無意識日記
宇多田光 word:i_
 



この1年余り、映画もテレビもゲームも"3D"を前面に押し出して新時代の到来を演出しようとしてきたが、どれも話題性以上のものは残せていない。大ヒットしたものもあるにはあるんだけどね。

何故そうなるかというと理由は至極シンプルで、嘗て述べた気もするがあれは本来の意味での3Dではないからだ。いくら飛び出してみえようが、「平面に相対する」というポーズは今までと何も変わらない。メガネをかける分億劫さが増すだけであろう。かけなくていいやつもあるけど。

本当の3Dは右に回ったら右側が、左に回ったら左側が、背中側に回ったら背中が見えなくてはならない。それでこそ三次元。即ち、体験の媒体として"画面/スクリーン"を使用している時点で間違いなのだ。革命的な3D体験は、スクリーンとは異なる三次元的な媒体が必要となる。

ひとつに考えられるのは、スノードームのようなメディアだ。あの小さな半球の内側が新しい"画面"となって、"映像"を映し出す。映せるのは例えば円形の舞台の上に居る人々とか―

―というわけで、今回Wild Lifeで初のセンターステージ、初のBluray発売と相成ったが、私は数十年単位で今回のステージは"リアル3Dメディアへの第一手の布石"と思い込むことにした。このスノードーム型の"スクリーン"なら、光のあの美しい背中にだけFocusして鑑賞する事も可能だし、勿論ずっと正面を見続ける事も可能だろう。こんな技術が実現した暁には顔認識など朝飯前であろうから"ずっと正面モード"を選択して床の方が並行移動回転運動すればよい。なかなかにダイナミックな映像となろう。

しかし、"リアル3D"の実現媒体として考えられるのはこのスノードームタイプだけではない。一部屋全体が"スクリーン"という事も可能な筈である。これぞ究極のヴァーチャルリアリティ。スノードーム型だと"背景"の描写に難点が出てしまう(半球内の位置に存在するものしか描写できない―遠景がないのである)のだが、ルームタイプなら幾らでも壁に風景を描けばよい。これをWild Lifeに当てはめれば、例えばステージの中央でコンサートを鑑賞する事が可能になる。部屋の中を、光が歩き回って歌ってくれるのだ―

―というのが実現するのはいつになるかわからないので、もう少し実現可能性の高い提案をひとつしておきたい。円形ステージのコンサートで、"歌手目線の映像"があるとかなり面白いのではないだろうか。単純に、イヤーモニターにブレ防止機能つきの超小型カメラでも設えておけばできそうな気がするんだが。

普通の舞台と観客席が相対しているコンサートよりずっと興味深い映像になる筈だ。演奏者たちとのアイコンタクトとか、見上げて歌った時の高い観客席(や天井)とか、あぁ、この時下向いて歌ってたんだなとか。

で。もし貴方がそのコンサートに参加していたとしたらいちばんの楽しみがある。そう、光と目があったかどうか確認できてしまうのである。これはどきどき。ガッカリする事もあるかもしれないが、、、と一般論を書こうと思ったんだが、光って本当に隅から墨まで目線を配っている気がするから、その日の観客席全員が映っちゃうんじゃないか。いやぁ、これ実現してくれると楽しいかも…。

勿論この"歌い手目線映像"の最大の弱点は、光が画面に一度も出てこないことである。オーロラビジョンを見やるのでもない限り。そして、当然その日参加していない人間はあんまり面白くないかもしれない。やはり我々が生きている間に"リアル3Dメディア"が実現して貰いたいものです…。

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Appleのクラウドサービスが発表になったらしい。私はまだ静観。これは国単位の話になるが、第一の問題は無線ブロードバンドの為にどれだけの帯域が確保されるか、だ。ここまでくればどうやって残り0.5秒を縮めるかがサービスの分かれ目になると思う。手元のフラッシュメモリにアクセスするのと遜色ないアクセススピードが実現されれば、一気にクラウドは話の中心になり、"ユビキタス"という懐かしいワードが再び浮上するのではないか。

ブラウザを比較してみると、なるほどどうやら確かにソフトウェアの設計次第で随分とアクセススピードの印象は変わるようだ。なんだかどんどん人間の要望が怠惰になっていく感じだが、そこで問題になるのは最早何が出来るか、(予め)何がしたいかではなく、そういうシステムに囲まれたときに人間が何を欲求・要望として残すか、だ。

人間、いつでも手に入ると思うとわざわざ手に入れたいと思わなくなることがままある。私の場合(といっても多くの方が実践されているとは思うが)、例えばTV番組を"見ない為に"録画したりする。いつでも見れると思って見ないものは、つまり別に見なくてもいいのだから。どうしても見たければそれがいつでも見られようが、いつでも見る。

クラウドが実現していけば"いつでもどこでもアクセスしたい時に好きなだけ"が益々加速する。つまり、貴方は自由をまた手に入れる。自分が本当に触れていたいものは何か、よくみえる地点に到達できる。一方で、アクセスの簡単さに導かれていく機会もまた増える。だらけきった正義だな。これはこれでまた、悪くない。

光は、案外"自由"について歌わない。いや勿論そういうテーマもあるんだがどちらかといえばどうしようもなさややるせなさ、せつなさといった"不自由"について歌う感じが強い。

メタラーな私は、伝統的に"自由"について歌う歌を沢山浴びて育ってきた。ヴァイキングメタルなんてジャンルもあるが、ONE PIECEのいちばん大きなテーマもまた"自由"だ。戸惑いこそ人生だよ黄猿くん。そして、自由をテーマにする以上それを獲得する為に必ず闘うことになる。自由への歴史は闘争の歴史でもある。

女性である光がそういった自由と逃走、じゃないやそれじゃFreeとFleeだ、自由と闘争の歴史から距離をおくのは納得のいくところだが、一方で少しリベラルな空気も時々漂わせる。リバティもまた"自由"だが、そこにはあんまり闘争の気配はない。一方で"どうしようもなさ"みたいな切実な雰囲気もない。

ん。難しいな。このテーマを書き切るにはまだまだ余白が必要だわ。今回はここまで。クラウドやユビキタスが進化したら、頭に思い浮かんだ文章一枚が、すたとんと一瞬にして脳から取り出せるなんてことにならんかのー。読む方もそれを一枚まるごと一瞬で飲み込めるかどうかの方が、今度は問題になってくるだろうな…。

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