無意識日記
宇多田光 word:i_
 



漫画家鳥山明が逝去したそうな。正直、あたしゃそんな熱心なファンでもないから、報道に吃驚仰天はしたけれど、そこまで悲しいってこともない。それに、皆さんもここに来る前に散々追悼記事とかを読んできてるだろうから、だったら無意識日記は通常営業しててくれんかなぁと自分でも思ったのだが、ダメでした。触れたいです。


青天の霹靂だった。打ち明けると、前回の日記に於いて、「HERO」と『Can You Keep A Secret?』のくだりのところで

「世の中には本編と全然違う雰囲気を醸してるのにエンディング・テーマ曲として相応しい、愛されてる楽曲なんかもある。例えばアニメ「DRAGON BALL」の初代EDテーマ曲「ロマンティックあげるよ」なんかはその好例だろう。」

みたいなことを書こうとしてボツにしたという経緯が実はあった。話が横道に逸れて字数が嵩むだけだなと思ったので書かなかったわけだが、つまり、今朝私はアニメ・漫画作品「DRAGON BALL」についてしっかりと意識して思い出していたのだ。なのになのに、その時点で「午後に鳥山明が亡くなるよ」だなんて聞かされるとは、全く想像していなかった(実際に亡くなったのは3月1日だそうたが)。つくづく、彼とは御縁を感じない。

でも、熱心なファンでもなければ御縁も感じない、だからこそ、この人は途轍もなく偉大だったのだなと痛感させられたのだ。毎日聴いてるようなアーティストの場合は、「この最新作がラストアルバムかもしれない」とか「次のコンサートが自分が観れる最後の公演かもしれない」とか「ボーカルの操縦する飛行機が墜落するかもしれない」とか、ついついその都度いろんなことを妄想して不安になってしまうものだけど(※そのボーカルはもうパイロットやってません)、鳥山明くらいの距離感だとそんなことは考えない。彼は今日も元気にやってるだろうと高を括ってしまっていましたよ無意識のうちに。「SAND LAND」が配信に乗ったら観てみるかーくらいのテンションで居たのよ。

この間エネルギーの話をしたときも、そうだわ。何の遠慮もなく「かめはめ波」を例に出した。あれはもう完全に「DRAGON BALL」の特大な知名度に頼った例示の出し方だった。短絡的な書き方をすれば、鳥山明の偉大な功績にタダ乗りする形で人とコミュニケーションを取ろうとしたわけだ。そんなことがナチュラルに許されるほど鳥山明の存在はデカいんだ。

実際、今存命する人の中で、日本語圏下で「ものをつくる人」として自分は鳥山明より偉大である!と胸を張って主張できる人って、何人居る? 宮崎駿くらいではない? それでも、海外での知名度を出されると鳥山明の影響力の大きさ、凄まじさに押し流されてしまうしな。たぶんだけど、実績と知名度と稼いだ額と後進への影響力の大きさ等の総合値において、漫画家業界のみならず、「日本のつくる人」の頂点に居たのがこの人だったんじゃないか? 一週間前まで。なんだか、考えてみればみるほど、大変な人を喪ったのだなという実感が沸々と湧いてきている。

尾田栄一郎の追悼コメントがやはりいいところを突いていた。鳥山明の最大の功績について、自分も似たような事を考えていた。それは絵柄のデザイン性の高さであり、ポップアートとしての商品力の高さであり、即ち、社会が「漫画はこどものもの」という意識から脱却して、漫画のキャラクターが大人も認めるデザインとして流通し、それによって社会の中での存在感を確立していったその過程の中心人物が鳥山明だったのだ。「ドラゴンクエスト」のキャラデザなんかは、その流れの中で生まれたように思われる(まぁあれはこども向けの作品だったけどね最初は)。漫画自体の面白さに加えて、そのデザイン性とポップアート性が市民権獲得に大きく貢献した。手塚治虫が漫画の各ジャンルの生みの親なら、鳥山明は漫画を大人に成長させた育ての親だったといえるのではないか。嗚呼、やっぱりとんでもなく偉大な人だね。惜しい人を亡くしたわ…。


なお、宇多田ヒカルさんと鳥山明との間にはさして関連性はない。メッセで亀仙人のキーホルダー紹介したくらい?
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/from-hikki/index_58.html
あとは、こんなツイートもあったな。
https://twitter.com/utadahikaru/status/1029703497258868737
https://twitter.com/utadahikaru/status/1030006733958246401
でもやっぱこういうのをみると、「必修科目」というか、これくらいの世代の人間はドラゴンボールを「読んでて/観てて当然」みたいな空気流れてるのよねぇ。


なお私の方はといえば幼少の頃は毎週「Dr.スランプ」のアニメを観ておぼっちまんくんに感情移入する日々でした。「おぼっちゃまくん」じゃないぞ、それはヒカルが好きな茶魔語を喋るキャラクターだ。そっちじゃなくて正式名称「オボッチャマン」、メガネをかけてるアラレちゃんのボーイフレンドくんの方だ。アラレちゃんに一目惚れする彼に感情移入した私はすっかりメガネフェチに…(以下略

…そうなのよね、熱心なファンでないこんな私でも、幾らでも語れることがあるのだ。ほんとにとんでもない偉人だったんだなぁ。本人は偉ぶるの大嫌いな人ったみたいだけど。そして、恐らく彼の偉大さは、今後ますます肥大化していくだろうね。彼の遺産の集合体は、ディズニー兄弟亡き後のウォルト・ディズニー・カンパニー並みの規模に、なっていくんじゃないかな。どうかそれくらいの時間が経過できるくらいに、しばらくこの国が平和でありますように。

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「君が心をくれたから」、今週放送の第9話では中盤にまず(21:22くらいだったか)『何色でもない花』のピアノスタイルバージョンがちらっと流れ、そしていつも通りの終盤ラスト前に本トラックの『何色でもない花』が、今回初めて、フルコーラスに近い尺まで流れた。2月12日に解禁・公開になって以来漸くといったタイミング。とはいえ、特に歌詞とドラマの内容が強くシンクロしていたということでもなかったようなので、「いよいよドラマも終盤なんだなぁ」と視聴者に思わせる演出になっていたと解釈するのが妥当なとこかな。

そもそも曲調がドラマ全体の演出や役者陣の演技の方向性とほどよく調和している為、毎週毎回場違いさなどは全く無く、このまま全11回のうちあと2回、滞りなく物語を彩ってくれればなと思います。

主題歌がドラマに馴染むかどうかという観点からするとサントラとの相性は非常に重要で、月9枠の話となるといつも「HERO」での『Can You Keep A Secret?』とサントラの音楽性の乖離について触れているけれど今回はそういう懸念は最後までなさそうで。ややサントラの方は演出過多というか、メロディは素朴なのに演奏が無理に盛り上げ過ぎという気もしなくもないが、御涙頂戴路線なのは脚本時点からなのだろうし、だからそれは作品に沿ったやり方なのであって、ややぶっきらぼうに『僕らもうここにいないけど』と歌ってしまうヒカルの方が少しその路線から外れているとも言えるし、そもそもあたしはそっちの方が好きなのでそれについては何の不満もない。

押し付けがましい演奏は、特に時が経った時にその意図が露骨に窺えてしまうのでどうにも馴染まないのだが、地上波テレビという瞬発力がモノを言う空間ではそちらの方が求められているのだろう。そういう意味では、最近ヒカルがあんまり生放送に出ないのも……いや勿論第一義は単純にロンドンから日本に来ている期間が限られているからなのだろうけれど、生出演が売りの「MUSIC STATION」や「CDTV LIVE LIVE」であっても堂々と収録出演しているのをみると、単純に取引の優位性でやっているというよりは、自身の資質に合った仕事の受け方をしているということでしかないのかもしれない。元々テレビ出演はそんなに好きじゃないのだし、こちらは動く御姿を拝見できるだけで土下座ものなのでそれ自体にもまた何の不満もない。時々、生出演の心配とスリルに満ちたあの感覚をまた味わいたいなと思わなくもないのだけれど、それだったらライブに当たってじかに観に行く方がよっぽどスリリングだからね。当たればだけど!

昔なら「全国何千万の視聴者に対して…」とかなんとかあたしも思っていたのだけど、こうやってスマートフォンのお陰でたくさんの人の感想が可視化された事で、なるほどこんな感じなのかとある程度の見立てもつくようになり、よくわからない怖さみたいなものも薄れたので、テレビ出演する暇あったらインスタライブしてくれよとかまた贅沢な事を言ってたりもするのだけれど、逆に感想がダイレクトに入ってくるようになって、嗚呼こういう層まで視野に入れて活動しなきゃならんのかと、他人事ながら余計な心配をしてみたりもする。あれやこれやですね。

こうやってドラマから主題歌が流れてくるのを眺めていても、地上波でのあり方というのは徐々に変化してきていて、こういう昔ながらの気分の延長線上で観られているのも今のうちかもしれないなと思うと、やっぱり「君が心をくれたから」のあと2回、じっくりと味わいながら観賞したいなとぼんやり思うのでありました。そういえば、ヒカルのカメオ出演、なかったねぇ!

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