語りですよ! 壊れますよそりゃあ。

この歌は特別過ぎる。まだまだじっくり描写していかなきゃいけないことだけど、宇多田ヒカルの集大成というか最高傑作というか兎に角特別な作品で、おいそれと歌おうなんて思わない歌だと思ってた。例えば『嵐の女神』、例えば『桜流し』のように。

それをしれっと、自宅の仕事場から全世界に向けて発信するかねっ!? 

いや、後出しで言うなら、確かにそうなのだ、楽曲としての完成度が高いとか整合性とか正凖性とかそういうのを極めてる訳じゃない。だから作りかけで世界に問うても問題ないんだけど、ただ、言うなればいままででいちばんヒカルらしい歌なんじゃないかと。『光』が多少そうであったように。そう、『光』を“多少”
にしてしまったのが『誰にも言わない』だと言えるのかもね…。


勿論、というかなんというか、パフォーマンスとしての質は高くなかった。出だしからして間違えてたしな。まだまだ歌い慣れてるともいえない。ただ歌っただけだ。しかしそれでも、これをこうやって歌ったということそのものに意義があるというかそういうのも野暮ったらしいななんかもっとこう、なんというか、、、うん。生きようか。

リアルタイムで聴きながら、今日まで生きて来れなかった名を知る人のことや名も知らぬ人たちのことが思い浮かんでいた。何が違った訳でもなくて、そんな人達の中、あたしは、あたしたちは生き残ってこの歌に会っている。それが自然の営みなのだと、この歌は教えてくれる。I won't tellって言ってるくせにね。だから救える、って昔から歌ってたっけか。

この動画が24時間で消えてしまうのは公益に著しく反するが、現行の法律では権利所有者が最優先だ。やれやれ。法律なんかよりこの歌の方がよっぽど大事なのだが、歌のプロである以上社会に配慮はしないといけない。因果なものだが、それが我々の生きる方法なのだしな。そういや“One wat street”って「よそで喋らない人」の事なんだってね。知らなかったよ。

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