音声のみのコンテンツがここ百数十年の特殊なコンテンツであるといっても、いや、だからこそ、かな、音声のみの作品のならではのよさというものを、現代人は堪能できる。
個人的には(と個人的には好きではない書き出しを今二回繰り返してしまったが)、プロモーション・ビデオ、最近ではミュージック・ビデオと言われるようになったか、曲に映像をつけた作品はそんなに好きではない。何故なら、映像が完全に後付けであるケースが殆どだからだ。最初っから音と映像を一緒に作っていくなら問題はないが、大抵は出来上がった楽曲をいじることなく、そこに映像を合わせている。制作上&創作上、視覚と聴覚の間に相互作用がない。「曲のこのパートをほんのちょっぴり演奏してもらえれば、こちらの望む映像を嵌め込む尺が生まれるんだけど」と提案したくても後の祭り。どうにもならない。
そんなだから、大抵のMVは、私にとって目を瞑った方が魅力的だ。実際、名作と言われるMVも、その曲でなければならなかったかと言われるとよくわからないものが多い。『Can You Keep A Secret?』のMVは名作と言われているし私もそう思うが、映像に対して曲がキャンシーでなくてはならない必然性がどれくらいあるかというと、かなり薄い。勿論テーマとして、キーワードの一部に関連性はあるが、そのほんのり具合自体が制約の結果である。ある意味、それによってミュージックビデオという独特の世界が進化してきたともいえる。
それはそれでよいが、わざわざ余計な手間暇をかけて目を瞑らされる映像を作られても、という思いは拭えない。一方で現実的に、動画サイトに貼り付けられなけれざ新曲のプロモーションは覚束ない。ならば、という事でとられる策のひとつが、以前にも触れたが、リリックビデオである。
『真夏の通り雨』のリリックビデオが観たい。歌詞は確かに公式サイトに掲載されている。それを読めばよい。しかし、時間軸に沿って向こうから歌詞がやってくる感覚は、止まっている文字を自ら読む事で時間を進めるのとは真逆と言っていい体験である。宇多田ヒカル史上最強クラスの歌詞をもつ楽曲なのだから、その歌詞をアピールするには、真っ暗な画面に淡々と文字を流すだけでも十二分ではないか。嗚呼、だったら自分で作ればいいかと一瞬思ったが、それは自分の役割ではないな。誰か他の人に期待しておく事にする。かなりセンスが要りそうだけど。
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