ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

笑いは取れたか?菜の花座『不幸せくらべ』

2015-12-24 14:48:55 | 演劇

 価値の基準は一つじゃない。人間なんかその典型で、偏差値とか学歴、身長とか体脂肪率、給料や資産、恋人いるかいないか、もて系か非もてか、肉食系か草食系か、・・・どこまで行っても切りないけど、そんな単純な針の振れ方で測れるもんじゃない。良かった!これがスポーツとか競技となってくると話しは別で、記録なんていう、もう身も蓋もない数字そのもので、人の価値は示される。辛いところだ!

 じゃ、演劇はどうか?どっちかって言えば、価値複雑怪奇系なんじゃないかな。面白いとか、感動的かとか基準を取り上げることはできるけど、それでずはずばと振り分けるのには無理がある。だいたい、面白いそのものが、複雑怪奇だし、感動的なんかになると人それぞれ、乗せるべき秤もなければ、当てて役立つ定規もない。だからって、演劇の価値不可知論とか相対論に行き着くつもりはないし、それをもって菜の花座の芝居を弁明しよううなどと姑息なたくらみも持ってはいない。優れたものはあるし、つまらぬ舞台も当然ある。それでも、曖昧は曖昧だ。

 だから、アマチュアの下手な芝居もそこそこ続けていられるってもんなんだが、『不幸せくらべ』、敢えて、絶対価値に身をゆだねて芝居を作った。笑いだ。これはもう分かり易い。簡単な機械でだって測定可能だ。だって、観客が笑うかどうか、それしかないからだ。いつものように、コミカル人情劇なんて、曖昧な逃げは打たない。笑いが取れなきゃ失敗!もう、お笑い選手権の緊張感で取り組んだ。

 て、ことで、いよいよ、本題だ。おおっぴらに見えきった「笑いで勝負」、結果の方は、中日まで2勝6敗、終盤戦、盛り返して6連勝、で千秋楽は負け。ってことで、8勝7敗で辛うじて勝ち越し!と踏んでみたんだが、どうだろう?ともかく、前半は手応え薄。ここ、笑い!って予期した部分でも、笑い散発、もしかしてさくらかも?って有様で終始した。特に、若手が笑いを取れない。いやいや、役者の所為にしてはいけない。若手に振ったギャグが不発だったって言うべきだろう。僕としては、このネタぜったい!面白い!って気合い入れて書いたシーンもしょぼんだった。

 正直、休憩前には、ダメだ!終わった!敗戦の弁はいかに?なんて、どよーんと椅子に沈み込んでいた。ところが、休憩直前辺りから、やけに客席がにぎわしくなっていった。そして、クライマックスの不幸せくらべシーンは爆笑!爆笑!大爆笑!キターッ笑いの大波小波がどどーっと。なんか、客席が暖まるのを待っていたかのような、一気の盛り上がり方だった。

 そうか、笑いってこういう風に襲ってくるものなんだ。一度臨界点を越えると、次々と連鎖反応で笑いが巻き起こってくる、そういうものなんだ。たしかに、後半のギャグには自信があった。笑えるはずだって思っていた。でも、前半と、かくも段違いなんてことはない。ということは、笑いってヤツには、沸点てもんがあって、それまで温まってきて、その温度を超えると一気に吹きこぼれる、そういう性質のものなんだってことを理解した。

 だから、前半のしょぼさも、決してすべってばかりいたわけじゃなく、そこそこにジャブやボディブローとして効いていたってことなんじゃないだろうか。じわじわと高まっていった笑い袋が、後半一気に破れ飛んだってことなんだろう。そうか、相撲の星取になぞらえるより、ボクシングの採点に喩えるべきだったんだ。

 しかし、堰を切るきっかけってものはあったわけだから、そのギャグが観客の笑い袋をどうくすぐったのかは、十分に検討しなくちゃいけない。同じくかすったジャブにとどまったギャグについてもしっかり見直してみる必要がある。で、最初のつもりでは、その笑いの考察を提出するつもりだったんだが、もうすでにブログの限界容量は超えてしまった。ということで、『不幸せくらべ』に見る笑いの省察はまた次回。しめしめ、もう1回書けるぞ、このネタで。

コメント
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