トシの読書日記

読書備忘録

シンクロニシティという概念

2009-07-22 17:56:03 | な行の作家
中島らも「君はフィクション」読了


本屋で何となく手に取ってみました。中島らもを読むのは初めてなんですが、なかなかおもしろかったっすね。12編が収められた短編集です。最初の3作、「山紫館の怪」「君はフィクション」「コルトナの亡霊」、このあたりは、あんまりおもしろくなくて、「中島らもってこんなもんか…」とあきらめかけていたら、次の「DECO-CHIN」あたりからにわかにおもしろくなり、「結婚しようよ」とか「ねたのよい --山口富士夫さまへ--」あたり、ちょっと今まで読んだことのない小説という感じで、かなり没頭して読んでしまいました。


中島らも、恐るべしですな。ってもう亡くなって5年経つんですね。御冥福をお祈り致します。

シニカルなロマンチスト

2009-07-22 17:11:29 | た行の作家
太宰治「おしゃれ童子/走れメロス」読了


以前、「走れメロス」だけ読みたくて買ったこの短編集だったんですが、太宰治マイブームのこの時とばかりに全部読んでみました。


収録作は「燈籠」「満願」「富嶽百景」「葉桜と魔笛」「新樹の言葉」「おしゃれ童子」「駆込み訴え」「走れメロス」「清貧譚」「待つ」「貧の意地」「カチカチ山」の12編です。


どれもなかなかにおもしろかったです。特によかったのは「葉桜と魔笛」「おしゃれ童子」「駆込み訴え」「走れメロス」「待つ」「カチカチ山」あたりですね。

「葉桜と魔笛」の病気の妹に対する姉の愛、そして父。美しいです。「駆込み訴え」のキリストに対するイスカリオテのユダの嫉妬。これも読んでいてさもありなんという感じで、人を充分に納得させるものがあります。そして「走れメロス」。これは説明の必要がないでしょう。最後のところ、メロスがセリヌンティウスに「私を殴ってくれ」と言って殴らせ、またセリヌンティウスもメロスに殴らせるシーンは何度読んでもじーんときます。


この短編集は、本作家の中期の作品ということで、前に読んだ「斜陽」とか「人間失格」あたりとは、かなり趣を異にしています。それほど退廃的な感じもなく、むしろ生き生きとしたイメージの作品すらあります。


太宰の作品をなんだか逆にたどって進んでしまっている感じですが、最後は初期の作品である「晩年」あたりを読んで、マイ太宰ブームを終結させようと思っております。

享楽と退廃の日々

2009-07-22 16:43:16 | ま行の作家
村上龍「限りなく透明に近いブルー」読了



「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのなら、これも読まねば片手落ちとばかりに買ってみました。

言わずと知れた村上龍のデビュー作であり、芥川賞受賞作でもあります。


この間の太宰ではないんですが、これも「うーーーん」とちょっと唸ってしまいました(笑)この作品のテーマというか、意図が見えてこないんですねぇ。内容は、相当どぎついです。もしかしたら、こういった今までにはあり得なかったような小説を書いて、読者と当時の文壇の度肝を抜いてやろうと企んだという実験作なのかも知れません。それならそれで本書を読んだ自分も「あーびっくりしたぁ」と言っていればいいわけで、あと感想もなにもないと言ってしまえばいいんですが、やっぱり、どうもそれだけではないと思うんです。というか、芥川賞を獲るくらいの作品なんですから、まさかそんな訳ないですよね(笑)


主人公であるリュウ(僕)、その恋人のリリー、友人のヨシヤマ、カズオ、オキナワ、レイ子、モコ、ケイといった面々が繰り広げる饗宴。酒とドラッグとセックス。こういった描写が延々と、というかだらだらと続いていきます。昼間も、前の晩の酒とクスリが抜けきらず、朦朧としていて、それを治すためにまたニブロールとか、そういったクスリをがりがりと噛み砕き、そうして夜になるとまた酒、ドラッグ・・・・。ちょっと読んでいてうんざりしました。


そんな中で、主人公であるリュウの時折見せる感覚の鋭さ、見る物、考えることに対するはっとさせる描写がかろうじて本書の魅力ではないかと思います。

この小説の一番最後の部分、そこにその鋭さが集約されている気がします。少し長いですが引用します。


「影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。(中略)これまでずっと、いつだって僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。」



何をしていいかわからない。何をやりたいのかわからない。この閉塞的な状況の毎日の中で、リュウは限りなく透明に近いブルーのガラスのようになりたいと思うわけで、このへんの比喩は具体的には何を指すのかよくはわかりませんが、何らかの希望がきらめいていることは確かだと思います。



蛇足ですが、解説に綿矢りさの名前を見つけ、ちょっと「あの人は今」的な気分を味わってしまいました(笑)