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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



※ 科学実験について興味のない人は「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」の所まで飛ばしてね。



二重スリット実験については出来れば予めWikipediaを読んでうただいて。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E5%AE%9F%E9%A8%93

一応掻い摘んでどんな実験かをここでも解説しておくと。

① 電子銃で電子を打つ
② 電子を壁に空けたスリット(隙間)に通す
③ 電子をスクリーンに着弾させる

という結構シンプルな実験。電子銃でスクリーンに電子を打つんだけど、間に壁があって素直には届いてくれない。なんとか壁の一部に空いてる隙間(スリット)を通して電子をスクリーンに当てよう、とそういう実験なのです。

で。スリットが一つの時は電子銃とスリットの直線上ににあたるスクリーンの場所に沢山電子が着弾する。そこから逸れれば逸れるほど着弾する電子数は少なくなる。電子の数を高さで表現すると、高い真ん中から裾野が広がるにつれて低くなる山の形になるわけだ(ここらへんグラフを書くのに慣れてないとピンとこないだろうけど)。

ところが。スリットを2つ空けると奇妙なことが起こる。電子の着弾数を高さで表すと、普通なら山が(スリットの数である)2つの連山の形に落ち着くかと思いきや、山と谷が幾つも繰り返す「干渉縞」と呼ばれる分布を示すのだ。

これの何が奇妙かって、

「二つ目のスリットを空けてスリットが一つの時より明らかに電子の通り道が増えているのに、スリット一つの時には簡単に着弾できていた位置に電子が全く着弾できなくなった」

ケースが生まれる点である。目的地までの道を増やしたのに、さっきまで行けてた場所に行けなくなったのだ。これが、「可能性」同士が物理的実在として相互に影響し合う量子力学の大きな特徴なのである。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


この二重スリット実験は、

「選択肢が増えると選べなくなる未来が生まれる」

という考え方を与えてくれる。
『Mine or Yours』の歌詞の最後、

『自由に慣れれば慣れるほど不自由だって』

の部分、ヒカルはこういった量子力学的特性をイメージして書いた可能性もあるな。選択肢が増えて自由度が増すほど、以前から選べていた何かを選べなくなる未来がやってくるのだ。

わかりやすい?例を即興で考えた。
例えば、

・カツ丼とカレーから選ぶならカツ丼
・カレーとラーメンから選ぶならカレー
・ラーメンとカツ丼から選ぶならラーメン

という趣味嗜好の人が居るとしよう。変な人だけど。この人は、カツ丼とカレーとラーメンのうちどれか二つだけを選択肢として提示された時には自分の食べるメニューを迷わず選ぶことができるが、この三つをいっぺんに選択肢として提示されると、カツ丼もカレーもラーメンも選べなくなってしまう。ジャンケン状態だね。とすると彼女は(女性だったのか)、カツ丼もカレーもラーメンも諦めて何か他の、例えばチョコレートサンデーを選ぶ事になるかもしれない。選択肢が増えたら自由には選べなくなったのだ。これが、自由に慣れたら不自由になる一例である。

(なお、二重スリット実験もこれとよく似てるんですわよ飛ばして読まれた皆さん。)


これ、どうして「選択的夫婦別姓」法案に反対の人は、この理屈を持ち出さないのか? 恐らく、賛成派に対して最も強力な反論を形成できる。姓の選択肢を増やすことで選ばれなくなる選択肢が出てくるかもしれないぞ!というのは、法案を否決するのに非常に強力な論理となりえる。

まぁ、持ち出さない理由は察しがつく。基本的に、前に書いた通り、反対派の主力の皆さんには女性差別が根本にあるので、本気で夫婦の姓や家族の絆について考えてるわけではないのだろう。このように党派性の政争の具に選ばれてしまって、思想や政治と関係なく行政手続き上不利益を被ってる方々は大変な不運だわよね。、、、うむ、余計なこと書いたな。自覚はある。でも消さないぞ。


ということで、先立って触れた『Mine or Yours』の

『どの道を選ぼうと
 選ばなかった道を
 失う寂しさとセット』

の一節に加えて、

『自由に慣れれば慣れるほど
 不自由だって、』

の部分もまた、ヒカルが量子力学的発想を持ち込んで歌詞を書いたのかもしれない、という話でした。だとしたらかなり物理学を学んでいそうだなぁ。CERNに招かれるに相応しい熱心さですね。だとしたら、だけどね⭐︎



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朝から量子論は重いな…と感じたので今朝は別の話題を。

今日から日本国国会で選択的夫婦別姓法案に関する審議が始まる。報道のニュアンスからして可決成立に至る道筋は見当たらなそうな気配だけど、今までのことを考えれば随分前進してるな今年は。

しっかり炎上してくれたおかげさまで「夫婦別姓歌った宇多田」という認知は大分広まったようで。しかし、『Mine or Yours』の歌詞を完成させたのはどんなに遅くても今年2月までの話だろうから、よくもまぁこのタイミングに合わせられたなぁと感心する次第。どこまで目論んでいたのかは推し量るしかないにせよ、しっかりと情勢を見極める目は持っているだろうから、ある程度「機運」は捉えていたのだろうなとは思う。私は捉えてなかったぞ。

ヒカルさんの歌詞に時事ネタ或いは時代の徒花が盛り込まれるのは今に始まった事ではない。今の10代リスナーがPHSやブラックベリーが何の事だかわからなくても何ら不思議ではない。同じように、夫婦別姓のワードも将来振り返った時に「あの頃の話題だなぁ」と感慨深くなる事だろう。当然、楽曲のクォリティには何ら支障は無く、商業音楽として時代毎の刻印と共にあるのは寧ろ誇らしい事だろう。もうちょいヒットしてくれたらねとは思うけどもね。

今朝の【今日は何の日】では、4年前にヒカルが“ブラック・ライヴズ・マター”について語った呟きについて取り上げている。

https://x.com/hikkicom/status/1930019159498469668?s=46

『日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど、今アメリカで起きていることは未来の世界史に載るような歴史的な局面かもしれない…というかそうであってほしい』
https://x.com/utadahikaru/status/1268542158245634051?s=46

様々な色合いは異なるが、『Mine or Yours』のリリースに際して似たような願いを持っていたのかなとは思わされる。「今日本で起きていることは未来の日本史に載るような歴史的な局面かもしれない」という風なね。流石にブラック・ライヴズ・マターのように直接生命の遣り取りに繋がるような話ではないけれども、日本の性差別的構造がどうなるかの分水嶺と試金石にはなり得るかもしれない。法案審議の続報も、多分取り上げるかなと思います。


いやねー、政治ネタは「表現の自由」に関するもののみ、って言ってたけど禁を破っちゃったわね無意識日記。それも「政治に音楽活動を邪魔されてはたまらない」という意図だったのだけど、今回こうやってヒカルさんが積極的に言葉にしてきた、歌詞にしてきたとなると、そのポリシーは修正をするしかないのかもな。あたしゃ絶対音楽と戯れながら象牙の塔にでも住んでいたい方なんだけどねぇ。やっぱり我が子が居てそれをこれから世に送り出す親としては、世の中によくなって貰いたいんだろうな。と、そう勝手に思っておりますよ。


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