ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

事実を表現することの難しさ

2011-09-02 00:20:31 | 地域文化

 まただよ、二位惜敗。農業クラブ東北大会。なんか癖になりつつあるなぁ。

 今度はしっかり勝って長崎の全国大会へ、って思ったんだけど、叶わなかった。

 でも、まあ、勝った学校も素晴らしい活動と見事なプレゼンだったから、不平不満はないけど。

 勝負を分けた要因は二つ。大きいのは今年に入ってからの活動の密度の差だ。相手の福島明成は震災で出遅れたものの、精一杯花一杯運動やったのに対して、紅大豆本舗はお弁当プロジェクトとたんぽぽプロジェクトの二本立てだったからね。しかも、今回の発表ではお婆ちゃんとお弁当の方は一切封印したからどうしても今年度の活動が薄手になった。まっ、仕方ない。お弁当プロジェクトはそれはそれで今年度の県大会突破用に取っておきたかったので。

 もう一つはスライド作りの技術かな。こっちはやっぱりやっつけ仕事の感はあったものな。なんたって演劇部大会用の台本書きと重なったから。

 ということで、生徒はおおいに残念がっていたが、僕としては、まっ、そうかな、ってところだ。ただ、惜敗癖は今回でお終いにしないとね。

 さて、他の置農の成績は、意見発表環境の部で最優秀。お見事!三年連続の全国最優秀にまずは一歩大きく踏み出したってことだ。も一人の意見発表、文化生活の部は残念ながら第3位。うーん、良かったんだけどなあ、演劇部の経験を盛り込んだ発表で。

 意見発表では当然のこと、震災からみの発表が目立った。停電で搾乳機が使えず、20頭の乳牛を手絞りした酪農家の息子とか、ヘドロ除去のボランティアに行った経験とか、原発で学校そのものがばらばらなってしまった生徒など、聞いていて胸つまされる話が多かった。

でも、そんな凄まじい経験を聞きながら、何か言葉や表現が上滑りしていくのを感じたのも事実だ。

 彼等一人一人が遭遇した衝撃は間違いなく本物なのだけど、それをいざ伝えるとなるとそれはまた別の局面なんだ。つまり、伝えるべき濃~い経験をしたとしても、それを偽り無く伝えられるかどうかは別のことってことだ。当然って言えば当然なんだ。人は事実の重さにひれ伏す。ても、それが表現行為としてあらわれる時、事実の重さは逆に足かせになる。事実の前でどんな言葉も表現行為もすくんでしまうからだ。今回の高校生は果敢にその難題に挑戦した。ただ、残念ながら現実は彼等の表現の力量を超えていた、ってこういうことなんだろう。

 振り返って、置農演劇部の『漂流』はどうなのか。まさに僕も含めて演劇部の表現者としての力が問われてるってことだ。圧倒的な喪失感、膨大な悲しみに拮抗することなど出来るはずもない。とすれば、目指すのはそれらしい嘘に堕さぬこと。真実の一片でもつかめるよう感覚を研ぎ澄ませていくしかないだろう。技量を超えた集中・同化、その演技への還流、困難な作業がいよいよ始まる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする