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http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/3339cb8bc7ce68b0259327d5cac57ab6
2006年7月9日(日曜日) 【2006.07.10up】
静岡での日曜日
この朝から静岡は霧の日だ。今夜のショウを目前に控えて、短いリハーサルをするために、今僕らスタッフ全員がホテルから会場に向かっている途中。
今日のショウのエネルギーは、今までのなかでもベストなものだった。今夜のHikkiは本当にエネルギッシュで、静岡のファンに対して全力を注いでいた。会場を喚声で埋めたファンについても同じことがいえると思う。1曲目からとてもいい雰囲気だった。もしかしたらそれは、マット(・ローディ/バンマス隊長)とトミタ(・ユズル/キーボード他)とフミキが昨晩ウナギを食べたからかもしれない。(笑)
僕らはショウを終え電車の中にいる。週末福岡での2つのショウの前に東京に2~3日とどまる。アーセルは電車の中でダンスパーティを始めようとしているし、フォレスト(・ロビンソン/ドラマー)はマイ・フリカケを持ってるし、サム(・シムズ/ベーシスト)はバンドのみんなにワインを注いでまわっている・・・誰もが上機嫌だ。
来週の後半頃には、福岡に向かう。次の週末には、誰がそこでの2回のコンサートに来てくれるだろう? もし来てくれるというのなら、ぜひコメントをよろしく!!
--- パット・ウッドウォード@ProToolsの使い手
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訳者から: フミキさんとアーセルさんがどなたかわかりませんでしたすいません。(T∇T)
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http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/4993e53e1d1506099b223c4852ef6afd
2006年7月8日(土曜日) 【2006.07.09up】
静岡初日
総てのミュージシャンとクルーのうちの何人かは、今朝の新幹線で2公演を控える週末の静岡に向かった。バンドのメンバーたちは、この数日のオフのあとに控えている連続公演が楽しみで仕方ないという風に僕にはみえた。車中で、僕らは緑茶のフィールド(茶畑)が重なっているのを目撃した。タク(・ヒラノ/パーカッションのあんちゃん)によれば、ここは最高級の緑茶が採れる場所なんだそうな。
ショウまであと2時間だ!
静岡の一日目のショウが終わる。ちょうど今、みんながアンコール後に舞台中央に集まっているところだ。アリーナの空気中に漲るエネルギーは、実によいものだった。Hikkiとバンドのメンバーたち、ファン、全員だ。観客は立ちっ放しで、ショウの間中拍手と手拍子をしていた。バックステージでトミタ(・ユズル/Key.Gr.etc.)が、ショウで感じられたフィーリングがいかに幸せなものだったのかについて語ってくれたよ。外では、ファンのみんなが列をなして帰っていく。きっと、あのうちの何人かは明日の日曜日のショウにも帰ってきてくれるはずだ!
みんな、この夜は晩御飯を食べてホテルに向かうんだろうなぁ。
今日の静岡の夜は、いったい何が起こるんだろう?? マット・ローディ(バンマスのあんちゃん)が知りたがっているよ。(笑)
ではまた明日!
--- パット・ウッドウォード
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訳者から: パットくん、いっつもPC開いては1行だけ書いてまた閉じて、また次のときに開いてまた1行だけ書いて、を繰り返してはるんでしょうか。段落が変わるたびに場面が転換してるせいで、時制表現が、訳文だとちと不自然に感じられるかもしれませんが、原文もやっぱりヘンな感じなので(笑)、いちおうそのヘンな感じも忠実に訳しておきました。(手抜きっちゃ手抜きなんだけどねw)
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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.22
http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/23346e67da31480fbfacba5caa1654f8
2006年7月2日日曜日(7月3日アップ分)
仙台での二日目のショウ
結局、昨晩街で僕ら“ヒカル組”を見つけることはできたかい?(笑)
今日は仙台で雨降る朝に起きてきた。これじゃあ誰も午後に会場に向かう前に街中をたくさん見て回るためにでかけることなんてできそうもない。
僕らは会場に向けて移動するために車にどっと乗り込んだ。軽く昼食をとったあと、マット(・ローディ/バンマスのあんちゃん)が微調整したがってた2,3曲について短いリハーサルをした。
今はバンドのみんなと一緒にバックステージにいる。ショウタイムまであと1時間。サム(・シムズ/ベースのあんちゃん)は家族も仙台に来ていて、今もここに残っているんだ。今夜のショウを見るのを楽しみにしてくれてるよ。昨日に続き今日もショウはソールドアウト。7500人もの人たちが・・・このアリーナに熱狂を持ち込む。仙台のファンはグレイトだ。ヒカルは今夜も観客と楽しんでいたようだった。みんな、曲間にHikkiと名前を唱和しながら、彼女が舞台の上ですることを愛しそうに見ていたよ。
ショウが終わったあと、僕はクルーがステージセットをパーツに分解していくのを眺めていた。彼らの仕事の素早さといったら信じられないくらいだ。この舞台とセットは、次の週末にHikaru United2006が静岡に降臨するまで、次の街に向けて眠りについてるってわけだ。
グランディ21から(直接)駅に向かう。今夜のうちに東京に引き返すよ。
最初の週末は、予想以上に得るものが多かったな。
仙台に来るときは、ぜひ牛タンにチャレンジしてみることを、オススメしておくね。(笑)
--- パット・ウッドウォード
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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.19
http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/710d81b218fbdb56a57a624356732afd
2006年7月1日土曜日(※ 2006年7月2日UP)
初日公演。
今朝早くの地震は、UTADA UNITED 2006の始まりを告げる恰好の合図だったといえるだろう!(笑) 幸運なことに、ステージは地震のあとも無事だったんだけどね。
お昼過ぎには会場に到着してたんだけど、今の僕はバックステージでバンドのみんなと一緒に座っているところだ。コンサートの始まりの時刻まであと30分だよ。
/////
さて、ライヴはグレイトだった! 音響調整卓で突然凄い喚声を耳にしたんで咄嗟に見上げてみたらそれはヒカルが袖から飛び出してきて観客が大騒ぎしている瞬間だったんだ。今夜ヒカルとバンドは素晴らしいショウを成し遂げた。観客は隅々までそれを堪能し、ライヴの間中拍手が鳴り止むことはなかった。
ショウが終わったすぐあとに、サム(・シムズ/Bass)、タク(・ヒラノ/Percussion)、それにマット(・ローディ/Key.&music director)と話をしたんだけど、みんな大観衆の前に遂に立つことができてよかったと言っていた。
今、僕はバックステージでみんなと一緒に、一旦外の混雑が解消されてから出発しようと待機しているところだ。・・・おっと、トシエが呼びに来たみたい。さて、出口に向かおう。/// 車に全員乗り込んで走り去ろうとしたら、たくさんのファンたちがヒカルをひとめ見ようと外の道にたむろしているのが見えたよ。
きっと今夜も街のどこかで乱痴気騒ぎが繰り広げられる。・・・・・・もしかしたら君たちは、今夜そんなUTADA UNITEDのクルーを仙台近辺で目撃できるんじゃないかな!(笑)
--- パット・ウッドウォード
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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.17
http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/fdfc240895864834d2540f09c28b3f0e
2006年6月30日
仙台の週末前日
今朝僕らはUTADA UNITED 2006のスタートの為に新幹線に乗って東京から仙台にやってきたんだよ!
今は、グランディ21アリーナで、バンドとスタッフのみんなが、来るべき明日に向けてリハーサルをやるためにサウンド・チェックをやりきろうと準備をしているところだ。
僕らは、カズ(・キリヤ)と宇多田(照實)さんからいわれた幾つかのセットの変更をなんとか形にするために2~3時間をリハーサルに費やした。ほんのわずかな変化でも、クルー全員の仕事に大きな影響を与えるものだから、どんな小さなものでも変更点は総て、ちゃんとうまくいくかどうか確認しないとダメなんだよね。
ちょっと休憩を挟んで、コンサートの本番リハーサルをやる。ちょっとアリーナの周りを散歩してみよう。見たことのない人もいるな・・・このツアーが立ち上がるに際して、たくさんの人たちがかかわっているってわけだ。こういうツアーを成功させようとたくさんのひとたちが協力し合っているというのはクールなことだね。僕の感じたところによると、もうたった24時間後にツアー最初の公演が迫ってるってことで、多少緊張している人もいるみたいだ。でも、バンドのサウンドは最高だからね。明日大観衆を見るのが楽しみだよ!
僕ら全員、ツアーの始まりを告げる最初の一音に向かってやる気満々だぜっ!!(笑)
明日の夜に会おう!
--- パット・ウッドウォード
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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.16
http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/673c6ee9f513e24621cc1365bafca09a
2006年6月25日日曜日
プライベート・ショウ(ないしょのコンサート(註:ゲネプロの話です))
バンドは、短いリハーサルをやる前のサウンドチェックをするためにけさリハーサル現場に到着し、セットの一部をよく検討して、この夜のプライベート・ショウの準備に臨んだんだ。
夜のショウはなかなかによかった。バンドはやっと生の聴衆を前にして演奏できることに気をよくしていたんだと思う。バンド全体が、自分たちはよい時を過ごすことが出来、そしてこのバンドにはよいエネルギーがあるんだと感じれていたようだった。ホールの中で聴衆と相対したときにはあらゆることが違ってくるものだから、このプライベート・ショウは、そういうフィーリングをツアーの初日を迎える前に掴む為にはちょうどよかったんじゃないかな。
さて、今夜のこのプライベート・ショウが終わり、荷物を全部まとめて仙台へ旅立つ時がきた。ではみなさん、土曜日にお会いしましょう!
--- パット・ウッドウォード
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http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/7e5fcb57790cfdb808e13c4626a1dbfc
[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.13
パット・ウッドウォードのウタダ・ユナイテッド・ツアー・ブログ
リハーサル・スタジオでの最終日
(註:或いは、「昨日のリハーサル・スタジオ」かな?わからん(=_=;))
これが、ウタダ・ユナイテッド・ツアー・ブログでは初めての英語投稿になるんだよね。これからはできるだけ、このウタダ・ユナイテッド・ツアーの内外で何が起こってるかについて英語で書いてアップしていければと思っているよ。僕の文章が、読者のみんなにとって、このツアーを内側からの目線で経験してるかのように感じられる、そんな“のぞき窓”になってくれればいいと願ってる。
昨日は今週2日目のリハーサルの日だったわけだけれど、バンドは、ヒカルを伴ってセットリスト(註:「曲目と曲順」のこと。“ステージ・セット”と混同しやすいので注意)全曲を通して演奏している段階だ。セットリスト全曲のランスルー(註:通しリハーサルのこと。撮影がある場合はカメラが入ることもある)では彼らは最高のサウンドを響かせている。バンド・メンバーとスタッフは段々と曲の移り変わりとショウ全体の流れに馴染んできつつあるな。月曜日にはセットリストに僅かながら幾つか変更があったよ。最初のライヴにどんどんと近づいてくるにつれて、更にまたマイナー・チェンジがあるだろうね。カズ(キリヤさん)とビジュアル・スタッフはライティング・デザインの仕事を続けているんだ。まだその全貌は明らかになっていないけど、ステージ・デザインの縮小モデルはちらっと見せてもらったよ。「100%アクリル製のステージ・フロア」と「ステージ背後のビデオスクリーンの巨大な壁」からなるデザインで、とっても印象的だったな。さて、これから午後もまたリハーサルに戻らなくっちゃ。
訳者より: ごめん、パット・ウッドウォードさんって、どなた?(^∇^; 文中の“註”は、訳者による注釈です。また彼から(或いは他の英語の使い手さんからw)投稿があれば、訳をしたいと・・・思います。ま、順調そうで何よりですv
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http://www.mattrohde.com/
ったく、過去ログすぐ参照できたりしないのかよ~。
ほなしゃーない、原文無断転載っ!<良い子は真似しないように
News
May 31st, 2006
Konichiwa! I'm in Tokyo right now working on preproduction for Japanese pop star Hikaru Utada's summer tour. I'll be working as Music Director for the tour with an incredible band featuring Forrest Robinson(India Arie) on drums, Taku Hirano(Fleetwood Mac) on percussion, Sam Simms(Janet Jackson) on bass and Kon Tsuyoshi on guitar.
Last week we wrapped up season 5 of American Idol, where I was working as Associate Music Director since February. I've got some great pictures from the wrap party which I'll put up later... Also, check out drum virtuoso Virgil Donati's website; he just posted some highlights from the May 20th Baked Potato gig in LA when I sat in the band. It was a really fun and challenging night with some great moments.
More to follow...
***** *****
2006年5月31日
コンニチワ! 今僕はちょうど東京にいて、日本のポップスターであるウタダ・ヒカルのサマーツアーのプリプロダクションに勤しんでいるところだよ。僕は今回音楽監督(バンド・マスター)としてツアーに参加するんだけど、一緒にやるバンドが凄いんだ。ついこないだまでインディア.アリーとライヴをしていたフォレスト・ロビンソンがドラム、フリートウッドマックのツアーメンバーであるタク・ヒラノがパーカッション。ジャネットジャクソンと一緒にやったこともあるサム・シムズがベース、そしてギターはコン・ツヨシだよ。
先週ようやくアメリカン・アイドルの第5節を打ち上げたところさ。共同音楽監督として2月から仕事してきたんだけど、打ち上げパーティ会場では沢山ナイスな写真を撮ったから、今度アップするね...。ところで、ドラマーの巨匠ヴァージル・ドナティのウェブサイトを見ておいてくれ。ちょうど、LAにあるベイクド・ポテトで5月20日に行われたギグのハイライトがアップロードされたところだ。僕もバンドに加わったヤツだよ。本当に楽しくって、チャレンジングな夜だった。素敵な瞬間がいっぱいあったなぁ。
そいじゃまたw
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http://www.mattrohde.com/mattnews2.html
うぉっと、3ヶ月も更新してなかったみたいだね!(汗) ごめんごめん、もうさ、、、忙しくって! 「アメリカン・アイドル」(註:テレビのオーディション番組の名前)の音楽助監督の仕事をずっと2月半ばからやっていて、5月の24日にようやくワン・シーズン分を仕上げられるところさ。今年は大変な思いで乗り切れたけどでも、来季もまたこの仕事にかかわれたらいいなと願っているよ。「アメドル」が終わったあと、短い期間だけど日本に向かう予定だ。ヒカル・ウタダのツアーの音楽監督を務めるんだよ。僕らは夏の間中まわっているから、できたらショウに駆けつけてみてほしい。できたら、ね。(笑) ショウは、最新鋭のビジュアルとサウンドによって、驚くべきコンサート体験になるはずさ。流石に日本までは行けないという人もいるだろうけど(笑)、5月20日にLAのベイクド・ポテト(註:ライヴハウスの名前)でドラムの巨匠ヴァージル・ドナティと競演するから、こっちなら僕を観ることができるんじゃないかな。ヴァージルの凄まじいバンドであのミッチ・フォアマンの代役をするだなんて、正気の沙汰じゃないよな。(苦笑) めちゃめちゃ難しいポリリズム(註:複合拍子のこと)の楽曲をプレイしなくっちゃならないからね・・・。
そうそう、早く新しい写真をアップしないとね。もう2年間、僕の髪の毛は(写真より)もっと短くなったまんまなんだよな・・・。
そいじゃまたw
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訳者後記: 別段新情報はありませんが、でも、この彼のスケジュールからHikkiの5月下旬の予定がある程度はわか・・・・・・やっぱわかんないか。(笑) なので、今回の後記は固有名詞等の説明をしときますね。★ 「アメリカン・アイドル」は、前回の翻訳でも出てきた、日本でいったら昔の「浅ヤン」みたいなオーディション番組・・・らしいです。(若い子はもう浅ヤン知らないのでは・・・(汗)) 見たことないので詳しくは知りませんが、この番組出身のアイドルがビルボードで高得点を稼いだことが何度もあるので、とっても有名な番組であろうことは間違いないみたいですね。今はどうか知らないけど(^_^; ★ 「ベイクド・ポテト」ってのはロサンゼルスにある結構有名なライヴハウスです。(ttp://www.thebakedpotato.com/) 予定表を見ると(って、あ、30日に奥本亮(ttp://www.ryookumoto.com/)の名がw)、まだ名前はミッチ・フォアマンのまんまですね。本当に急遽代役を頼まれたんじゃないかなマットくん。大変だねぇ5月は。★ で、そのミッチ・フォアマンさんですが、検索するまで気付かなかったのじゃが(汗)、これ、80年代マハヴィシュヌ・オーケストラ(70年代最も有名なジャズ・ロックバンドのひとつ/80年代はジョン・マクラフリン(ttp://www.johnmclaughlin.com/)名義だった)のキーボーディストだったミッチェル・フォアマンさん(ttp://www.mitchelforman.com/)ですね。彼の代役として白羽の矢が立てられてしまうマットくん、LA界隈でもかなり評判が高いと見ていいでしょう。★ で、その20日の主役である怪物ドラマー・ヴァージル・ドナティは、訳者は一度生で見たことあります。凄腕なんてもんじゃねーよありゃ。(笑) LAでもセッション・プレイヤーとしてひっぱりだこみたいで、なんでも、録音をツーテイクで済ませてしまうらしいっすよ。あんびりーばぼーw ウタユナ06で一緒のフォレストくんと比較すると、よりパワフルで、よりクレイジーなスタイルのドラマーです。“ポリリズム”というのは、主に複合拍子(違ったリズムを同時に演奏すること)という意味なんですが、こういうヘンテコなプレイをさせたら当代随一のドラマーといえると思います。やはり、そんな彼と気軽に(?)共演してしまうマットくん、彼もまた超凄腕のキーボーディストであることは、想像に難くありません。ぶっちゃけ、訳者としては「UTADA UNITED 2006」では彼のキーボードソロタイムを切望したいくらいです。(笑) ないかな~ないだろうなぁ(^∇^;
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このエントリの元投稿初出日時は『2006/05/04(木) 13:42』です。
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メッセ更新です。(携帯/PC)
以下翻訳です。随時(私の気分により)改稿予定。
***** *****
【5月のごあいさつ】@2006.5.4(木) 11:00
さてさて! 英語でカキコミするには、ちょうどいい頃合いなのではないでしょーか!
最近、すごい勢いで書き込んじゃってたよ! 何ヶ月も書かない時期もあったっていうのにさ、、、いったい私ってどういうヤツなんだろう?やっぱり矛盾屋??(・⊆・
面白いことに、英語を使うと妙によそよそしくなっちゃうんだよね私って、、、逆に日本語だと、なんだか間違った方向性に突き進んじゃってるような気がする!\(≧血≦;) おどけた感じというか。たぶん笑いを取るためだけに(ってあたしゃ芸人かよ)英語でバカなこと書くのってきっと日本語より難しいんだろうね(日本語の方のメッセージの翻訳を読んだことのある人だったらわかってくれると思うけど!)。
ごめんね、ごめんよぅ!ノ(´д`)デヘヘッ
え~っと、元気だった?(*^ー^*)
先週はNYにいたんだよ! ちょっと片付けなきゃなんない仕事が幾つかあったからなんだけど。そして今は東京に来ています。ちょうど夏の日本国内ツアーのプリプロ(準備段階ってやつだな)が始まったところなんだけど、もうね、なんだか作詞とか作曲とかレコーディングとかとはぜんっぜん違うね! 俄然やる気が出てきましたよUtadaさんはっ。私に必要なのはコレだったんだ!って今ごろになってやっと気づいちゃったかな? この2年間アルバム製作と常に背中合わせだったからね~(´ロ`)
今回のツアーはほんのちょぉ~っと英語圏のみんなからは遠いよね、、、でも、フランス人の男の子からメールが来ててさ、彼ってばたった1回だけのライヴを見に日本まではるばるやってきてくれるんだって! もっとこういう人がたくさん出てきてくれたらウレシイ、、、んだけど、まぁ普通はムリだわな(x_x)、、、だからちゃんとこのツアーのCDかDVDか何かをリリースできればっって今考えてるんだわさ! 特等席とはいわないけれど、ほんのちょびっと想像力の助けを借りて、みんなのおうちのソファーか何かを観客席みたいに感じてくれれば・・・それも悪くないと思うんだけど、どうよ?(ー_ー)
しっかし、UtaDAの英語の曲と、宇多田ヒカルの日本語の曲を、デッカイひとつのショウにまとめちゃうだなんて初めてのことだからさ! これがどうなるか私自身も楽しみで仕方がないよ! あぁ神様、どうかうまくいきますように、、、(-人-)
うげぁっ。今、私はかつてないほどの時差ぼけにサイナマレテおります!
私のカラダが「アンタはもう15歳じゃないんだよっ」と忠告してくれてるよ、、、(-⊆-;)
でも、気分は15歳のころと変わんないんだけどね、、、(●^口^●)
また近々書くからね!
、、、ヽ(´ー`)ノ スリスリ
Love, UH
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(翻訳後記は以降上梓予定(つまり未定))
なんとなぁく、やっぱり「少し前のHikki」な翻訳になってしまうなぁ。(鬱反省中)
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2005年2月23日のショウケース・ライヴ、及びシングル盤「Passion」のレコーディングに参加してくれていた鍵盤奏者のマット・ロードくんのサイトから速報です!
ニュース 2006年2月8日
今このサイトは リニューアルの真っ最中です。願わくば今月中になんとかしたいなぁ。いろんなことがこれからあるからね・・・最近はアメリカンアイドル関連の企画モノ音楽ディレクターに雇われたんだよね。5月中はすっごく忙しくなりそうだ。他にも面白いレコーディング・プロジェクトに携わっているんだよ。僕の関わったある曲、日本のポップ・スター・ウタダ・ヒカルの“Keep Tryin’”が、今日本のラジオで頻繁に掛かっていて、2月22日に発売になって皆の手元に届くはずだ。もうひとつ、ウタダとは“Passion”という曲でも仕事をした。これは、ディズニーとスクウェアソフト共同によるテレビゲーム「キングダムハーツ2」のテーマソングで、まもなく英語ヴァージョンもリリースされる予定だ。僕は、この夏に来たるべきヒカルのジャパン・ツアーの音楽監督(註:恐らくバンド・マスター/前は河野圭さんでした)を務めてほしいと要請されてもいるんだ。これからしばらくの間はLA(ロサンゼルス)に行くつもりだから、ロスでは更にライヴ・パフォーマンスをブッキング(予約)できないか見てみるよ。決まり次第またこのサイトで発表するよ!
続報を待て!!
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訳者註:
みんな、焦るな!! あくまでも依頼だし、あくまでも予定に過ぎない!!
それに、夏といっても9月も夏かもだし、オーストラリアだと12月が夏だっ!(謎苦笑)
でも、嬉しい~~~~~~っ!!!(≧∇≦)
えっと、マットくんについては、友人であるフォレスト君のインタビューと拙文「「Passion」制作を支えた人たち」を参照してくださいませっ。
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※ このエントリの元投稿初出日時は『2005/11/10(木) 23:29』です。
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約7分の「胸元まるごとUtaDAインタビュー」の聞き書き取り&翻訳ですっ! 聞き取りの間違いなど見つかれば、ご指摘よろしくお願い致します~。訳者コメントは、また機会が見つかりましたら! とりあえずUP!!(^∇^)
元のインタビュー・ファイルは、このページにある【Luister hier naar het hele interview met Utada】をクリックすると、ご覧になれます♪
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mtv.nl interview with UtaDA
WATCHING MY PARENTS doing crazy things to continue working on music, um, I was that I'd never wanted to be a musician. That's crazy, and it's unstable, and just it looked like a very hectic life. And I didn't really understand their passion for music that they'd had back then. But I ended up following my parents' footsteps and carrying on the family business, and I'm a musician now...as well. And now I understand the driving passion behind it. And it's Okay...
両親がイカれたことしてるの見てたからね、、、音楽を仕事にし続けるっていう。(笑) だから、ミュージシャンになりたいなんて思ったことなかったんだ私。第一そんなの正気の沙汰じゃないし、収入は不安定だし、なんか“てんてこ舞い”の人生に映ってた私の目には。そんときゃまだ二人が持ってた音楽への情熱ってのがよくわかってなかったんだな。でも、結局こうして両親の足跡を辿り家業を引き継ぐことになってしまって・・・今や同じくミュージシャンやってます。(苦笑) うん、もう音楽をやろうとする情熱とか、そういうのが、わかってきちゃったから、まぁいいんじゃないかな、、、(笑)
I DON'T REMEMBER how I came to start recording albums because I was so young. I think I was about... twelve, when somehow EMI of America wanted me to do an album. So I made a full album with about twelve~thirteen songs I wrote them all, was in English. And then EMI-USA disappeared and turned into VIRGIN or something's happened to record company ! (lol) So never went out, and then someone in the Japanese-EMI heard the album and asked me “Why could not I write in Japanese ? ”and“it's okay, why not? I'll try it.” And I gave it a shot. And the Japanese album just really blew up in Japan.
どうやってアルバムをレコーディングし始めたのかよく覚えてないんだよね。随分ちっちゃい頃の話だから。そう、、、確か12歳のとき。なんでだかアメリカのEMIが私にアルバムやってほしいって言ってきて、フルアルバム作ったのね。12曲だか13曲、私が全部書いたんだけど、英語で。でもそのあとそのアメリカのEMIが消滅してヴァージン・レコードに吸収されちゃったんだ。レコード会社に何が起こったというのでしょうか!?知りません!(爆) だから、それはリリースされることはなかったんだけど、更にそのあと、日本のEMIの人がそのアルバムを聞いて私に訊いてきたんだ。「何か日本語で詩を書けない理由でもあるの?」って。んで、私は「大丈夫だよ。書けない理由?そんなのないし。やったろうじゃねーか!」 ってアルバム一枚つくっちゃった。その日本語アルバムが日本で爆発的に売れちゃったんだね。
NO I DIDN'T FEEL ANY DEFFERENT, writing in Japanese or English. And I didn't sell out to, you know, “Making an album for the American market or American people ! ”anything like that. There were differences that came out naturally through the process of writing in a different language obviously cause it sounds different and the nature of Japanese and English it's just, it's just so different. That,um, both have pros and cons, but I found out with English I could be more...up-front powerful, and in a good way, which included things like a humour and sexiness and playfullness and some poetic language that. And Japanese might sound all too, like, too much showed weirdness or too much goofiness. So, there was a new freedom with English that really let me making new things that I don't think I would've come up with otherwise...
作曲は、日本語でしようが英語でしようがそんなに違いは感じなかったな…。自分を売り渡そうとも思わなかったしね。うん、「アメリカのマーケットのひとたちのためにアルバムを作るぞ!」とか考えなかったよ?(笑) ただ、違う言語で書くっていう過程を通して違いが自然に出てくるってことは当然あった。てのも、響きが全然違うんだよ。日本語と英語って。とにかく違うんだ。いいところも悪いところもあるんだけど、英語のときって自分がもっとこう、率直に、力強くなれたことに気がついた。いい意味でね。ユーモアやセクシーさ、遊び心も盛り込めた。詩的な言葉も日本語にしちゃうと、どこかこう、風変わりというかおかしさが出過ぎちゃうんだよね。つまり、日本語では思いつけなかったような新しいものを私に作らせる力が、英語にはあったってことだ。
I THINK BECOMING REALLY FAMOUS of fifteen was difficult. It can't be easy for anyone. Umm, even if you're out of school, you're fifteen and it's difficult to grow up because you are schoolnized, and you're very sensitive about your,yourself. You're very conscious about things you don't have to be conscious about when you're older. But that, for that to happen with a whole country was really difficult for me. And when you are young you can't really go out and do crazy things if, if you're one, fifteen you can't. And I can't be out drinking or doin' crazy things, um and, even if I get a lot of money out of it, what like a fifteen I can't buy a car, can't drive yet, I can't buy a house, um, couldn't really do anything, so that point was difficult. But then now I got used to, and I'm, I'm legal for anything now. So I can really do whatever I want ! (lol) So I'm enjoying it all now, it's good...
15歳で有名になってしまうのは、本当に難しいことだったと思う。誰にとってもカンタンなことじゃないよね。もし学校を出たとしても、15歳だから成長しきってるってわけにはいかなかった。まだまだ学校づいてたし、自分に対しても繊細だったしね。大人になったら気にならなくなるようなこともまだまだ気になってたし。でも、それが国全体で起こってた。私にはキツかったんだそれが。若いと外に出かけてメチャするわけにもいかないし、15歳だとなおさらだよね。お酒を飲みに出かけるわけにもいかず、大騒ぎもできないし。お金をたくさん持ってたとしても、やっぱり15歳とかだと車を買うわけにもいかない。免許取れないから。(笑) 家も買えないし、なぁんにもできなかったなぁホント。そこが難しかった。でも、今はそれにも慣れちゃったし、なにより、もう年齢的に何してもいい歳になったんで(笑)やりたいことはなんだって出来るんだ私!(笑) だから、今はとっても楽しんでる。いいもんだよ、、、
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後半へ続きます。
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※ このエントリの元投稿初出日時は『2005/11/10(木) 23:30』です。
前半からの続きです。
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YOU MAKE ME WANT TO BE A MAN
A LOT OF, A LOT OF GUYS came on to me to ask me what I, what I mean in the song,“you make me want to be a man.” To me it was pretty simple and straightforward. I was trying to deal with my husband, and was the first time I really came to face to face with another human being. And th, the things I, we couldn't understand about each other. The things we argued it about, but I felt like I was because some of it was just like a sex issue, you kn, like I couldn't, I've felt I could be a man, I could understand it more, in some ways. So... I wanted to understand them ! And I thought I wish I were a man ! And that's why I wrote the song...
ユー・メイク・ミー・ウォント・トゥ・ビー・ア・マン/あなたといると男になりたくなる
男の子たちがたくさん、私にこの曲の意味をきいてきたの。“ユー・メイク・ミー・ウォント・トゥ・ビー・ア・マン/あなたといると男になりたくなる”ってどういうこと?ってね。(笑) 私にとってはすっごく単純なんだよ。思ったまんまって感じ。夫を何とかしようと思ったことがあって、、、それが私が他人と面と向かおうとした初めての経験だったのね。それで、お互いのいってることがわかんなかったのそんとき。論じてることの、そのうちのひとつが性別に関することだったから、そんなこと感じちゃったんだな、「あぁ、私が男の子になれたら! もしそうならもっとわかりあえるのに! なんとかして、、、」ってね。そう、だから、ただ男の子たちのことを理解したかったってだけ!(笑) 思ったんだ、「あぁ、私が男だったらなっ!」って。それが、私がこの曲を書いた理由よ?(笑)
‘FLUX’ANIMATION
WHEN I FIRST HEARD ABOUT FLUX, and they asked me if I wanted to be the first artist in a world *********, the explanation I got, I was just like really confused with it, like“ Uh ? What is FLUX ?” But it's very simple, it's just a great system where you can down-load music and a short animation with it on your mobile phone. And, and then “that's great!? It's not a farfetched idea,” it's something I was suprised we can't, we don't have that service already. And when I heard that the names of animators I could work with if I decided to go into it, just like “Wow ! Such an honour I would love to do it,” because, you know, Japan is, was, so wellknown for animations and creators are so smart and just amazing creative people. So, um, before that the whole production began on the animations I met with KOJI MORIMOTO, and he bec, he, um, agreed to, sort of, oversee the entire things with all these different animators working together, and he made a couple, himself. And So he wanted me to tell him if I had any input, like because the, all the animators have to interpret the, the songs I've made. And he wanted to know if there were any imageries that I had in mind when I made them that I could help give my ideas or hints to make sure they're not making something I'm unhappy about. They were very worried, at first, that I would say “No! I hate this ! This is not what I wrote the song about,” or be mad at different interpretations..., then I say that's ridiculous. That's what I want to see, I don't want something I could draw, you know. And, what all o'them, all the things that, finished parts that I come up, that I get to see on the websites, ...just amazing, I'm so happy I, I decided to go along with this...
FLUX
最初にFLUXのことを聞いて、それの世界で最初のアーティストになりたいかどうかっていわれたときに、説明してもらったんだけど、、、最初、ホントなんのことやらさっぱりで。(苦笑) 「はぁ? 何そのFLUXって?」みたいな。(^_^; でも、実際はシンプルなことで、携帯電話で音楽とか短いアニメをダウンロードできるナイスなシステムなんだって。そうわかって「あ、いいんじゃん!? 現実味もありそうだし!」と思って。 逆に、まだそういうサービスが実現してなかったことの方が驚きなくらいだったよ。私がそれをするって決めた場合に一緒にやれるアニメーターの人の名前を聞いて、「えぇ!? 私でいいんっすか!? それはかなりやりたいかも、、、」ってなって。ほらさ、日本て国は、アニメとか、そういうのが凄く有名じゃん? クリエイターのひとたちも優秀で、、、驚異的にクリエイティヴな人種なんだよね。(笑) そぃで、、、アニメ全体の制作が始まる前に森本晃司さんと会ったの。彼が、一緒にやるいろんなアニメーターの人たち全員の、総ての作品を統括、とでもいったらいいかな、してくれることになったんだ。ご自身も2つ3つ創る、ということで。森本さんはそれで、私に、何かいいたいことがあれば先に言ってほしい、っていってくれたんだけど、、、、ほら、アニメーターのみなさんは、私の作った曲の内容を解釈しなくっちゃいけないわけじゃない? 表面には現れていない、曲を作ってた時に持ってた私のイメージとか、アイディアとかヒントとか、そういうのがあれば予め教えておいて欲しい、って。アニメーターの人たちが、私が満足できないものを作っちゃわないようにするためにね。最初、私って誤解されてたみたいで。(苦笑) 「なによ!こんなのイヤだわっ! こんなの私が書いた曲とは関係ないっ!」とかなんとか私に言われやしないか心配されていた、という、、、違った解釈にいきり立っちゃうんじゃないかって。(^_^; でも、だから、私は「いえいえ、そんなバカなこと言わないっすよ?(笑)」って言ったんだ。「逆にそういうのを、私は見たいもんです。自分で思い描けるようなのだったら、わざわざ他の人に頼む必要もないですから。ね?w」とな。で、出来上がったものをウェブサイトで見ることになったんだけど、、、これがもう、溜息が出るくらいすばらしくて。協力することにしてホントよかったなって思ったよ、、、。
THE FUTURE
YEAH, when asked this question in interviews even like today before this, so you're twenty-two, and even accomplished this and this. What sort of aspirations do you have left? What do you wanna do? Um, I never really aspired to be a musician. And it all just kinda fell together, just, just came on me. And I went with it. And I was lucky because it was really what I wanted to do. But If I've any conscious goals or aspirations now it might be things that are a bit abnormal like finishing university when I'm older, maybe even a grandmother, I don't know when. And actually now I just wanna try being a housewife. I, you know, clean the house, go get groceries, and um take the trash out, things like that, without thinking about pressures of, you know, making new music or anything like that.
未来
あら。(笑) 今日、これの前のインタビューでもその質問訊かれたんだ。貴女は今22歳で、あれを成し遂げてこれも成し遂げて、、、今更切望するようなことが残っていますか? 何がしたい? って。(笑) もともと、ミュージシャンになりたいだなんて思ったことなかったから、、、一緒に音楽と居て、というか、音楽の方から私のもとにいらっしゃってくれた、とでもいいますか。だから、御一緒させていただいた、と。(^^) ホントにラッキーだったと思うよ。それが結局私のやりたいことだったんだってわかったんだから。でも、、、今、私が目標や願望として意識してるのは、、、ちょっと普通っぽいというか、そうきこえないかもしれないけど、年取ったらちゃんと大学卒業したいな、っていうこと。いつになるかわからないよ。もうお婆ちゃんかもしれない。(笑) でも今実は、主婦としての腕を磨こうと思ってるの。ほら、家を掃除したり、雑貨屋にお買い物に行ったり、ゴミを捨ててきたり、そういうこと。プレッシャーについて思い悩んだりすることなしに。「あぁっまだ新曲できてないよどうしようっ!?」っていう、そういうプレッシャーにね。(苦笑)
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※ このエントリの投稿初出日時は『2007-02-25 23:18:33』です。
引き続き過去記事発掘です。
2005-May - Utada: The making of an international pop star - Alloy.com
http://www.utadanet.com/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=33
初出はどうやら2005年5月の模様。
実は私今回初めて読んだ記事だったりします(^^ゞ
例によっていつもの内容なので殆ど新鮮味はありませんが、
UtaDAの活動の記録のひとつとして捉えておいてくださいまし。
*****
"Utada:国際的ポップスター誕生への舞台裏"
By:チャーリー・ペン
Alloy Online - Alloy.com - May 2005
マドンナはNYシティにその足跡を残した。アッシャーはアトランタにまるきり新しい意味をもたらした。そしてその音楽の世界地図に今度はUtada Hikaruが日本を加える! 彼女のデビューアルバム"First Love"はこれまでに900万枚を売り上げ、日本のアルバム史上最高の売上を残している。しかしこれは皮肉なことだ。というのも、UtadaはNY生まれだからだ。日本語歌手と音楽プロデューサとの間の一人娘にとって、音楽は家業に過ぎなかった。彼女が曲を書いたのは10歳の時、最初のシングルをリリースしたのが11歳の時。フルアルバムをプロデュースしたのが12歳で、13歳になる頃には、Utadaは作曲家/ソングライター/歌手として確固たるものを備えていた。たった1つの事を心に秘めて--ただいい音楽を作ること! レコード会社の重役達は日本語詞アルバムを作るよう彼女にアプローチ、後は音楽チャートの歴史が示す通りだ。続けざまに日本語詞アルバムをプラチナ・セールスしUtaDAはインターナショナル・ミュージック・ビジネスを魅了し続ける. しかしその偉大なる名声を以てすらUtadaはアメリカン・ポップ・シーンのレーダーに何とか引っ掛かるかどうかという小さな点位の印象しか残せなかった。でもその時はその時の話。今はこれからの話をしよう! さぁ見てろよブリトニー(・スピアーズ)にクリスティーナ(・アギレラ)!:誰が一番なのかアメリカに見せ付けてやる準備は出来ている。そう、このUtada初の英語詞アルバム「Exodus」のリリースによって。彼女は現在22歳、写真家紀里谷和明と幸せな結婚をし、目下の所コロンビア大学を退いている。この星で一番ビッグなスターのひとりでありながら未だNYの街中を誰にも気付かれずに歩けるというのはどんな感じなのだろう。「驚いちゃうくらい平和。」とUtadaは言う。Alloyは彼女の成功の秘訣を探る為にこの隠れたスーパースターの足跡を追った。お嬢さん方、これは注目だよ!
決して振り返らない
「15歳の時に(スターダムが)いきなりいっぺんに押し寄せてきて、ちょっとした衝撃だった。私の人生と比較できるような人なんて他に居なかったから、ミュージシャンとして有名になる事がカンタンだったとはいえないし、難しかったともいえない――私の人生は私にしか味わえないの!」
どんな時でも自分の仕事を真正面から受け止めなきゃならなかった件
「何をするにもハメをハズすってことができなくて。いつも明日しなきゃいけない仕事や歌をどうしようかって考えてた。それに、何処かで私が何かバカなコトしちゃったのを誰かに見つかるんじゃないかって怖くって、たまにしか外に出掛けられなかったなぁ。」
両親からのアドバイスに耳を傾けると…
「私のママはいつも言ってたな、"あなたの声は特別よ"って。最初は何ワケワカンナイコト言ってんのって思ってたけど、後で、11歳の頃かな、お父さんが私に曲書いてみなよ、って言ってきたから書いてみたの。私と音楽が恋に落ちた瞬間だったわ。」
同志を得て
「夫と私は写真撮影のときに出会ったんだ。最初はどっちかっつ~と"年の離れたお兄ちゃん"って感じだったんだけど、すぐにそれ以上の存在になった。いつ『正式に結婚するべきだ』って思ったんだっけかなぁ、、、2人ともふとある日具体的にそうしようと思い始めたような。今の彼は私にとって一番の親友みたいな人ね。」
UtaDAの強みとは
「私って移動中の間に(歌の)詞が思い浮かぶのね。車の中とか、飛行機乗ってる時とか、あと列車に乗って窓から風景を眺めてる時とか。だからホント私は散歩するのが好き。道ある所何処でも歩き回りますよUtaDAは!」
無条件に自分を愛するということ
「私5フィート2インチ(157.5cm付近)しかなくて。ちっちゃい方に入るのかな。でも私背が低いの好きだよ。実際、可愛いと思うしね。(笑) ちょっと変わった方法で私は目立つ事ができるってわけだ。」
現実的な目標を設定する
「音楽業界に飛び込むのはほんとタフなことだと思う。歌が心からやりたいことだからって,世界一の歌手になる必要なんてないよね。ラウンジで歌ってたっていいんだし、シャワー浴びながらだっていいじゃない。シンガーのありようは色々、何になりたくったっていいはずよ。それぞれのやり方の中で楽しんでいければいいんだと思う。」
自分を満足させれるバックアッププランを持つ
「自分のやってる事に飽きたらいつだってすぐ辞めて学校に戻るわ。化学か生物学の研究でもしようかな。私いつも科学の研究室で働きたいと思ってるんだよ。スタジオと似てるところが結構ありそうなんだもん。(笑)」
信念を貫き通す
「最初ティンバランドと仕事するのにちょっとナーバスになってたんだ。他の人と一緒に作曲したことなんて殆どなかったからね。気兼ねなく一緒に居れるようになるまで2、3日は掛かったかな。ちゃんと私に自分の曲の書き方をさせてもらえるように話をしなきゃいけなかったんだもの。でも、今はもう私とティンバで作った曲をみんな気に入ってくれてるよ。」
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・・・感想などはまた無意識日記の天啓カテゴリで書くかもしれません。お楽しみにv
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このエントリ元投稿初出日時『2005/08/07(日) 22:44』です。
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MTV.comの「MTV NEWS : YOU HEAR IT FIRST」に、ちゃんと「UtaDAの回」の文字記事がありますので、その翻訳を載せておきますね。インタビュー映像の内容も一部含まれています。
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文:アリッサ・ラッシュバウム
古臭い決まり文句に「アメリカのアーティストが”日本でだけビッグ”になるのなんてカンタンさ」というのが,ある.では,「逆もまた真なり」とは言えるだろうか? 今,ある魅力的な若き日本のポップスターがアメリカのミュージック・シーンに入り込もうとしているのだ.
ダンス・ポップ・シンガー「ウタダ・ヒカル」(これからはUtaDAと名乗るそうだが)は2300万枚以上のアルバムを日本で売り上げ,その成功を,10月5日(火)発売になるアルバム「エキソドス」をリリースすることによってアメリカに持ち込もうとしている.
21歳のUtaDAは,アルバムの洗練されたポップサウンドがアメリカのリスナーにアピールするであろうことに自信を持っている。ティンバランドが3曲でプロデュースしてるという事実を付言する必要もなく。だが,このシンガーは,自分のルックスが米国でのポップスター街道を驀進するチャンスの妨げになるかもしれないことに関心があるらしい.
「みんな”ねぇ,アメリカで成功できると思ってる?”って訊いてくるんだよね…」とUtaDAは言う.「私が心配すべきなのは、音楽のことじゃないと思う。... もう見るからにワタシの見た目って全然違うわけで,確かに,完全にアジアの血のみの(アメリカで有名なシンガーの)人たちって今現在は居ないんだよね.」
「エキソドス」は実に広い領域からの影響を見せている.速いテンポのキラキラしたポップ・ビートやアジアン・ポップス.UtaDAが言うには,これらはレッド・ツェッペリン(LED ZEPPELIN),ザ・ビートルズ(THE BEATLES),ナイン・インチ・ネイルズ(NINE INCH NAILS),ドクター・ドレー(Dr.DRE),エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley),(元)プリンス((ex-)Prince),といったアーティストたちを聴いてきた結果だという.UtaDAの歌声は――それは盛んに乱高下を繰り返すのだが――トーリ・エイモス(Tori Amos)のような意図的に伸ばし続ける音と,マドンナ(Madonna)を思わせる深いトーンを合わせたかのようでもあり,そこに更にビョーク(Bjork)の甘く,遊び心に満ちた抑揚が加わるのだ.
UtaDAの音楽は,歌詩もまた両極端だ."イージー・ブリージー(Easy Breezy)"に出てくる"You're easy breezy and I'm Japanese-y"(『あなたはイージー・ブリージーで私はお手軽なジャパニーズ』(対訳:新谷洋子))のようなシンプルなポップスらしいものが一方にあるかと思えば,"Exodus'04"に出てくる"Daddy don't be mad that I'm leaving/ Please let me worry about me/ Mama don't you worry about me/ This is my story."(『ダディー,私が出て行くからといって怒らないで 自分の面倒は自分で見させて ママ,私の心配はしないで これは私の物語なのだから』(対訳:新谷洋子))のような内省的なものも一方にある.
UtaDAの生い立ちもまた、その音楽同様変化に富んでいる.生まれはニューヨーク市だが,東京と同市の両方で成長していった.UtaDAは音楽一家に育ったのだ.彼の父親はミュージシャン/プロデューサーで,彼の母親は演歌を歌っている.二人の仕事を眺めながらも,UtaDAは最初,音楽業界に何の興味もなかった.
「私はそんな正真正銘頭のイカれたミュージシャン二人を見ながら育ったの.で,考えたんだ,“神様! なんて彼らはクレイジーなの!?”」彼女は言う.「コイツらは車まで売ってスタジオを使う為のお金を作ってる! もう心配しっぱなしだったわ,“収入が果てしなく不安定なんじゃ?”って.それが小学校一年生の頃.
それでも,UtaDAは,12歳になる頃には彼女のデビューアルバムのレコーディングを始めている.その英語詩アルバムは完成したものの,(全米で)リリースされることはなかった.しかしながら,その作品は日本のレコード会社の重役の目にとまり,彼がUtaDAに日本語詩でのアルバムをレコーディングして欲しい,と依頼をしたのだった.当時高校生だったこのシンガーによると,そのアルバムは結果として「とんでもないくらい狂ったように売れまくってた」.
「宣伝,プロモーションは(そんなに)してなかったんだけどね,」彼女は続ける.「もうどんどん訳のワカラン噂が付け加わってっちゃって,最後には“あぁ,彼女は一体何者なんだ? 実にミステリアスだ!”と.(笑)」
そんなミステリアスなムードが、「First Love」アルバムを900万枚売ってしまう結果に一役買ったのだった.更に彼女はそのまま,二つのマルチプラチナアルバムを2001年に出している.結局,彼女はアジアで最も成功したミュージシャンのうちの一人となった.
彼女の成功の噂がアメリカにまで届くのに,そう長い時間は掛からなかった.かくしてUtaDAは,英語詩アルバムを作りたいという多くのレーベルのアプローチを受けた。その中にアイランド・デフジャムは含まれていた.このレーベルの前のCEO(最高経営責任者)であるリオ・コーエンが,このシンガーが英語に馴染むかどうかを見極めるために,彼女に(映画の)サウンドトラック用の楽曲を録音するように依頼したのだった.
UtaDAは”ブロウ・マイ・ホィッスル(Blow My Whistle)”を映画「ラッシュ・アワー2」のサウンド・トラックの為に録音する.(同曲には,(ネプチューンズ(Neptunes)のファレル・ウィリアムズ(Pharrell Williams)と,ラッパーのフォクシー・ブラウン(Foxy Brown)が参加している) 彼女が言うには,この曲の存在が,アイランド・デフジャム・レーベルが彼女のサウンドと創造的ビジョンによくフィットするのだと感じさせることになったそうだ.
「エキソドス」からの最初のシングルのリミックス,“デヴィル・インサイド(リミックス)”はビルボード・ダンス・シングルス・チャートで初登場8位だった.この曲の歌詩は,今の彼女の位置付けを描いているかのようだ.日本では飛び抜けた成功の山頂にまで上りつめてしまった一方,アメリカではまだ,戦いの高原に登ろうとしている途中でしかないのだ.
"You don't know, 'cause you're too busy reading labels,"(『ラベルを読むのに忙しくてあなたは知らない』(対訳:新谷洋子)と彼女は歌う."You're missing all the action underneath my table/ They don't know how I burn/ Just waiting for my turn."(『その裏の展開を見逃している 私が燃えることを人は知らない 自分を出番を待っているの』(対訳:新谷洋子))
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