たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Don't let the world win!2

2011-12-19 03:24:15 | Weblog
 科学はディフェンスである、と言われることがあるらしい。
 この言葉の意味は、何かを発表するとき、何かを紹介するとき、その理論や考え方を理解するときに、流れの中で、部分部分で疑われて、その説明が完備では無いんじゃないかと言われないために、守っていかないといけない、っということだ。つまり、怖い怖いツッコミ(オフェンス)に対して、準備をしておかないといけないよ、ってこと。

 この見地に立った時、ディフェンス力とオフェンス力は、それぞれ異質なものだと思う。
 色々な角度からのオフェンスに耐えられるような準備をすることと、あらゆるディフェンスをしている理論にオフェンスする突破力と、やっぱり、明らかに違う。よく、発表の場で、適切なツッコミをすることが得意な人が、自分の発表になるとなんとなく弱く観えることは、よくあることだと思う(ちなみに、俺はこのタイプかな)。
 多くの日本人は、自分がディフェンスするときにオフェンスされたくないから、他の人をオフェンスしない、とか、考えるんだけど、まぁ、それはそれで、結構、理にかなっている。俺は、オフェンスされたくないけど、違う理由から、他の人をオフェンスしまくったりもするけどね。
 最低限のディフェンスすらちゃんとできてないのに、オフェンスしまくるバカもいるけど、こういうのは、どういう神経をしてるんだろう、って普通に疑問に思う。この辺りが、俺がよく言ってる、正しいことを言ってりゃイイわけじゃねーから、の導入部分かな。もちろん、信頼関係があるんなら別だけど。

 ただ、やっぱり、この、科学はディフェンスである、という言葉が飲み込めない部分がある。
 多くのスゴイ研究者の方達はそう思っているけど、俺には≪いや、科学は、オフェンスでしょ。攻撃しまくらないと。≫っと言っていた悪友の言葉のが、どこか納得できるのだ。

 ディフェンス、ってのは、言葉を換えれば、ただのイイワケだ。そして、そういうイイワケの中だと、我々が正しいと納得するラインが下がる。何が正しいかが曖昧になる瞬間が、化学や生物の場合、とても多いように、俺は感じている。
 物理学は、かなり、実験と理論の値が一致するし、やっぱり真空状態や流動性が少ない物性ってのは、つまらないぶん、それだけ簡単なのだと思う。一方の化学や生物学の場合、分野にも依るんだろうけど、いろいろ理由をつけて、理論とあわない言い訳をすることが多いのだ。

 どうせ、そうなんだったら、もうちょっと、発想を変えてみた方がイイかも。どうせ、何が正しいかが曖昧になって、定性的にしか理解できないんだったら、思い切って、オフェンスしてしまう方が、色々なことが分かってくるのかも?!

 攻撃は最大の防御。
 この言葉を忘れてるよね。もちろん、科学の場合、それなりのネタと、それなりの自己無頓着性が重要になるけど。

 科学に限らず、オフェンス主体だと、滑稽だ。
 歌を唄うんだって、音やリズムについて、文句を言われないように、ディフェンスしながら唄ったほうが無難だし、誰かを仲間にする時だって、色々イイワケや大義名分を考えてディフェンスしたほうが自然。ディフェンス主体で行動する方が、攻撃された時にいくらでも言いかえせるから、世間体は良い。
 だけど、大きな成功はしないし、ホンモノなんて、そんなんじゃ、絶対、掴めない。

 多少、滑稽になってしまうリスクを冒しても、オフェンスは最大のディフェンス、だと考えて、世間を気にせず、自分の気持ちに素直になってみたら、意外と実質的にもSelf-Consistentで、素晴らしいモノに仕上がるのかもしれない。

 素直になることに勇気が持てれば、一般から脱せるのかもね。
 一縷の望みがあるってことっ。だから、世間なんかに負けるな!
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