無意識日記
宇多田光 word:i_
 



2011年上半期のAmazonMP3ロックチャートでMoon Safariが2位になったのには本当に吃驚した。どれ位驚いたかを宇多田ファンに通じるように形容すると、街角で「アナタの好きな宇多田ヒカルの曲はなんですか」と100人に聴いたらHAYATOCHI-REMIXが2位をとった感じである。「嘘でしょーっ!?」としか言いようがない。

要因は幾つかある。まず何よりも内容が素晴らしい事。現地での発売は半年以上前だった気がするが、この"Genesis meetr Beach Boys"とでも云いたくなる爽やかハーモニー満載のドラマティックなプログレサウンドはこれから蒸し暑くなってくるこの季節にピッタリだ。一度聴いたら虜になってしまうこのハイクオリティが多くのロックファンの心を掴んだ事だろう。

次に、もっとわかりやすい理由として「そもそもAmazonのMP3ロックアルバムにろくなのがない」というのがある。周りをみるとT-REXやPINK FLOYDといった70年代の面子が並んでいる。新譜のロックアルバムをAmazonMP3でリリースするアーティストは未々殆ど居ないのである。その為、超無名なMoon Safariが相対的に浮上してしまったのだ。

そして最後に、いちばんわかりやすい理由がある。値段がフルアルバムであるにもかかわらず800円という破格の値段だった事だ。一曲100円、iTunesだと(売ってるとして)1200円、輸入盤CDだと1800円、日本盤CDだと2700円なのだから、それぞれ2/3、半分以下、1/3以下という安さ。これでお手軽にダウンロードできるのだからついつい買ってしまうのもよくわかる。全く無名の、それもインディーズの新人であっても、内容が素晴らしく値段がお手頃ならここまでヒットするのである。

では、と当然のように考える。宇多田ヒカルがアルバムをメチャメチャ安く売ったらどうなるのだろう。今のところどこの配信でも一曲200円だった気がするのだが(ちゃんと調べて云ってる訳ではないのでご注意)、もしフルアルバムが800円、いやそこまでいかなくても1000円で買えるとしたらメチャメチャ売れるのではないだろうか。

CDに限らず、音楽が売れなくなって久しいが、それは他の娯楽に較べて割高感が高まってきたからだと考えられる。もし何らかの"適性価格"で売ることが出来たら、また何百万単位のヒットが出るかもしれない。思い返してみると、This Is The Oneのアメリカ盤CDはAmazonで底値が1000円前後まで下がっていた気がする。日本でも、その気になればそれ位下げられないものだろうか。同じサイズの12cmシングル盤を1000円で売っている訳だから流通機構上の弊害はない。思い切って(以下何となく自粛(笑))

問題は、値段を半分にしたからといって倍、1/3にしたからといって3倍売れるかどうかなのだが、ヒカル位の知名度になれば、1000円まで下げてしまえばそれだけでとんでもない宣伝効果を生む筈である。「宇多田ヒカルの復活アルバムが1000円か…」と呟かせられたら我々の勝ちな気がする。

まぁ、ヘヴィ・リスナーとしとはフルアルバムを聴く回数を考えればフルアルバム一枚の値段、今の10倍の30000円でも全然安いっすけどねー。たぶん、一曲聴くあたりの値段数十円とかでしょうから…。

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こういうblogをやっていると、外に発信する内容にするか内に発信する内容にするかほ~んの少しばかり悩む。いや内容というか形式かな。どっちでも同じか。今の所は"コア過ぎて困る"位のファンを対象にした文体になっている…というかまず光と自分に向けて書いてる気がするので、誰くらいまで、というよりここに近いひとたちは自然と対象になる、という感じだろうか。

この、"中心型"の分布の扱いにはいつも悩む。これとはタイショウ的(対象も対称も対照もだなぁ)なのが、線引き型、境界型の思考だ。

境界型は、ここからはあっち、ここからはこっち、と文字通り線を引いて対処することだ。四捨五入がその代表的な例で、0.5未満は0、0.5以上は1と問題を単純化することに用いる。

これを現実にやりすぎると弊害が出る。最近だと原発周辺地域の避難区域範囲がポピュラーだろうか。29.9km中心から離れている人は総てを失い、30.1kmの人は今まで通り、なんていう理不尽な事が起こり得る。本当の現象は、中心から距離に比例してリスクが減少するモデルに様々な地形学的要素を考慮して求めるべきであるが、行政としてはコストの面で実施不可能だ。他にも例えば喫煙や飲酒の年齢制限も、ある日起きたらニコチンやアルコールの害がなくなっている訳ではない。行政能力の有限が原因である。

光がファンクラブを作らないのも、この"境界線"を作りたくないからである。もっと踏み込んでいえば、全体を統括するには線を引いた方が楽なのだ。勿論普通はファンクラブへの参加は任意なので入るのも出るのも自由だしそれはそれでいいと思うが、光の場合境界線で囲い込む人工的な感覚より、各々が固有の距離をとっていられるような環境を作りたいのだろう。

つまり、ファンクラブを作らないのは人手が足りないとか面倒だからというよりは、より一層ファンに対する対応をきめ細かく、個々の距離感に従って行わなければならない"茨の道"なのである。今でもファンクラブを希望する声が散見されるが、それは逆に光との貴方の固有の距離感を失い、事務的な簡便さを優先する結果となる。勿論それによって優先予約などのメリットも生まれる訳だし、「ファンクラブを求める」という態度もまた貴方と光の固有の距離感に基づいたものだから、その思いもまた光は受け止めてくれるんじゃないかな。

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