トシの読書日記

読書備忘録

暴力とフィクション

2016-11-01 15:24:42 | か行の作家



J・M・クッツェー著 土岐恒二訳「夷狄(いてき)を待ちながら」読了



本書は平成15年に集英社文庫より発刊されたものです。いやぁつらい読書でした。今まで読んできたクッツェーとはかなり毛色の違う作品なんで、読むのに難渋しました。意味のよくわからない展開、ちぐはぐな会話、挫折しそうになりながら持ち前の粘り(?)でなんとか読了しました。

例えばこんなところ

<目が覚めると心があまりにも空白なので恐怖心がこみあげてくる。つとめて努力しないと私は時間と空間の中へ――ベッドの中へ、テントの中へ、世界の中へ、東西を指している肉体の中へ、自分を再挿入できない。(中略)私としては、朝になったらテントをたたんでオアシスへ引き返し、民政官の日当りのいい館でこれからの生涯を、この若い女と暮らし、その横に平静な気持ちで眠って、その子供たちに父親の義務をはたしながら、季節が移ろい巡るのを見守って生きて行くなどという図は、一瞬たりとも脳裏にえがきはしない。>


いつの時代ともどこの国とも特定できないところで、主人公の「私」は民政官を努めています。前半はこの「私」のモノローグとでもいうような心情の吐露がえんえんと続きます。もうここで参りましたね。しかし、中盤あたりから「私」が夷狄の娘をその部族に返すために長い旅に出るあたりからやっと面白くなってきますが、最後の方はまた「私」のモノローグに戻ります。


恥ずかしながら自分にはかなり難解な小説でした。解説の言葉を借りるなら


<外部の者が異民族の土地へと侵入し、暴力によってその内部を破壊する、それが「夷狄を待ちながら」全体の枠組みとなっている。(中略)ジョル大佐の拷問と夷狄の娘の負傷によって、彼は帝国のふるう暴力のなかに引きずり込まれてしまう。彼はいわば暴力の目撃者とされ、目撃者である事実から逃れることができない。さらに言えば、読者もまた、その目撃者の一人となるのである。>


ということなんですが…。やっぱり難しいです。


自分の力が及びませんでした。

コメントを投稿