無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「君が心をくれたから」は様々な面で高品質な作品だった。特に主役二人の演技は素晴らしく、また、脇役陣も実に手堅かった。本来出口夏希のポジションにはもっと初々しい役者さんが当てられるものなのだろうけど、彼女の演技もまた堂々としたものだったねぇ。特に永野芽郁と二人で画面に揃った時は非常にフォトジェニックで、こちとら非常に眼福でありましたわ。

彼女たちの演技を引き立てる撮影技術も大したものだった。あたしは小津好きだからついつい画面の画角を気にしてしまうたちなのだけど、どの場面も非常に丹精に切り取られていてとてもよかった。ロケ地に長崎を選んだセンスも素晴らしく、ファンタジーの要素を取り入れるに相応しい色彩豊かな背景を最終話までずっと見せてくれていた。だからって爆竹のくだりはどうかと思ったけどね。

そして前回も触れた通り劇伴も主題歌も素晴らしいとなれば何もかも素晴らしいじゃないか、なら何故視聴率が伸びなかったのかというと、ひとえに脚本がマズかったからだろうな。恐らく、脚本家の方がかどうかはわからない(テレビドラマの脚本てのは今や国民的トラウマだしな)けれど、兎に角脚本に参画したメンバーにファンタジーに長けた人が居なかったのだろう。基本的な点から、足りていなかった。

ファンタジーは、現実の世界で不可能なことを可能にするフィクションだ。それ故に、そこで何が出来て何が出来ていないか、誰に何が知られていて何が知られていないのかについて、写実的な作劇に較べてより綿密に描写して視聴者に知らしめねばならない。その世界の「常識」を、短い時間でスマートに、説明し切らないといけない。なのでファンタジーは写実劇に較べて、同じ字数や同じ時間枠を与えられた場合、必ずハンディキャップを背負う。最初から不利なのだ。

この作品は、そこの丁寧さを怠った。最終話、誰が突然「8時に目が見えなくなる」って言われて信じる? その為に必死で頑張れる? モブにも心の感情の流れってもんがあるじゃろがい。一方で花火の打上には丁寧に消防の立ち会いが入ったり(ああいうのあるのかねぇ?)、そこリアリティ出したらますますファンタジーとの乖離が酷くなるのよ?

それを言うならそもそも、第1話の唐突な案内人の登場で置いてきぼりを喰らった人が結構居た事だろうね。もう少し最初に「不思議なことが起こりそうな世界」であることを視聴者に受け容れて貰えれば、脱落者を減らすことは出来ていたかもしれない。

前も触れたが、「五感を差し出したら人が生き返る」仕組みの納得感が薄いのも、そこの丁寧な説明が不足していたからだ。何と何が釣り合っていて、それに相応しい代償は何なのか。例えばせめて地元に伝説として似たような昔話が伝わっていただとか、行方不明になった親族に似たような例があったとか、そういった補強があったら少しはよかった。

それとも関連するのだが、そもそもこの物語には致命的な欠陥がある。最終話を観ると、この物語は結局の所「1度死んだ人間(太陽くん)が奇跡によって束の間生き返って短い間夢を見せてくれる」ストーリーだった事がわかる。こうやってまとめるとお話としてはわかりやすくて悪くない筈なのだが、ここでもなんとなく納得感がいかないのは、ここまで11話で視聴者に共感をより得ていた登場人物が、生き残った雨ちゃんよりも、死んでしまった太陽くんの方だったからだろう。

雨ちゃんは終始、自分を蔑ろにし続けた。そもそも五感を差し出して想い人を生き返らせるのだから自己犠牲精神のある人でないといけなかったのはその通りだったのだが、だったら主人公として説得力があるのは「限りある時間の中で自分の想い人に思い切り添い遂げたい!」という態度を示すことだっただろう。五感を差し出してまで欲張る私。こういう能動的な性格の方が、主人公として魅力的だ。

しかし、劇中の雨ちゃんは、婚姻届は出したと偽るし最後は聴覚を失う時刻も偽るしで、ひたすら「雨ちゃんを大好きな太陽くん」を騙くらかして絶望のどん底に叩き落とす事に終始する。つまり、彼女の自己犠牲精神は、己を犠牲にしてでも欲しいものがある、っていう積極的な理由というよりは、自己評価が低く、存在価値のない自分を差し出して済むのなら、という消極的な理由からくるものだったのだ。なので、いつまで経っても自分自身が太陽くんに深く愛されている事を考慮に入れた行動が取れない。ゆえに、太陽くんの深い愛情をずっと見せつけられている視聴者からしたら雨ちゃんの行動は終始もどかしくて仕方がないのだ。

本来なら、ひとつの作劇中においては雨ちゃんのような役回りも必要ではある。何考えてんだかサッパリわからないキャラクターが奇想天外な事をしでかして物語が転がっていく。所謂狂言回しの役割なのだが、困ったことに雨ちゃんは主人公の片割れで、その上設定上もう片方を死なせて最終的に生き残る方なのだ。

太陽くんの行動は、雨ちゃんに較べればまだ視聴者の共感を得られる範疇にあった。雨ちゃんのことをなぜそこまで好きなの?という疑問は出るかもしれないが、一旦惚れ込んだのなら甲斐甲斐しく尽くすのもわからなくはない。

本来であれば、いつ太陽くんは闇落ちしてもおかしくない立ち位置だった。そもそも母親を自らの失火で喪っている。雨ちゃんの自己評価の低さは母親からの虐待から来ていたが、こちらは成人するにつれ「自分は何も悪くなかった」と開き直れるチャンスが残されている(現実には簡単なことではないけれどね)が、太陽くんは亡くなったお母さんが枕元に立って赦しの言葉を賜る位しか救いがない(これはまぁ本編で実現した)。でなくば幾らでも堕ちる事が出来る。その上自分の好きな女性が自分を生き返らせる為に五感を差し出したと聞けばそれはそれは自責の念に駆られる事だろう。極論すればいつ自死を選んでも仕方なかった(最後の最後まで粘ったね)。そこを踏ん張って相手に尽くす。やや強引なところはあるけれど、こちらの方はまだ視聴者の共感を得られただろう。というか、気丈に前向きに振る舞う彼を応援したくなったと言った方がいいかな。

つまり、ここのねじれが最後まで解消されなかったのだ。視聴者に不可解な狂言回しの方が生き残り、心情的に応援したくなってた方が死ぬ。釈然としない気持ちが残るのは当然だった。

ではどうすればよかったかというと、やはり途中で雨ちゃんが「太陽くんは私のことが好きで好きで仕方がないんだ。彼を喜ばせる為には1秒でも長く私が彼と一緒に居なきゃ!」と改心するターンが欲しかったのだ。どれだけ打ちのめされても前向きに立ち直ってくる彼に感化されたとすれば自然な変化だ。そうであれば、彼が束の間生き返った甲斐があったと視聴者も納得でき、雨ちゃんが生き残る流れにも共感できた事だろう。

雨ちゃんは最後まで自分を愛してくれる太陽くんの気持ちを汲めなかった。ある意味、最後まで自分の価値を信じることが出来なかったのだ。

そこに思いが至る時、いやヒカルさん、最初っからこの作品の肝となるポイントがどこなのかを見極められていたからこんな歌詞が書けたのかなと改めて感服せずにはいられない。

『だけど
 自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない』

太陽くんが一度でも、グレンラガンのカミナみたいに「雨ちゃんを愛する僕を信じて」と強く言えていれば、物語の色合いが異なっていただろうね。「月曜日からこんな暗い話を」と言われたのは、運命が過酷だったからではなく、雨ちゃんの自己肯定感が低過ぎた事が原因だった。価値が低い(と思い込んでる)ものを差し出す物語は、価値が高いものを差し出す物語には迫力で負けるよ。ヒカルは、歌に、雨ちゃんにもっと自分のことを信じて欲しいとの願いと祈りを込めてこの歌を書いたのかもしれないね。

そういえば、映画「CASSHERN」のエンディングで『誰かの願いが叶うころ』が流れてきた時も、少し似たような感想を持ったなぁ。あの時も、映画の中で表現しきれなかったもどかしい思いに的確な言葉を美しい旋律で包んでこちらに届けてくれたっけ。今回の『何色でもない花』もまた、そういうもどかしい気持ちにちゃんと決着をつけてくれた。ホント、ヒカルさん、「エヴァQ」も「シンエヴァ」も「最愛」もそうだったけど、やっぱ作品のエンディングが最初っから視えてんの? 毎度々々、とんでもないねぇ。

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月9ドラマ『君が心をくれたから』全11話がつつがなく終了した。感染症禍下の状況を経たから言うわけでもないけれど、瑕疵無く滞りなく無事放送を完遂できた事は心より喜ばしい。『Time』を提供した「美食探偵 明智五郎」は大変なことになってたからねぇ。

とはいえ、最終話も拡大放送ではなく通常の1時間枠であったことなどからも、そこまで派手にバズったドラマになったわけでもないと事は窺われた。宇多田ヒカルと月9ドラマといえば、『Can You Keep A Secret ?』と『HERO』の組み合わせで全11話総て視聴率30%越えをしたという歴史に残る事例が思い出されるのだけれど、今回はそんな風にはならなかった。

しかし、シンプルに「楽曲提供」という点で見ると今回の方が遙かに成功していたと言うしかないだろう。『HERO』では劇伴音楽とエンディング・テーマの乖離が激しかったが(良いクールダウンにはなってたけどね)、今回の『何色でもない花』は、劇伴音楽や作品ないの雰囲気と非常に高い親和性を見せてくれた。最終回などは最初と最後のいちばん美味しい場面でフルサイズに近い尺を取って合計2回も流してくれた。勿論、場面の雰囲気にはピッタリ合っていた。その上ピアノスタイルバージョンまで流してくれたりして、『HERO』では望むべくもなかった好待遇であった。

視聴率も成否の基準のひとつであるものの、ある意味それは「観ていなかった」人たちのものである。現代では、その番組を知らなかった人たちが「へぇ、そんなにこの作品は話題になっていたのか」と、配信などでチェックする為の指標でもあるといえる。既に観ている人にとっては、特に役立つ数字でもない。

なので、ドラマを観た人にとって、提供曲とドラマの作風の親和的な雰囲気を存分に味わえたという意味に於いては、「君が心をくれたから」と『何色でもない花』の組み合わせは、「HERO」以上に成功したコラボレーションだったと言って差し支えないかと思われる。なので、折角だからこうやって無事放映も終えたことだし、『何色でもない花』のフルコーラスをフィーチャーしたドラマ全話振り返り映像を、最初のトレイラーの隣にアップロードしてくれませんかね公式さん? きっと感慨深いと、思うんだよね。

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