ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

性格って生まれつき?間借り猫昨今

2015-12-14 08:06:45 | 暮らし

 氏より育ち、人間いっくら素性がいいったって、育つ環境が厳しければ、ひねくれ者になる、まっ、これが世間一般のジョーシキってやつだろう。幼児虐待をしてしまう若い親たちの多くが、自身親からの暴力にさらされて育ったなんて、よく聞く話だもの。つまり、性格の環境決定論てことだ。

 まして、猫なんて!

 ぬくぬく甘やかされて育てられた飼い猫と、日々飢え終日びくびくと外敵の存在におびえる野良猫じゃ、性格の違いは歴然だろうって想像がつく。野良は野良でも、幼児期親に捨てられ孤立無援の中で生き延びたとあっては、周囲は全部敵!常に警戒のまなざしを配りつつ、警戒心と敵愾心で体中の毛という毛を総毛立てて暮らしているに違いない。

 だから、我が家の間借り猫も、まっ、なつかないのは仕方ないこと、親に置いてけぼりをくらい、縁もゆかりもない他人様の小屋で戦々恐々、周囲を伺いつつ暮らしているわけだから。エサはもらっても、人が見ていれば決して姿を現さない。たまに出会えば、慌てて逃げ隠れる。育ちが育ちだからなぁ、同情するよ。

 なんて、つかず離れずの関係を保っていたのは、半年ほど、今じゃ、食事時間が近づけばニャアニャア泣いて催促するし、エサをやっても、食べるよりもまずご挨拶、すり寄ってきては身体を押しつけ続ける。手を出せば舐めるし、びくっとはするものの、抱かれることも我慢する。いや、今じゃ、なでなでしてもらうのを心待ちにしている。なんと、変わるものじゃないか!

 別に特別なつかせようと手練手管を使ったわけじゃない。お互い距離は保ちつつ、大人の付き合いを心がけてきた。接する時間といえば、エサやりの数分間だけのことだ。それ以上の付き合いは一切持たなかった。なのに、このなれなれしさはどうしたことか?あの幼児期のぴりぴりとした警戒心はどこへ行ったのだ?不敵な一匹野良ではなかったのか?

 根っからの性格、甘えん坊の人恋しい心を持っつ猫なんだなぁ。しかも、その性格は過酷な生育環境に置かれてもいささかも変質することがなかったってことだ。うーん、性格も天性のものなのか?!持って生まれたものなんだ!

 猫がそうなら、人間だって? こりゃ、人間観、変わるぞ!漠然と信じてきた性格後天性説、根こそぎ崩壊だ。僕のあまり好きでない性格も親譲りってことなのか?うーん、これ、なんとも微妙だなぁ。

 おっと、いくら舐めたって、すり寄ったって、小屋間借りの身分からは絶対昇格させたりはしないんだからな。

コメント
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