ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

よくぞ作った!こんな映画『太陽の蓋』

2017-07-30 09:31:37 | 映画

 福島のことについちゃ、ずーっともやもや、いらいらが続いてるんだ。今だって毎日大量の汚染水出て、どんどん溜まり続けてんのに、もうみんな、終了、解決済み!なんて気分。下痢便、尻ぬぐいもできぬうちから、さらに、原発再起動で、暴飲暴食進めようって、何考えてんだ。原発は安全だって言いくるめて進めて来た奴らの責任はどうした?

 もやもやの一つは、あの緊急事態時に実際何が起こったのか?とんとわからないこと。なんか、時の政権の対応の拙さが被害を大きくしたみたいな見方が常識になっちまってるけど、本当なのかい?自民党政権だったら、もっと上手く出来たってか?ご冗談でしょ。あんな未曽有、「みぞうゆう」じゃないぜ、「みぞう」、の非常事態、与党も野党もなく挙国一致、この言葉嫌いだけと、ぶち当たらにゃならん時に、そっぽ向いて揚げ足取りに熱中してたんだぜ、自民党。で、その横槍やら背後攻撃が功を奏して、お見事、民主党撃沈!原発事故の責任のかなりの部分をなすり付けて、政権もぎ取ったんだ。自分たちが旗ふりして、進めてきた原発安全神話なのに。

 で、この映画『太陽の蓋』、ここの疑惑にぐいぐい踏み込んでいる。地震発生から津波の襲来、冷却水の電源喪失、原発建屋の爆発、一連の経過を、政府の対応を克明に追うことで、あの時何が起こったのか、何が出来て、何が出来なかったのかを、一人の新聞記者の取材を軸にして描いている。

 ドキュメンタリーじゃなく、フィクションだってところがミソだ。菅直人首相はじめ、官房長官の枝野幸男、副官房長の福山哲郎なんかが実名で登場する、もちろん、役者が演じるわけだ。時々刻々、深まる危機、届かぬ情報の中で後手後手に回る政府。人々の苛立ち焦燥がリアルタイムで伝わって来る。無能で無責任な原子力保安委員会、なんとか企業の手の内で処理しようと、秘密主義で画策する東京電力首脳陣。驚きの場面もあった。政府の危機管理室にはまったくなかった、現場との直通回線が東電本社にはすでにあって、その事実を目前にして呆然とする菅首相とか。

 主として焦点を当てられているのは、菅首相の現場視察と、東電本社に乗り込んでの「撤退は認めぬ!」発言だ。どちらも事後、菅首相の誤った行動として、徹底的にやり玉に挙げられた問題だ。危機管理のど素人、無能なリーダー、マスコミじゃ、「イラ菅」なんて、人格攻撃まで炸裂してた。

 あの大混乱の状況にあって、限られた情報、行違うガセネタの渦中、どんな行動が正しいと言えるのか?いや、菅首相の行動はある意味必然かつ必要なことではなかったか。とりわけ、「撤退は認めぬ!」発言が意味したことの重大さ。事故は偶然が幸いして、日本中が汚染されるという最悪の事態を免れたが、あの発言の瞬間には、日本滅亡の破局が眼前にあったってことを忘れちゃならない。

 これが、この映画の伝えたいことの一つだ。党利党略に目がくらんだ、批判のための批判、揚げ足取りこそ反省して、今一度、当時の状況を理性的に振り返ること、俺たちがやりゃ上手くできた、なんて根拠のない自信から足を洗って、原発事故という怪物にどう対処すればいいのか、真摯に検討しなけりゃ、また、右往左往の二の舞になるだけのことだぜ。なんせ、まだ、原発は日本中あちこちにどでんの鎮座してることだし、仮に原発ゼロを決めたとしても、困難な作業、廃炉が待っている。いや、その先に高レベル廃棄物処理って大妖怪が控えてんだからさ。

 それにしても、観客、年寄りばっか!これどうなってんの?

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする