たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

価値観を受け入れる度量

2011-12-17 00:39:15 | Weblog
 自分の価値観を他人に押し付けず、他人の価値観を認められるようになろう。
 …っという言葉は、矛盾している。その価値観を、いままさに、俺に押し付けてるじゃん。

 芸術の世界は、いかに他人に自分の価値観を押し付けるか?だと思うけど、俺は割とこの価値観に対する価値観が好き。だって、他人の価値観を認める、って言えば、聞こえはいいかもしれないけど、どこか突っぱねてる感じがする。よくよく考えてみると、冷たいよね。
 だから、相手の価値観を受け入れる容量を広げながらも、価値観を押し付け合えるような関係を望んでいる。これをするためには、当然、その奥にある信頼や想いが無いと出来ないけど、そうじゃないんだったら、意味無い気がして。

 ≪だから、結局、この公式を覚えればイイわけでしょ?≫
 『違うって。そういう風にしちゃ、ちゃんと理解できてないでしょ。』
 ≪だって、じゃー、どこを覚えればイイの??≫
 『しいていうなら、全部。』
 ≪全部?!≫
 『覚えて当てはめる、ってだけの視点だとしたら、話全部覚えないんだったら、どんな問題も結局解けないと思う。範囲が広いわけだから。』

 何が、大事かを、考えてみるべきだと思う。
 種々の系について、きちんと理解し、考究し、あくなき探求をすることが、必ずしも、素晴らしいことではない。だって、それじゃあ、いつまでたっても満足できなくって、案外、その辺に楽しさが転がっているのに、見過ごしてしまうんだとしたら、もったいないじゃん。

 もちろん、ちゃんと物理系を理解することは楽しい、と、多くの場合、俺は想っている。だけど、それによって、もし、どっかで楽しくなくなってしまうんだとしたら、やらないほうが良かったりすることもある。正しさなんて、ホントのホントは、全然、誰も、わからないんだし。

 さぁ、どっちをとる?もしくは、どっちもとれるような道を見出すことができる??

 『うーん、だから、そういうときは、電話して欲しかったかな、って。メールだけって、ちょっと。。』
 「あー。だって、普段、電話しないから、そもそも、その選択肢がないんよ。」
 『えー、そうですかぁ。。』
 「じゃぁー、今度からは、そういうときは、電話するようにするね。」

 っと、たとえ口先だけだったとしても、そう言えることが素晴らしいし、容量が大きい。
 まだまだ、全然、俺は、容量が足りないな、って思う。相手に受け入れてもらってばっかで。もっと、価値観を受け入れられるようになりたい。

 そして、即物的には、価値観を押し付け合えたなら、イ、、くもないかっ(笑)
 疲れちゃうもん、それがずっと続くんだとしたらね。
コメント
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