たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ホンモノにとって毒物なもの

2011-12-29 03:09:13 | Weblog
 (昨日の続きから)
 例えば、昨日紹介した、エネルギーを得る3つの方法を細部までよく知っているっていうのは、賢いことだと思う。

 何か即物的な言葉を得ること(グランドカノニカル)を目指して、その過程を踏むことによって、何かの本当の能力を掴もうとしたりもするだろう。
 魅力溢れる、いかにもみんなが好きそうな人を傍におくことによって(カノニカル)、自分も頑張るかも?、って期待することもある。
 さらに、とても上下関係などが厳しい世界に身を置くことによって(系そのものの空間的な寄与)、自分を高める人もいると思う。

 目指すは、どれも、ホンモノだ。ホンモノの能力を得たい、ホンモノの結果をみたい、ホンモノの関係を築きたい。実質的では無く精神的な素晴らしさを望んでいる。
 そのために、自分自身をよく知って、これらの賢い即物的な手法を、どの系にも、、本当にどの系にも適用させようとして、不器用になってしまうことは、もしかしたら、ありふれているのかもしれない。

 でもね、本当にここ最近想うことだけど、ホンモノに対しては賢く無難なイイワケや手法を付加させ続けてはいけない、ってこと肝に銘じておきたいと思う。それは、俺が、はもちろん、お互いに、みんなも。

 ホンモノになるかどうかに、即物的な賢さは一切寄与していない。賢くなくてもホンモノになることはいくらでもある。

 ただ、だからって、聡明ではなく即物的に賢くなったり、目的もよく考えずにとにかく努力することは無駄じゃない。
 ホンモノになった後に、即物的な賢さに依存して、そのレベルが異なってくるからだ。

 っま、でもでも、結果主義のお利口さんにとって、結果にならないんじゃダメなんじゃない?、よーわ、まずはホンモノにならなきゃ、意味が無いんじゃないの?

 まだ間に合うなら、今出来ることを考えるところから始めないとね。
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