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このエントリの元投稿初出日時は『2005/11/09(水) 23:45』です。
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過去記事発掘企画第2弾、JAPAN TODAY(ジャパン・トゥデイ)のUtaDA分析記事です。
UtaDA本人へのインタビュー等はありません。
記事の日付は2004年10月4日となっています。
元記事はこちらに掲載されています。
(http://www.japantoday.com/e/?content=newsmaker&id=198)
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Utada to make U.S. debut
全米デビューを明日に控えるUtaDA
TOKYO - Popular female singer Hikaru Utada will make her debut in the United States on Tuesday with her album “Exodus,” in what may determine whether J-pop can make a breakthrough in winning worldwide popularity.
TOKYO ― 女性ポップシンガー・ヒカル・ウタダが明日火曜日、アルバム「エキソドス」でアメリカでのデビューを飾ろうとしている。このデビューは、J-ポップが世界規模での知名度を勝ち取る切っ掛けを掴むか否かを決定付けることになるかもしれない。
In the album, Utada sings not only J-pop but also hip-hop and rock 'n' roll, all in English.
このアルバムでUtaDAは、J-ポップ・スタイルの楽曲だけではなく、ヒップホップ・スタイルの楽曲や、ロックンロール・スタイルの楽曲も歌っている。全曲英語詩で。
Steve McClure, chief of the Asian bureau of the U.S. magazine Billboard which compiles the U.S. charts, said Utada has no problem with English pronunciation, and that compared with other artists who have tried to break out overseas, her level is overwhelmingly high.
アメリカのチャートをまとめているアメリカの雑誌「ビルボード」のアジア支局長であるスティーヴ・マクルーアは、UtaDAの英語発音には何の問題もないと語る。アメリカ国外からブレイクを目指してやってきた他のアーティストたちと比較しても、UtaDAの英語発音のレヴェルは極めて高いのだ、と。
But he said that while she may be ranked 50th in the album charts, the arrangements are over-elaborated and the natural sounds of musical instruments cannot be heard.
しかし、マクルーアは、「UtaDAがアルバム・チャートの50位にランクされる可能性は否定できないものの、アルバムで聴けるアレンジは過度に作り込まれ過ぎていて楽器による自然なサウンドが聞かれない。」と指摘する。
Her music's width is too wide, and those who listen to her songs for the first time may wonder what she is actually good at, McClure added.
「UtaDAの音楽の幅は余りにも広すぎ、アルバムの楽曲を初めて聴いた人は『彼女が本当に得意な音楽とはいったい何なのだろう?』と戸惑う恐れがある。」―― そうマクルーアは付け加える。
There are many Japanese musicians who have won popularity abroad after reaching their peak in Japan, but only five singers and singing groups, including the Pink Lady and YMO, have been in the top 100 in Billboard's singles charts.
日本でキャリアのピークに達した後に海外で人気を博した日本のミュージシャンが数多くいたのは事実だ。しかし、ビルボードのシングル・チャートでトップ100に入ったシンガー、あるいは歌手グループは、ピンクレディ、YMOを含め、僅か5組しか存在しない。
Many producers think songs in English produced with famous producers will become a hit, but nothing is that easy, said Naoto Sato, an official of the compact disk shop American Pie of Tokyo who is well versed in U.S. music.
「多くのプロデューサたちが、有名プロデューサを使い英語で歌を唄いさえすればヒットになるだろうと考えているようだが、実際にそんな簡単にいくことはない」―― CDショップ“あめりかん・ぱい”の東京店代表のサトウ・ナオトはそう語る。彼は、米国の音楽に非常に精通している人物だ。
The late Kyu Sakamoto's song Let's walk in looking upward debuted in the United States in 1963 in the original Japanese with the title changed to Sukiyaki. It topped the charts for three weeks in a row.
故・坂本九は、1963年米国で“上を向いて歩こう”という歌でデビューしているが、これはタイトルを「スキヤキ」と短いものに変えただけで、歌詞はそのまま日本語で歌われている。しかし、同曲は3週連続チャートのトップを飾ったのだった。
The 'Macarena,' which sold quite fast in the 1990s, is a song in Spanish. A really good song can be sold regardless of its language, Sato said.
「1990年代初頭に爆発的に売れた“恋のマカレナ”は、スペイン語の歌だ。本当によい曲は、何語で歌われていようが売れる。」そうサトウは語る。
There are moves to broaden the appeal of J-pop by leveraging popular Japanese animated cartoons.
一方、日本の人気アニメに影響を及ぼすことでJ-ポップのアピールを広げようという動きがあるようだ。
TOFU Record, created in Los Angeles in July last year, has been churning out CDs of Japanese musicians related to animated cartoons, including T.M. Revolution and Nami Tamaki.
昨年2003年の7月にLAに創られたTOFUレコードは、T.M.Revolutionや玉置成実といった、アニメと関連をもった日本のミュージシャンのCDを大量に生産してきた。
One CD has sold 8,000 copies, making TOFU Record a good fighter as an indie.
あるCDは8000枚売れ、TOFUレコードをインディーズとしては異例の好旗手の座に押し上げた。
A U.S. cable TV channel specializing in animated cartoons with about 80 million households as viewers will begin a variety program by picking the Puffy, a two-member singing group which has broken into the United States, as animated cartoon characters in November.
視聴者およそ8000万の家庭の向けアニメを専門に送り出すアメリカのあるケーブルテレビチャンネルは、PUFFYをパーソナリティに抜擢しバラエティー番組を開始する。この2人によるシンガー・グループは、すでにアメリカに進出しており、アニメのキャラクターとして11月に登場する予定だ。
Yaz Noya of TOFU Record said, With animated cartoons, the number of young people interested in Japanese pop culture is increasing. We would like to sell the creativity of Japanese culture without flattering. (Kyodo News)
TOFUレコードののノヤ・ヤズは次のように語る。「アニメーションによって、日本の大衆文化に興味を持つ若者たちの数は増加している。無意味に誇張することなく、素直に日本文化の創造力を売り込んでいきたい。」(共同News)
October 4, 2004
2004年10月4日
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> 訳者後記:
さて、今回はちょっと異色の記事です。表題の写真もUtaDAなのですが、彼女のインタビュー等による発言などはなく、全般的に日本の音楽の全米での位置付けについて、という切り口で短く纏められています。結局、英語で歌おうがどうしようが関係ないし、サウンドを作りこむより楽曲が命だし、日本人が全米のシーンに入り込むにはアニメを利用したほうがいいだろう、ということです。確かに、その通りだ。(笑) UtaDAは最初から「分の悪い戦い」を強いられていたというわけです。今、訳者がこの文章を書いてるのはこの記事が出た約13ヵ月後ですが、その潮流は弱まるばかりかますます強まっています。PUFFYは全米進出成功と捉えられていますし、UtaDAは全米進出失敗だと思われています。結局、この記事は慧眼だったわけですね。(^_^; ポップ・アーティストを応援する立場としては、結局は枚数をはじめとした「数字」が命なわけですから、何を言っても数字が出ていない以上負け惜しみにしかなりませんわ。(爆) いくら「『エキソドス』の音楽の質は高い、30年経っても色褪せないだろう」とファンが囀り事実色褪せなかったとしても、やっぱりポップスとしては不合格。ポップ・ミュージックは“今”売れなくては話になりません。尤も、素晴らしい音楽を聴いているときの個人の幸福感はやっぱり誰がどこで何を買ってようが大して変わらない、というのもまた真実ではあります。ま、どっちを取ってもいいってことなんですが、要は「ポップ・ミュージックとして作ったのであれば、売ること自体にももっと積極的になって欲しかった」ということなんです。でも、なんだかんだいって、UtaDAのカラダはひとつしかないわけで、シンガー・ソングライター・プロデューサ・アレンジャー・静止画被写体・動画被写体・インタビュードとそれらに纏わるミーティングの数々をたった一人でやっている人間が、マーケティングにまで手が回らなかったとしても、何の不思議もないです。というか、今列挙したこと全部やってることの方が恐ろしいです。ですから、もし彼女が、どこまでも「ポップ・ミュージック」を貫きたいのであれば、行動力の塊のような、強力なマーケティング&マネージング・アシスタントをどこかからか探してきてください。よろしくお願いします。m(_ _)m
・・・この文章の、どこが“訳者”後記なんだ。(汗爆) 単なる私の愚痴では、ないですか。(≧∇≦) by i_.
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このエントリの元投稿初出日時は『2005/11/08(火) 23:27』です。
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他にも幾つか翻訳が残っているのですが、ちょっとわき道にそれた企画を。(^^ヾ
過去記事発掘企画第1弾、ニューヨーク・デイリー紙のUtaDA特集記事です。
日付は2004年10月3日、元の記事は、こちらです。
(http://www.nydailynews.com/entertainment/story/238264p-204443c.html)
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Found in translation, Hikaru
ファウンド・イン・トランスレーション、ヒカル
By REBECCA LOUIE
DAILY NEWS FEATURE WRITER
文:レベッカ・ルイ(デイリーニューズ・特集記事記者)
Utada Hikaru
ウタダ・ヒカル
With long black hair and pixielike features, Utada Hikaru looks like a female pop pinup.
But the 21-year-old singer insists that, in many ways, she's really a man.
その長い黒髪と妖精のような横顔。ウタダ・ヒカルはまさしく女性ポップ・シンガーのピンナップスターに相応しい出で立ちだ。しかし、この21歳のシンガーはこう主張する。様々な角度から見て、自分は男性なんだ、と。
“It's a bit confusing being a young girl, because my taste in music and what I do is more like a 35-year-old guy,” says the Japanese star, who makes her stateside, English-language debut tomorrow when her CD “Exodus” reaches stores.
「自分が若い女の子だっていう“事実”に、ちょっと戸惑うというか。私の音楽のテイストとか、取り組み方とか、どっちかっつーと35歳くらいの男の子に思えるのよ。」――そう日本のスターは言う。彼女は米国向けの英語詩デビューアルバムCD「エキソドス」を作り、明日各地のショップに送り届けるのだ。
“Sometimes, I feel as though I'm caught in this girl's body and I'm like, ‘No! I want to be Trent Reznor!’”
「時々、この女の子のカラダの中で囚われの身になっているようにすら感じるんだ、そうなると、『違う! 私はトレント・レズナーになりたいの!』ってなっちゃう。(笑)」(註:トレントはロック・バンド“ナイン・インチ・ネイルズ”のリーダー。)
Departing from lighthearted Japanese or “J-pop” that has sold 17 million albums overseas, “Exodus” assaults with innovative dance beats and mischievous lyrics.
海外(註:日本のこと)で1700万枚以上を売った気楽な感じの日本の音楽即ち「J-ポップ」なるものから旅立ち、この「エキソドス」は、革新的なダンスビートと確信犯的な歌詩で聴き手に迫ってくる。
Unlike many chart-topping talents here, Hikaru wrote and produced the entire album herself. Missy Elliott collaborator Timbaland joins her on three tracks.
チャートのトップを飾る他の多くのタレント達とは違い、ヒカルは自身のアルバム全体で作曲とプロデュースを行っている。ミッシー・エリオットとコラボしていたティンバランドが、3曲でヒカルと共同プロデュースをしている。
“In Japan, Utada is a pop goddess,” says Tario (Magurochan) Cham of Japanese music culture site jpop.com. “There, music is very limited. No matter how big you are, you have to follow the trends.”
「日本では、UtaDAはポップスの女神様なんだ。」日本国内の音楽カルチャー・サイトjpop.comのタリオ・(マグローハン)・チャムは言う。「日本の市場っていうのは、音楽の幅がとても狭いんだ。どれだけビッグなミュージシャンでも、トレンドを無視することは出来ないよ。」
“On ‘Exodus,’ Hikaru has more freedom to explore things. This album has a lot of fusion on it, hip hop, dance, experimental.” Born on the upper East Side to musical parents (mom was a traditional Japanese singer and dad a producer), Hikaru wrote her first song in Japanese at age 10 and a full English language album at 13.
「『エキソドス』アルバムで、ヒカルは音楽的探求をする自由を得た。そこには、多くの融合が見られる。ヒップホップ、ダンスなどの融合だね。とても実験的だ。」 ヒカルは、音楽家の両親(母は日本の演歌歌手、父はプロデューサ)のもとニューヨークのイースト・サイド北に生まれ、10歳のとき最初の曲を日本語で書き、13歳になるころには英語でフルアルバムを作っていた。
Her family then moved back to Tokyo, where a label executive suggested she attempt recording in Japanese. At 15, her debut, “First Love,” sold 9 million copies.
彼女の家族はその後東京に引越しなおし、そこでレコード・レーベルの重役に日本語でのレコーディングをもちかけられ、15歳になる頃にはデビューアルバム「First Love」を900万枚売っていた。
Though she abandoned biology studies at Columbia, Hikaru has a bookish approach to working on her music.
コロンビア大学での生物学の研究からは一旦退いてはいるものの、ヒカルはその学究的なアプローチを音楽に活かしているという。
“The same parts of my brain get as excited as when I study bio or read a novel and write a paper on it,” she says. “You begin with a thesis, take through the next paragraph, bring it to a conclusion.”
「生物学を研究してるときや小説を読んでいるとき、論文を書いているときは、(音楽を作ってるときと)頭の同じ部分が興奮するんだよ?w」と彼女は言う。「主題から始まり、次の段階に突入して、終結部にもっていくの。」
Trying her luck at a whole new market is a nerve-racking affair. “It's frightening to think, ‘Oh my God, no one is going to like it, no one is going to hear it,’” she says of her eclectic sound. “I just want people to see that I do my own stuff, that I'm not stupid, and I can make fun of myself.”
全く新しい市場で自らの運を試すことは、彼女の神経を随分参らせているようだ。「考えるのが怖くって。『あぁ神様っ! 誰も気に入ってくれなかったらどうしよう! 誰も聞いてくれなかったらどうしよう!』ってね。(苦笑)」 彼女は、自身の幅広い音楽についてこうコメントを寄せている。「誰の真似でもない、これが私なんだ!ていうのを、みんなに見てもらいたくって。私は愚か者じゃない、自分を笑うことだってできるんだから、ってね。」
When creatively blocked, Hikaru takes baths or tries yoga or Pilates at home.
スランプに陥ったとき、ヒカルは家でお風呂に入ったりヨガやピラティスをやったりするらしい。
“I don't like going to the gym because I don't like being with people I don't know in that intense environment,” she says. “That's like telling someone to do squats on the train.”
「ジムに行くのは好きじゃなくって。自分の知らない人たちと居るのがどうも、ね。そういう環境ってちょとキツイな~。」と彼女は語る。「まるで電車ん中でスクワットしろって誰かに言われてるようなもんじゃないそれって!?ねぇ!?(笑)」
She now splits her time between here and Tokyo. She's been married to her video director, 15 years her senior, for two years. Of marrying so young, she says: “I figure no matter how old you are, it's always going to be your first marriage and no life experience is going to make you a better judge of who you should marry.”
彼女は今、東京と米国の両方に時間を割り振っている。2年前に自身のビデオの監督と結婚していて、彼は15歳年上だ。そんな若さで結婚することについて、彼女はこう言っている。「何歳かなんて関係ないっしょ? 最初の結婚は誰にとっても初めての経験になるわけだし、誰と結婚すべきかをよりよく判断するために人生の経験が必要だなんてことはないと思うよ。」
Originally published on October 3, 2004
この記事の初出は2004年10月3日です。
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> 訳者後記:
過去に一度訳して訳者後記まで書き上げた記事なのですが、ファイルがどっか行っちゃったので(爆)、イチから書き直してみました。ですから翻訳はスピード重視で内容には特に工夫を凝らしておりません。一方、記事の内容自体には幾らか解説が必要かと思われましたので、以下にまとめて付記しておきますね。
タイトルについて: 「ファウンド・イン・トランスレーション」となっていますが、これは、この記事が公開された当時「ロスト・イン・トランスレーション」という映画が公開されていたので、それにひっかけてのものだと思われます。映画の方は訳者未見ですが、このタイトルは「言葉の通じない異国の都市で迷子になっている」という意味でしょうから、UtaDAの方は、「言葉の通じる異国の都市で自分の居場所をしっかりと見つけている」というニュアンスだと、とりあえず訳者は解釈しました。(トランスレーション/translation=翻訳、です)
“like a 35-year-old guy”: Hikkiはこの記事の中で「自分が35歳の男の子のように感じる」と述べています。・・・当時36歳ですが、旦那さんとはさぞかし気が合ったことでしょう。(笑) 一方のキリヤンはまるで20代のような純粋な情熱を持った人なので、心と体がねじれながらお互いを映し出しあっているような関係なのではないでしょうかこの二人は。
トレント・レズナー: 註にも書きましたが、彼は米国のロック・バンドナイン・インチ・ネイルズの中心人物です。このバンドは、以前Hikkiもこの日のメッセで取り上げていますが、大抵、米国の無機質で殺伐としたサウンドのバンド――例えばデフトーンズなど――を彼女が好きだという場合は、夫のキリヤンの影響を受けてであることが多いと思います。(勝手な推測ですけどね) というのも、トレントの顔って、キリヤンが一番好きなタイプの造形なので。(笑) いつか彼を主演に映画を撮ってくれたら嬉しいですね。(^^;
“innovative and mischievous”: 紛らわしい訳し方をしてしまったので少々補足を。(苦笑) 訳文で「革新的/確信犯的」と韻を踏ませてみました。(というかダジャレwww) 前者のinnovative/イノヴェイティヴは、確かに「革新的」という意味なのですが、後者のmischievous/ミスチーヴァスは、「いたずらっぽい」 という意味です。「確信犯的」とは少々違いますね。でも、いたずら好きは大抵確信犯(誤用のでもね(笑))なので、こんな感じでいいでしょう。<テキトー(汗)
“Though she abandoned biology studies at Columbia”: この記事ではコロンビアで生物学を学んだことになっていますが、そういう情報はありませんでしたよね確か。この学校は初年度から専門的なことを教えるところではない、なんてことを小耳に挟んだような気もしますし。誰々についての論文を書いた、なんてことも複数のBBSで目にしたりもしましたが、ソースも見つからなかったことですし、あんまり不確実なことは書かないでおきましょう。
“I can make fun of myself.”: この箇所がちょっと日本語訳ではわかりにくいですね。どうして多様性を持った音楽を作ることが、「自分をからかう」ことになるのか。それはこういうことです。もし、何かひとつの方向性に凝り固まった音楽を作っている場合、その人はその他の音楽に対して排他的であったり自身の音楽に対して教条主義的であったりします。しかし、自分はそうではなく、多様であることよしとする、即ちあるひとつの価値観に囚われることなく、自分のことを客観的多角的に見ることができる、ということの主張です。センス・オブ・ユーモアは、常に当事者でない部外者によってもたらされます。必死になっている人を外から見たら滑稽ですがそれは当人にとっては笑い事ではない、という普遍的な状況を思い浮かべればいいかもしれません。しかし、だからといって頑張ってる自分をからかわれた(make fun)ときに視野を狭めて怒るのではなく、一緒になって笑うだけの広い視野=余裕と、相対的な視点を持てる知性があるんだよ、ということを彼女は主張しています。ですから、この“I can make fun of myself.”は、“I'm not a stupid”=「私は愚か者ではない、ちゃんと知性のある人間なんだ」から繋がって来るわけです。・・・もっと訳者は簡潔な説明が出来るよう、知性を磨く必要があるようですね・・・λ.........。
“You begin with a thesis, ・・・”: この部分は、論文の書き方と作曲の仕方の類似点についての指摘です。論文というものは、メインテーマとなる主張から始めてそれを展開させ結論を導くのですが、音楽でも、メインとなるメロディを決めて、そこから様々なひろがり・編曲・展開を見せ、かっくぃぃエンディングに結びつける、というのが作曲の基本だ、、、ね、よく似てるでしょ?ということですね。(*^.^*)
“Pilates”: ピラティスって辞書に載ってるんですねぇ。去年訳したときは、載ってなくて検索したような気がするんですが。WEBの世界は日進月歩ですな。(笑)
以上です。全体的には既出だらけの話ではありますが、ところどころ新鮮味がありました。今(2005年11月)読み返すと、トレント・レズナーのくだりは“You Make Me Want To Be A Man”のことを暗に指してるのかな、なんて思ったりもしますね。記事としては、文章の流れがわかりづらく途切れ途切れの印象がありますが、逆にいえば短くまとめてあるとも言えます。ま、訳者後記と併せれば、それなりに楽しく読めるのではないでしょうか。<珍しく自負(笑) by i_.
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このエントリの元記事初出日時は『2005/11/28(火) 23:34』です。
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過去記事発掘企画第3弾:2004年9月30日ボルティモア・サン紙
2004-09-30 - Utada is Japan's stealth pop star debuting over here - Baltimore Sun
Utada is Japan's stealth pop star debuting over here
By: Rashod D. Ollison - Sun Pop Music Critic
Baltimore Sun - September 30th, 2004
Utada is Japan's stealth pop star debuting over here
by Rashod D. Ollison
Baltimore Sun
2004年9月30日バルティモア・サン紙
この度当地でデビューするUtaDAはジャパン・ポップスターの秘密兵器
(文・ラショッド・D・オリソン/Sun Pop Music Critic)
In Japan, her mother's native country, Hikaru Utada is a big deal, a huge pop star whose 1999 debut, First Love, sold 10 million copies. (It's the best-selling homegrown album in Japanese history. The follow-up, 2001's Distance, moved 3 million its first week out.) Utada (she goes by just her last name) still sells out stadiums over there. Her face regularly appears in the country's teen magazines. So, of course, she can't freely walk the streets without causing pandemonium.
ヒカル・ウタダは1999年にデビュー、アルバム「First Love」を1000万枚売り上げた大物中の大物ポップスターである――彼女の母の生まれた国日本では。(同作は日本国内の音楽史上最多売上アルバムであり、続く2001年のアルバム「DISTANCE」は初動300万枚であった(訳者註:こちらは世界記録のようです)) UtaDA(こちらでの彼女は自らの名字だけでいくようだ)はまた、日本中のスタジアムをソールドアウトにする。彼女の顔はかの国の10代向け雑誌に定期的に登場する。ということはだ、もちろん、大混乱を起こさずして街中を自由に歩くことなど出来はしない。
But in New York, where the artist lives most of the time, she can chill: hang out with friends, go to a club, go to school. And nobody stops her and screams, Ohmygod! It's Utada!
ところがこのアーティストが殆どの時間を生活しているニューヨークでは気楽なものだ。友人たちと出かけクラブに行き学校に通う。誰も立ち止まって「なんてこった!ありゃUtaDAじゃないか!」と叫ぶようなこともない。
But her anonymity in America may change with the release of Exodus, her U.S. debut, in stores Tuesday. Quirky, catchy and beat-driven, the record is impressive, rippling with influences ranging from Bjork to Madonna. Hip-hop beats mingle with arty pop melodies.
しかし、この彼女のアメリカでの無名も火曜日の「エキソドス」(UtaDAのアメリカデビューアルバム)のリリースで変わってしまうかもしれない。変わり映えのする、キャッチーでビートの効いたこのレコードは印象的で、ビョークからマドンナに至るまでの影響が波打っている。ヒップ・ホップ・ビートがアーティスティックでポップなメロディと混ざり合っているのだ。
In Japan, I felt like I couldn't sound too crazy, says Utada, 21. The singer-songwriter-producer is calling from her New York pad. The vocals are more important in Japan, not really production. This time, I wanted to concentrate on the production and arranging. Japan is too closed up. You can't be too experimental there.
「日本では、音楽的な冒険は出来ないなって感じてたんだ。」21歳のUtaDAはこう語る。このシンガーソングライター・プロデューサーはニューヨークの自宅から電話で答えてくれた。「日本ではヴォーカルがより重要だけれど、プロダクションについてはそんなに重視されないんだ。だから今度のアルバムではプロダクションとアレンジに凝ってみたかったの。日本て国はそこらへんちょっと窮屈かな。実験に走り過ぎるわけにはいかないんだよね。」
Gone is the precious pop crooning of her Japanese records. Throughout Exodus, Utada is lyrically fun and assertive - dismissing careless lovers, declaring her independence, being a grown woman. She pushes her lyrics with aggressive, hard-hitting beats, accented with squishy, swirling synths and zipping bleeps. Her voice - light and appealing - is mixed in like another instrument.
日本語アルバムで聴ける、かわいらしくポップにおとなしく歌う彼女の姿はここでは見られない。「エキソドス」全編でUtaDAは、自己主張が強く、機微に富んでいて、不用意な恋愛を風刺し、自身の独立心を謳い、女性として成長した姿を見せつける。その歌詞をバックアップするのは、眩む様に渦巻くシンセと電子音でアクセントをつけた攻撃的に強く響くビートの数々だ。彼女の歌声はそのサウンドの中で、まるで楽器のひとつのようにミックスされて光を放つ。
I wanted to make something that was intense but still pop, melodious, says Utada, who produced the album. I think I did that.
「強烈だけど、それと同時にポップでメロディアスなものを作りたかったの。」とUtaDAはいう。彼女は、このアルバムのプロデュースも手掛けているのだ。「ちゃんとできたと思う。」
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後半に続きます。
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※ このエントリの元投稿初出日時は『2005/11/28(火)』です。
前半からの続きです。
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The artist wants to get one thing clear: She's not trying to be the Japanese version of any hot American pop tart. She says, When I watch MTV or listen to the radio occasionally, I keep on thinking, 'It's the same songs over and over.' I sense among the people that they want something different. But I'm worried about being attached to something already established - like, I'm not Ashanti. I'm definitely not Britney Spears.
このアーティストは、あることをハッキリさせたいと思っている。“自分は今アメリカで人気のあるポップ・アイドルの日本版になろうとしてるんじゃない”と。UtaDAは次のように話す。「ときどきMTVを見たりラジオを聴いたりするんだけど、考え込んじゃうんだ、『どれもこれも同じような曲ばっかだなぁ。』ってね。音楽ファンの間では何か違うものを、っていう空気が広がってるんじゃないかな。それでも(自分が)もう確立されちゃったジャンルに押し込まれちゃうんじゃないかってちょっと心配。私はアシャンティでもないし、ましてやブリトニー・スピアーズでもないんだから。」
Utada is gutsy and charming, a learn-it-and-do-it-yourself kind of artist. She was about 18 or 19 when she decided to venture into writing, arranging and producing her own material.
UtaDAは気概に溢れると同時にチャーミングな自給自足自己完結型のアーティストである。18~19歳の若さで自身のマテリアルを作編曲プロデュースするという冒険を決意する。
I watched the arrangers and producers on my Japanese albums, Utada says. I asked them, 'Hey, what's that? What does that do?' I got a keyboard and computer and music programs and learned myself. You don't have to have a home studio to make music. Everything is so compact and small today. I can work on my music on an airplane.
「日本語詞アルバムを作ってるときに、アレンジャーやプロデューサーのひとたちがどうやってるか見てたのよ。」とUtaDAは言う。「そのひとたちに訊いたんだ、『ねぇねぇこれはなぁに? 何ができるの?』ってね。キーボードとコンピュータを携えて、ミュージック・プログラムを組んで、、、自分で覚えたんだよ。音楽を作るのに、ホームスタジオを持つ必要はないわ。今ではあらゆることがコンパクトに、小さくなってる。今の私は、飛行機の中ででも音楽の仕事ができるんだ。」
Growing up, the singer-producer was surrounded by music. Keiko Fuji, her mother, was a popular singer in Japan before moving to the United States in the 1970s.
大人になってゆく過程に於いて、このシンガー・プロデューサーは音楽に囲まれていた。母・藤圭子は、1970年代に合衆国に移り住む以前日本で人気の歌手だった。
She introduced me to hip-hop when I was 10, Utada says of her mother. She would blast The Chronic by Dr. Dre in the living room. I mean, she loved it, this tiny, little Japanese woman just dancing around to Dr. Dre and Snoop Dogg.
「10歳のとき、お母さんにヒップホップの存在を教えられたの。」 UtaDAは母についてこう語る。「リビングでドクター・ドレーの『ザ・クロニック』を大音量で掛けてくれたわ。きっと、お母さんは好きだったんだろうな、このちいちゃな日本女性がドクター・ドレーやスヌープ・ドッグを聴いて踊り回る姿がね。」
Her father, Teruzane Utada, was a producer-musician. (He manages his daughter's career today.) For as long as she can remember, Utada has shuttled back and forth between New York and Tokyo.
父・宇多田照實は、プロデューサ/音楽家だ。(今では娘のキャリアのマネージャも兼ねている) UtaDAが物心付いたときにはもう、彼女はニューヨークと東京の間を往復していた。
When I was really small, I had to be in the studio every night with my parents, she says. When I was 12, they said, 'Why don't you write songs?'
「ホントにちっちゃいころから、私は毎夜両親とスタジオにいなきゃいけなかったわ。」と彼女は呟く。「12歳になったときにこう言われたの。『曲、書いてみない?』って。」
So she did. By age 14, she had a contract with Japan's Toshiba-EMI and began recording her first album, whose process overlapped with her first radio show in Japan, Hikki's Sweet & Sour. Once First Love hit the streets in March 1999, Utada became a superstar in her native country almost immediately. After graduating from high school in 2000, she entered Columbia University in Manhattan. She was able to study in peace - read Dostoevsky and go to her biology classes without folks gawking at her or begging for autographs. Many of her American friends and classmates had no idea she was a megastar in Japan.
言われたとおりウタダは作曲に取り組み、14歳になるまでに日本の東芝EMIからコンタクトがあり、ファースト・アルバムをレコーディングをし始め、それと並行して日本での初めてのラジオ番組「Hikki's Sweet & Sour」にも出演した。ひとたび1999年3月にアルバム「FIRST LOVE」が世に出ると、ウタダは程なくして母国でスーパースターに成り上がった。2000年に高校を卒業後、マンハッタンのコロンビア大学に入学、平穏のうちに学業に励めるようになった――ドストエフスキーを読み、生物学の授業に出席した。彼女に見とれる連中にも、サインをねだる連中にも悩まされることなしに。クラスメイトやアメリカの友人の多くは、ウタダが日本でメガ・スターであることなど知る由もなかった。
But it didn't take long before Utada found work on the U.S. pop music scene. In 2001, the Neptunes, hip to her reputation in Japan, tapped her to work with Foxy Brown on Blow My Whistle, a track they all co-wrote for the Rush Hour 2 soundtrack. Soon afterward, in early 2002, she signed with Island Def Jam and took a temporary leave from Columbia. In September of that year, she married Japanese movie director and photographer Kazuaki Kiriya, who is 15 years her senior. The marriage didn't hurt her commercial appeal in Japan as Deep River, her third album released that June, sold 5 million copies in the first month of release.
しかし、ウタダがアメリカのポップ・ミュージック・シーンで動き出すのに長くは掛からなかった。2001年、彼女の日本での評判をききつけたザ・ネプチューンズが、フォクシー・ブラウンとの共演を持ちかけた。その“ブロウ・マイ・ウィッスル”という曲は、映画「ラッシュ・アワー2」のサウンドトラック用として、ネプチューンズとウタダの両者によって共作された。まもなく、2002年初頭にウタダはアイランド/デフ・ジャムと契約を交わし、同時にコロンビア大学を休学。その年の9月には15歳年上の日本人映像演出家/写真家であるキリヤ・カズアキ氏と結婚したが、それが日本での彼女の商業的基盤を崩すこともなく、サード・アルバム「DEEP RIVER」はその年の6月にリリースされ500万枚をリリースした最初の月に売り上げた。(訳者註:ちょっと多過ぎ)
Last year, she finally was able to concentrate on Exodus.
昨年(2003年)の彼女は始終アルバム「エキソドス」に集中できた。
There's such a shortage of new writers out here, Utada says. With this record, I want to say to all the artists out there, 'Hey, if you want a writer, a new producer, here I am.
「新しいソングライターが、この国には不足してるんだよね。」UtaDAは言う。「このアルバムを携えて、そこらじゅうのアーティストのひとたちに言いたいな、『おぃっ! もし新しいソングライターが、新鮮なプロデューサーが欲しいのなら、ここにいるぜっ!』ってね。(笑)」
'
To give a few songs an extra kick, the artist called on master beat maker Timbaland, who remixed the title track, Wonder 'Bout and Let Me Give You My Love, three of the CD's strongest tracks.
2~3曲に“最後の一押し”を与えるために、ビート・メイクの大家と呼ばれるアーティスト・ティンバランドを招き、タイトル・トラック(“エキソドス’04”)、“ワンダー・バウト”、“レット・ミー・ギヴ・ユー・マイ・ラヴ”というアルバムにおける3つの強力な楽曲をミックスしてもらっている。
I don't think it's the type of music that can be on American radio, Utada says of Exodus. I feel like the way to go is on TV and the Internet as far as marketing. I don't know. I'll just keep my fingers crossed that people will hear it.
「このアルバムの音楽はアメリカのラジオに乗るようなタイプのものじゃないって私は思ってる。」 UtaDAは「エキソドス」についてそう話す。「マーケティングっていうことに限るなら、テレビとインターネットがいい方法なんじゃないかな。わかんないけどね。とにかく今はみんなに聴いてもらいたい、っておまじないをして祈るだけしかできないな。」
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訳者後記: 過去記事発掘企画(随分第2弾から間をおいて(苦笑))第3弾です! もう2年以上前の記事になりますが、代々木でUtaDAの現役最高クラスのパフォーマンスを見て以来、セカンドアルバムに期待したくてたまらなくなってしまっているので、その流れの中で再翻訳してみました。なので、翻訳者の“今の”感触で訳してしまっているところもあるかもしれません。ご容赦くださいませ(~_~; 内容的には、昔さんざん読んだ内容ばかりなのですが、流石に2年も経過してると、逆に新鮮、ということもあるかもしれません。これを機にまた「EXODUS」を引っ張り出してくるのもいいかもしれませんよっ。
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※ この記事の初出は2007-01-28 08:57:31です。
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UtaDA翻訳BBSの最初の趣旨って『長文も みんなで訳せば こわくない』だったんだけど、気がついてみたら9割がた管理人の私が翻訳してるのよね、、、私よりずっと英語得意な人たち沢山いると思ってたんだけど、アテが完全にハズれてます、、、(^^; 元々、掲示板だけ立ち上げて英語のできるウタダファンの翻訳を楽しもうと思ってたのになぁ。(苦笑)
というわけで、初心に還りまして。「あくまで私は管理人であって、翻訳執筆者じゃないよ」ということを明確にする為に、“i_個人の”ブログである当無意識日記に“i_が翻訳した分”を別掲することにしました。UtaDA翻訳BBS全体で掲載された分は、今まで通り「過去ログ倉庫」に掲載されます。暫くは実質同じ文章が3ヶ所にUPされる、という奇妙な状況になるかもしれませんが、、、一応、体裁だけでも繕いたい、と思いまして(^_^;;
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ということで、今回の翻訳は「過去記事発掘企画第4弾:2004年8月アリゾナFM局インタビューその1」です。続きはまた今度ね~。
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アリゾナFMラジオ局エナジー・ステーションでのインタビュー文字起こしの翻訳
Utada - エナジー アリゾナ FM ラジオ インタビュー (2004年8月)
書き起こし by Yuki Shiido
http://www.utadanet.com/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=35
ラジオの人(以下R): ようこそっ!
Hikki: 呼んでくれてありがとう!
R : 最初に訊いとかなきゃいけないかな、キミの名前は何て読んだらいい?
Hikki(以下H) : ん~フルネームだと“Hikaru Utada”になるんだけどこれってさ、ほら、ライオンキングってあるじゃない、それの“Hakuna Matata”みたいに聞こえちゃうんだよね。
R : (笑) でもそれもキュートだと思うよ。
H : (笑)
R : 名前を変えちゃう、ってか短くしようと思った理由って何なの?
H : 最初の最初はぁ、みんなが“Hikaru”って言えないだろうなって思ったからだったの。そぃで次に思ったのが…ちょっと響きが女っぽ過ぎるかなって、、、いいんだけどね! だって私女の子なんだし!(笑) 短い名前にするってアイディア自体もイイと思ったしね。だってブランドみたいじゃん!“Honda!”,“Sony!”そして “Utada!”ってね(笑)。
R : “Madonna”みたいともいえるな。ところで、Utada、貴女の一日の始まりはどんな風?
H : 私の一日は…そうね、テキサスのダラスではちょっと二日酔いだったかな(笑)
R : 何か面白いエピソードでもあった?
H : (笑) いやいや、私の友達の友達がよく居るっていうクラブに行ってテキサスの女の子はホントかわいいなぁって思わされて(笑)…んで、そうそう、そこでラジオ局を幾つか廻ってフェニックスに飛行機に乗って…
R : フェニックスを楽しむ時間はあった?
H : ないなぁ。
R : ちょっとあたりを見て回った程度かな。
H : まぁね。
R : 貴方は日本では既にビッグでこれから米国でブレイクしようと…
H : そうなったらいいってだけのことよ(笑)、そうなったら、ね。
R : そうなったら、ね。(笑) えぇっと、じゃあ具体的にはどんな風にやるつもりだろう? どうやって貴方の日本のような、、、
H : んっと、最初の段階としてまずこのプロモツアーで色んな人たち…貴方方のようなラジオの人々と会って廻って…楽しい時間過ごしてます(笑)
R : ところでこれがキミの最初の英語詞アルバムなの?
H : うん、まぁね。オフィシャルにリリースされたのではこれが最初。
R : てことは非公式な英語作品が何枚か宙ぶらりんになってるってわけだね?
H : 確かにあるにはあるんだけど…私ホントにホントにちっちゃかったから、、、
R : なにをっ!(笑) キミは今でも若いぞ! まだ21だろうに?
H : 21だよ。(笑) 日本でデビューした時は確か15だっけかな…ほら、今よりずっと若いでしょう?(笑)
R : じゃあ、「エキソドス」について話そう。これがキミの新しいCDの名前なわけだけど、誰がこのタイトルを思いついたの?
H : 私。
R : そうなんだ、何から閃いたんだろう?
H : う~ん、このアルバムの為に作った最後の方の曲にティンバランドとやったのがあるのね、私が歌詞を書いてメロディをつけた“Exodus ‘04”ってタイトルの曲なんだけど。この言葉の響き方が好きでさ,それにこの言葉にはストーリーがあるじゃない? ドラマっていってもいいんだけど、ある場所から他の場所へ移る話ってのはいろんな事に当て嵌まるし、私の好きなエピソードも沢山あるんだ。響きも。xとかzとか、そういうのってちょっとセクシーに聞こえたりするじゃん。Arizona(アリゾナ)とかね。(笑)
R : キミに言わせれば今自分はセクシーな州にいるってわけだ(笑)
H : そのとおり!w
R : ところで、自分で音楽を書いてるらしいけど、毎日どうやってそれに取り組んでるの?
H : 私なりの秘訣みたいな話?
R : うん、今まで僕も人生の中で何度か曲作りに挑戦してみたんだけど、駄目だったんだよね。
H : 何ていうのかな、私達ってどうやって地面に立ってるかすらわかってないじゃない。一日中その為に微調整に集中してるわけでもない。だから、無理して曲を書こうとしないで…まずは耳を澄ませてみることかな。
R : それはどこから聞こえてくるんだぃ?
H : 内側からわいてくるともいえるし、降りてくるともいえる…天からね。
R : キミのネット上のファンサイト幾つか読んでたんだけど。Utada-online.netとか。
H : あぁ、うんうん。
R : そこで何人かの人に(ラジオでUtaDAをゲストに呼ぶから)質問してくれって頼んだんだ。
H : へぇ~OKOKw
R : でも、ビックリさせちゃうかもな~。オンラインファンの皆からの質問リストへの準備はいい?
H : OkOk…って、え?(汗)
(CM)
R : Utada-online.netのファンから質問だ。最初のはコチラ。「TVゲームはしますか? するんなら、どんなタイプですか?」
H : Dr.マリオとテトリスならやりこんだなぁ(笑) 定番中の定番だけどね。
R : あぁ、その話なら僕でもついていけるよ(笑)
H : RPGとかって、ロールプレイングゲームね、どうにも苦手なんだよね~ファイナルファンタジーとかさ…手に負えないっていうか、、、何でなんだろうなぁ?
R : 「たった今貴方のCDプレイヤーには何が入っていますか?」
H : 何だっけ…あぁ、ベルベット・リボルバーだな。
R : ベルベット・リボルバーって誰?
H : ちょwwwベルベット・リボルバー知らないの!? おぬし、恥を知れぃ恥を!!(笑)
R : スマヌ!(笑) 僕みたいな人間はベルベット・リボルバーのコト知っててアタリマエなんだね?
H : う~ん、えぇっとね、ボーカルがストーンテンプルパイロッツのスコット・ウィリアムズで、他のメンバーはガンズ&ローゼズの人達なの、スラッシュとか…えっと、あと誰だっけか(汗)
R : てことはハードなのも好きなわけだ?
H : えぇモチロン。大歓迎よw
(その2へ)
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※ この記事の初出日時は2007-02-11 23:51:20です。
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掲載が一週間延期になってしまい申し訳ありませんでした。m(_ _)m お待たせ致しました、
その1からの続きです。これで完結。どうぞ。
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R : 「コレがなきゃ生きてけない、って音楽はある?」
H : メアリーJ.ブライジの2ndアルバム「マイ・ライフ」ね。コレがなきゃ生きていけないかも。
R : メアリーJ、彼女イイよね、凄くイイよね。かなり影響されてる?
H : このアルバムはいつも聴いてたな。今でも聴いてるよ。部屋で歌ってることもあったし…アルバムを丸ごと、3回連続でね。(笑) 毎日学校から帰ってきてからも。
R : 部屋で歌うこともあるって言ってたけど、シャワーのときにも歌ってたとか?
H : もちろん。今朝だってそうだったもの!(笑)
R : 何歌ってた?
H : ベルベット・リボルバー聴いてたはずだよ!w
R : もう1つ、とっても面白い質問が来てるよ。イージーブリージーのラストにShe’s got a new microphone.てトコあるじゃない? 録音止めるの忘れて誰かがあんなの歌ってるのが入ってしまったとかなのかなって理由を知りたがってる人がいるんだ。何か裏話ある?
H : いやね、実はね、その日ホントに新しいマイクを買ったのよ。自分のちっちゃなスタジオでソイツを試してみてたの。独りで録音して、感触をみながら色々考えてたな~―-私マイク買うの初めてだったから、コレだ!って決めるまで随分と時間が掛かったんだ。どのモデルにも個性があったから、私にピタッと合うヤツを見つけなきゃいけないと思ったの。ソレが見つかるまで2、3ヶ月位掛かっちゃって、やっと手に入れたんだ。ほぃで自分のちっちゃな部屋で、ちっちゃな道具とPC、それにちっちゃなキーボードとマウスを使って始めて、クリック!録音!ストップ!って。(笑) 何度も何度も歌ったわ。その時に “Hm… she’s got a new microphone…”ってくちをついて出てきたの。「ちょwww今のんギザカワユスwwwwww」って思って歌い始めたの。最初これスタッフに聴かせるの怖くってね。“う~ん、ちょっとヨレて聞こえるかな?”って。んで思い切って聴かせてみたら、「OK、クールじゃないか」って言ってくれたんだ。
R : 次はシンプルな質問。インタビューではいつものように訊かれるコトかもしれないな。好きな色は?
H : そうね、、、紫だな!
R : 僕達のロゴにも紫色があるよ!紫といってもラベンダーっぽいけど。好きな食べ物は?
H : ん~、チーズかな。
R : 好きなチーズの種類とかはあるの?
H : チーズならなんでも!w
R : 日本語で曲を書くのは英語で曲を書くのと違う思考過程があったりする?
H : 部分的にはね。英語の方がより音楽的といえるかも。歌うには英語の方がフィットする。でも(歌詞の)意味に光を当てると今度は日本語のよさが出てくるんだな―コッチでいえばカントリーみたいにね。日本語では言葉の意味が重視されるの。英語には音としてのカッコよさ、流れのよさがあって。歌の中の“You’re Easy Breezy and I’m Japaneesy”とか“She’s got a new microphone.”とかのフレーズ、クールでしょ?w キャッチーに聞こえると思うんだ。英語ってジョークっぽくしたい時ととかユーモアを入れたい時とか、遊び心を盛り込めるのがいいんだよ。
R : じゃあ次はDevil Insideの話をちょっと。2ツ程リミックスがあるよね、the Richard Vission mixとthe Scumfrog mixと。どうやって彼らに決めたの?
H : 私とレコード会社の何人かで。リミキサーの人達のサンプルを2、3送ってもらってその中から私が選ったんだ。「この人と…あ~コッチの人は違うな、あとこの人ね!」って言いながらね。(笑)
R : Scumfrogって人には会った?てかこれから会う?
H : うんにゃ。会えたらな、とは思うけどね。
R : でもチョット変な名前じゃね?(笑)
H : ンンン、、、Scum・Frog(液体の浮きカス・カエル)…いいんじゃない? オタマジャクシが泳いでくみたいなイメージで…
R : な、それって子宮にカエルって言いたいのかい?! あぁキミは何てことを!?(爆)
H : わ、私に何を言わせる気!?(涙爆) イメージが色褪せちゃうワ~っ(笑)
R : ところで。2~3ヶ月前キミの存在を知って以来、あらゆるコトをアタマに入れてきたよ! こうやってキミを目の前にしてる今日も含めてね!(笑) ここアメリカでUtaDAがコレだけ巨大なファン層を持ってるとは知らなかった…
H : 私も知らなかったよ!w
R : キミ自身も嬉しい驚きだったってわけだ!
H : 勿論。サイコーだよね、最初は私のことなんて誰も知らないんじゃねーの?って思ってたんだから!
R : 欧州はどう? これから向かう予定はある?
H : そうね、欧州についてはずっと考えてるんだ。でも米国の方がちょっとだけ気楽かな。
R : 世界中の、Energy Arizona FM dot comでこの放送を聴いてる皆へメッセージを。
H : おーらい。こほん。私は歌と曲作りをしてます。んで、、、そうね25歳になったら、そう、プロデューサになりたいんだ私、多分それが一番自分なりにうまく出来ることなんだと思ってる。
R : キミは伝説的なプロデューサ達と仕事してるよね。ジミー・ジャム、テリー・ルイス…
H : その前にはNeptunesともやったんだよ♪
R : 彼らとはどういう繋がりで出会ったんだい?
H : ソレはホントわかんないんだよね私! 何が何だか…気が付いたら一緒にやってたって感じだなぁ。
R : 近いうちにカリフォルニアに行くことはありそう?
H : LAには今晩行く予定だよ。
R : おっと!(笑) LAに居る間クラブに行くかな? どうだろう、どんな所をオススメしようかな。きっと明日の朝起きる時は…
H : 二日酔いってか!?(笑) あぁ、なんてミュージシャンらしいライフスタイルなんでしょ!…きっついわぁ。(苦笑) まぁそれも面白いけどね。今私バンドメンバーを集めてるんだ。TVとかそういうのの収録が東京であるから、、、んふふ、若くてキュートなギタリストをオーディションできるってんで興奮してるの!(笑)
R : そうだキミ結婚してるんだよね!(爆)
H : ななな何の事でしょう?(苦笑) オマエハナニヲイッテルンダ! 飽く迄仕事の話よ!!
R : ソレ僕がいつも使ってる言い訳だな。(笑) ところで、ウェブ応募の当選者ワイアット(Wyatt)とは会ったよね? 今彼は隅っこに座ってるんだけど、やけに物静かだな…
H : 何か私必要以上に緊張してきちゃってるかも!(汗)
R : さぁコチラへどうぞワイアット、UtaDAに挨拶を。
Wyatt : あ、あぅ、え、、、
R : あらら、それじゃ何言ってるかサッパリわかんないよ! 今ワイアット君は口籠もっちゃってます! 彼の心臓は今にも胸から飛び出しそうになってます!!
H : ん?どういうことなんだこれは!? 彼ったらすっごくイイ匂いするんだけど!(笑)
R : 彼が言うには自分はフェニックスで一番のUtaDAファンなんだって!
H : (慌てふためきながら)そ、そうなんだ、それはどうも!
R : UtaDAがキミ達ファンにしてきた事全て-彼女自身が気付いてないような事についてもお礼が言いたいんだって?
W : 素敵な音楽をありがとう。私の心にとてもよく響きます。
H : あぁ、、そう言ってくれただけで私これからも頑張っていけるわ! こちらこそありがとう!
R : UtaDAの音楽は、本当にみんなの心に届くよね。 素晴らしいことだ! 今日は僕らのスタジオに来てくれてありがとう!
H : えぇ、こちらこそ呼んでくれてありがとう。ここアリゾナで一番のファンに私を会わせてくれて、どうもありがとう!
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感想などは、また後日書ければいいなぁ、とほんわか思っておきます。(なんて書かなさそうな雰囲気なんだー!(自爆))
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※ この記事の初出日時は2007-03-04 23:36:32です。
引き続き過去記事発掘です。
2004-06-07 - "Will she shine in Hollywood?" - THE NEW PAPER (Singapore)
http://www.utadanet.com/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=15
シンガポールの新聞記事かな?
いろんな国でUtaDAのデビューが期待されていたことを示す資料ですね。
初出は下記の通り2004年6月7日です。
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2004-06-07 - 「彼女はハリウッドで輝けるか?」 - ザ・ニュー・ペーパー (シンガポール)
By: ミハル・チャン
2004年6月7日月曜日
一度ならず何度も姿を変え、Hikaru Utadaは日本の音楽シーンでミラクルを起こしてきた。
こんにちまでこの21歳のシンガー・ソングライターは日本の歴代最高売上アルバム記録を保持し続けている。その1999年デビューアルバム「First Love」は世界で1000万枚という驚異的な数を売り上げた。
これまで彼女の人気は幾度も危機に瀕してきた。 2002年には卵巣腫瘍手術からの回復に一年を要し(註:そんなに長くない)、監督のKazuaki・Kiriyaとの突然の結婚もあった。
他のセレブなスター達が結婚を機にその輝きを失っていくのが普通な中、Hikki(彼女はこうあだ名されている)はここからそれまでにない輝きを見せてゆく。
彼女は昨年(註:2003年)たった一つのシングルしかリリースしなかったが、それでもその曲「Colors」1曲でその年1億7000万円(260万シンガポールドル)超もの所得税を払い長者番付歌手部門トップ10でNo.4となった。
ちょうど2ヶ月前(註:04年4月)、彼女は新しいコンピレーションアルバム「Single Collection Vol.1」で鮮烈なカムバックを果たした。
こちらは世界で(シンガポールでの約10000枚含め)300万枚以上を売った。
夫の独立系(註:配給は松竹)映画「Casshern」もまた彼女の“お金儲けの才能”の恩恵を受けている。彼女の歌うテーマソング「誰かの願いが叶うころ(When somebody's Wish Comes True)」だ。
数週間前にこの曲がリリースされて以来、この映画は興行的にバカ当たりし、15億円(2290万S$)の荒稼ぎをした。
とはいうものの、批評家達はそれ以前にこの映画を"エンディングのない映画だ"とか "Hikaru Utadaのミュージックビデオをただ引き延ばしただけ"と扱き下ろしていた。
しかしそれでも無数のファンがこの映画を見る為に映画館に群がったのだった。
同じように、この映画のテーマソングである彼らのアイドルのニューシングルを引っ掴みにレコード・ショップに押し寄せた。
Hikkiの次なる停車駅はハリウッドだ。
彼女は英語詞アルバムのレコーディングを終えたと語る。この作品は、今年の下半期にリリースが予定されている。
Hikkiがのぞむべきは高い。ニューヨークで生まれ育ったこの女性は、1963年坂本九「Sukiyaki」以来2人目のビルボードチャート・トップの座を狙っている。
最近メディア向けにリリースされたプロモーション映像の中で彼女は、自分にとってこの過去5年間は"ワンダフル"以外の何ものでもなかったと語っている。
「もし普通に学校に通っててこの仕事をしてなかったとしたら、自分は何者なんだろう?なんて考えもしなかっただろうな~。情緒の面でも、知性の面でもね。」と彼女は語る。
「様々に違った物事を学べたのは私にとって教わる事の多いプロセスだった。私は今自分が居るべき場所に徐々に近付いてると思う。」
もし彼女の目指している場所がハリウッドなのだとしたら我々は、彼女がまたも違ったミラクルをクリエイトしてくれるのを望むことになるだろう。
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※ このエントリの初出日時は『2007-03-25 23:32:53』です。
過去記事発掘企画第7弾です。発表日時は不明ですが、2004年冬それも、2004年初頭の方の冬、ということのようです。まだ「EXODUS」が発売されてないと本文中にありますから。その点がかなり珍しいですね。大抵の記事は、2004年中盤以降のものですから。(最初のオフィシャルプレスリリースが6月だった為) 短いですし、内容にも新味はないですが、資料としては結構興味深いのではないでしょうか。ちな!みに、この「UCLA Asian Pacific American Newsmagazine (USA)」とう雑誌、検索にヒットしませんでした。謎です。
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http://www.utadanet.com/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=18
"Jpopping~Jポップ飛躍の時: 読者の皆に彼らからのCDが届く日も間近"
By: カイル・ハナノ
UCLA Asian Pacific American Newsmagazine (USA) / Volume 27、Issue 2、Winter 2004
(平井堅のセクションは省略。彼は米国に[MTVアンプラグドの収録で]行っている。)
Utada HikaruはMTVアンプラグドに選ばれた最初のJpopアーティストであり、日本からの初めてのアメリカン・マーケットに向けたクロスオーヴァーの試みとなる。合衆国に生まれ流暢な英語を話すUtada Hikaruはアメリカの文化と言語を熟知している。しかし彼女は自らの才能をまず日本へと向けファースト・アルバムを日本歴代最高売上アルバムに仕立て上げた ; そのタイトル・トラック"First Love"は日本のポップ史上最もポピュラーな曲と考えられている。彼女のセカンドアルバムとその中からのシングル"Can You Keep a Secret?"の人気はアイランド・デフジャムにUtada Hikaruが合衆国で成功をみる事も可能だと確信させた。Jpopから離れているこの間、Utada Hikaruは英語詞アルバムを(アイランド・デフジャムと)制作している...今年(註:2004年)の後半にはリリースされる予定だ。
Utada Hikaruはその創造性で名を馳せる。彼女のミュージックビデオは世界規模で批評家達の目を釘づけにした。for their creativity and exploration of 神話("Sakuraドロップス")、SFファンタジー("Traveling"and "Final Distance")、そしてこの世界の自然美("Deep River"). Utada Hikaruは日本の他の女性ポップシンガーと同じ線に落ち込むのを拒む ; 彼女の深く低い歌声と常にリスクを孕んだ音楽スタイル[の変化]によって、その存在は日本の批評家達のお気に入りとなった。
しかしながら、Utada Hikaruは日本での人気を獲得する前にも英語の曲をリリースしていたのだ。Cubic Uという名の元で、"Precious"というアルバムを1998年に出していて、ザ・カーペンターズやフランク・シナトラのポップ・スタンダードのカヴァーが収録されていた。日本での成功後「ラッシュアワー2」サウンドトラック のフォクシー・ブラウンとの"Blow My Whistle"という曲もリリースしている。彼女のヒット曲"Hikari[光]"の英語版リメイクは"Simple and Clean"と名付けられ[米国内でも]人気のテレビゲーム"Kingdom Hearts."に起用された。
平井堅やUtada Hikaruといったアーティスト達の出現は、次の海外[米国外のこと]からの音楽の波が日本という国からやってくるのではとすら思わせる。平井堅は海外産[米国外産]のゴスペルとソウルを新しいレベルに引き上げていて、すぐにでも合衆国でウェーブを起こせるかもしれない。Utada Hikaruの方にはアメリカのリスナーに印象を与える創造性とヴォーカルの才能がある。この2人のアーティストなら、アメリカにジャパニーズ・ポップ・エンターテインメントの存在を知らしめ、その文化間障壁を突き崩す一助となり得るだろう。
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エントリの初出日時:2007-03-17 23:21:18
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懐かしい記事をひとつ、と思って「TIME」誌の記事を訳してみました。
当時何パターンか翻訳がウェブにも踊っていたので、自分で訳してても今更感が強かったですが(笑)、まぁ、翻訳の練習の一環ということで。こうしてみると、2004年以降に引用されるUtaDA紹介文の言い回しの基本パターンは、この2001年の記事の時点でほぼ取り揃えられてるんですね。それだけ影響力のある記事だったのかな。それとも、同じアーティストの紹介記事にそんなにパターンがあるわけでもないのかな。ちょっとよくわからなかったですが、翻訳BBSへの掲載は暫く様子を見てから考えますね。なんだか、この記事について、もうちょっといろいろ調べないといけないようですので。今回は無意識日記の読者に「あぁ懐かしい」と思ってもらう為(&そういや今日付けの更新がまだだった為(笑))掲載することにしました~。
http://www.time.com/time/musicgoesglobal/asia/mhikaro.html
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2001-12-17 - "キャンパスの歌姫" - TIME Magazine
新入生Utada Hikaruはまだ専攻も決めてないにも拘らず既にキャリアをスタートさせている。彼女は、日本で一番のポップスターなのだ。
By: クリストファー・ジョン・ファーリィ
TIME Magazine - 特別な音楽は地球サイズになる。2001年12月17日月曜日
Utada Hikaruには隠された生活がある。彼女は一見普通のアメリカの大学生だ。昨秋から昼間は授業に出席し、夜は友達と戯れている。多くの仲間のコロンビア学生同様彼女もまだ専攻を固定していない。しかしオリエンテーション週間の時、生徒達の間には彼女に関する噂があった。信じがたい話が。「大体の友達が本当の事を知ってるよ。」とHikaruはいう。「学校初日の前にもう-私とおんなじにコロンビアに行くっていうその友達と話してたことなんだけど-、彼が言うには『みんなキミがやってくることを知ってるよ』って。『どういうこと?』っていったら『いやね、アジアのキッズはそりゃもう知ってる訳なんだけど、アジア以外の学生達も自分の学校に日本のブリトニー・スピアーズがやってくるって噂を何かしら耳にしてるっことさ』だってよ(笑)。」
彼女は米国では無名と言っていい。しかし宇多田ヒカル18歳は日本最大のポップスターなのだ。日本のメディアは彼女への賛辞に喧すしい : 二ヶ国語を話すオールAの学生にして平成の世の歌姫! 日本の大衆は彼女の音楽を貪る : デビューCD「First Love」(1999)は950万枚以上を売り、日本の歴史上最高売上アルバムとなった。彼女の新しいCD「Distance」も瞬く間に売り切れていった。他の日本の歌姫達が甘えた声で使い捨てな歌を唄うのに満足している中、メタリカで眠りに就きパール・ジャムで目覚めて育ってきたと語るHikaruはロックのみならずR&Bやラップからの影響も覗く歌を唄っている。最近行なわれたMTVアンプラグドコンサートの最中、彼女はアイリッシュ・ロック・バンドU2の曲「With or Without You」をパフォームしてファンを驚かせた。 そういったカバーソングを時々やるのを除きHikaruはその軽快なメロディと強靱なグルーヴを結合したマテリアルの殆ど総てを自分で書いている。彼女の詞はその多くがよくある“青年期の不安について”なのだが、一方で一筋縄ではいかない表現力にも目を奪われる。 「First Love」で"最後のキスはタバコのフレイバーがした"と歌っているように。
マスコミはHikaruを(ブリトニー・)スピアーズと比較するが、両者は激しく違っている。まず、ファッションに対する意識の差。ブリトニーと違いHikaruは自分の服を着る。「私はそんなハデハデ爆烈衣裳とは無縁だな~(笑)」と彼女は控えめに語る。「私の目に入るのはいつもただ音楽だけ。」 日本では群衆に囲まれてしまう彼女だが、アメリカでは無名の気楽さを味わっている。 「有名になったことを楽しめた試しは一度もなかった」と彼女は言う。 「だから、NYでただぶらっと出掛けて雑貨屋に買物しに行けてるだけでもすんごい肩の荷が下りた気分。最高だわ。(笑) あぁ、やっと人間に戻れた、って感じたもの。大袈裟じゃなく。」
Hikaruはニューヨーク市生まれだが、一時期は東京でも過ごした。 「誰かに、実際の所それぞれどの位ずつ居たの?って訊かれたときも、いっつも"うぅん、わかんない"って答えるしかないんだよね」と彼女はいう。「だって私は両親に、赤ちゃんの頃から今に至るまで両方を行き来させられてきたんだから。」 父のTeruzane Utadaはプロデューサ/ミュージシャンだが、今では彼女のマネージメント会社も営んでいる。母の Keiko Fujiは1970年代人気を博したエンカ(日本のバラード)歌手で、「ささやかな平穏を見つける為」と芸能生活を終え米国へと移住、ファンを落胆させた。(今では彼女は微笑みを湛えながら「もう私は歌わない」と言うだけだ) Hikaruは、両親を追い掛けてスタジオに入り込みレコーディングをし始めた7歳の頃が彼女のスタートだったと語る。(「いや、もっと若かったな!」 彼女の父が傍らから声を上げた) 母のようにHikaruも若くして引退する事を考えていて―28歳位の若さで―、その後多分神経科学の分野を追求するんだとか。「自分が白衣を着て研究室に居るのを想像するんだ。夜遅くまで試験管を前にして働く姿をね」と彼女は言う。(ブリトニー・)スピアーズが自らの将来について同じようなヴィジョンを描くのを想像するのは難しい。
しかし今、Hikaruは大学から退く道を選び(すぐに戻る心積もりではいるようだが)、自らの音楽に焦点を絞りアメリカでのキャリアを築こうとしている。最近では映画「Rush Hour 2」のサウンドトラックに収録されている"Blow My Whistle/ブロウ・マイ・ウィッスル"という曲で歌を披露している。目下米国で最もホットなヒップホップ・プロダクション・ユニット(2人組)ザ・ネプチューンズがプロデュースしたこの曲にはギャングスタ・ラッパー・フォクシー・ブラウンによる見せ場がある。Hikaruによれば、このプロデューサ2人は最初彼女とブラウンが気性やバックグラウンドの違いで衝突してしまうのではと危惧していたんだとか。結局はうまくいったのだが、この、歌にブラウンを起用しようというアイディア自体はファレル(・ウィリアムズ、ネプチューンズの片翼である)からきたとHikaruは語る。「彼が言うにはフォクシーと私は超強力なコンビになれるだろう、と。君達2人は対照的なキャラ なんだから、ってね。クレイジーで露悪的に目の前に迫ってくるようなイル・ナ・ナ(フォクシーのニックネーム)と、もっと落ち着いててちょっと神秘的なアジアン・ガールの取り合わせがいいんだってさ。」
今の音楽業界はステレオタイプに支配されている : 白人はロック、黒人はラップとロートーンのソウルと決まっていて、敢えて人種間の境界線を跨ごうとする者は少ない。米国には目立ったアジアンポップスターが殆ど居ない。(その為、誰かがHikaruをミステリアスだと受けとめても不思議はない) Hikaruはその現状を覆そうと挑んでいる。"Blow My Whistle/ブロウ・マイ・ウィッスル"での彼女の歌声は日本語での歌よりよく響いていて、演奏も更に力強いビートを誇示している。彼女に不安など見当たらない。 : Mary J. Bligeの125thストリート(NYハーレムのメインストリートのこと)-タイプ・ソウルも持っている。最後にちょっとしたエピソードを。クレジットをみると彼女の名は"Hikaru Utada"と記されている-名字を後に書くという西洋の習慣に従って。Hikaruはこの事について次のように語る。「いや、ただ英語のペルソナと日本語のペルソナを分けた方がいいかな、って思っただけ。」 インタビュー後、彼女は追加のeメールを送ってくれた。それは次のような文章で始まっていた。「Hikaru Utadaです (あれ、Utada Hikaruかな、、、まぁ、どっちでもいいじゃん!(笑))」 彼女は今でも昔と変わらず新入生のようにフレッシュなまま。だからこそきっと遣り遂げてくれるだろうと思えた。
WITH REPORTING BY TOKO SEKIGUCHI/TOKYO
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