最近、外出用に使っているイヤホンの、耳に装着する部分が、パカパカ外れる。実際、何度か床に転がり、危うく無くすかもってこともあった。
まったく。上手い戦略だな。
だって、音が聞こえないわけじゃないから、修理に出すと、音楽から離れなきゃいけない分、損だし、かといって、いつ無くすかわからない。一部分を無くせば、いくら保障期間中でも、修理代は無料ではないだろう。価格も1900円ほどっと微妙なもん。最近、一番安いモノで、1000円を切ってる中、壊れにくいだろうっと、ちょいだけ高めのモノを買ったら、これかよ。
俺が経営者側だったら、この戦略を思いついた社員を、昇給させるだろう。素晴らしい微妙な加減だ。
でも、仕事(学校)とプライベートは別。あんまり、そういう汚いことをしたくないときのが、当然、多い。
ヒトは手に届きやすいモノを選びたくなるようにできている。だからって、掴みやすい、つまりは価格が低いモノを選ぶとサイテーってーのも、わかってる。だから、価格と価値を関数として、変分計算を行うのだ(価格と価値をリスクとベネフィットで駆け引きして、中間点を探す)。
きっと、それが賢いんだ、って教えるような教育が、一般的になってしまっている。それは、「利口だけど聡明じゃない。」。つまり、現象として、傍から見ると愚かではないけど、自分自身が、納得できにくくなってしまう。
「弱虫!並で良いんだったら、もぅ仕方ないっ、どうぞ切り捨てて。だけど、手ごたえのある結果が欲しいなら、努力してっ。その価値はあるはずっ!」
価格と価値を駆け引き計算しろ、なんて、ホントは言いたくもないんだよね。そんなんじゃなくって、せめて大切なフィールドの中では、もっと、、ホンモノを信じていたい、たとえ、自分自身は、今、掴めていなくても。
何か、どデカい大きな事態の前には、いつも、こう思う。『これが終わったら、死んでもイイ』
それが成功しても、失敗しても、次の日、朝起きると、周りが、なーんにも変わっていないことに、ビックリする。どうして、世界は終わったはずなのに、こんなにも、何事もなかったかのように、日々は続いていくのだろう?って。理解できないな。あ、みんな知らねーんだ、世界が終ったってことを。。(日本語にすると、過激だな…)
それと同じような、終わってしまったら、失ってしまったら、世界は終わりだって思うほどの、ホンモノを、信じ続けたい。
確かに割と長い時間、世界は終わったって思ったりするけど、だけど、たいてい、その先に、どこか不価値さを探して、見出して、そこを理由に、ホンモノでなかったと、言い分ける。
今後も、そんなんじゃ、ダメなんだよね。
だから、、だから、実習の進路決めの時間のとき、『たいした夢がないヤツは、第一希望は、とりあえず、東大にしろ。試験で点数さえとりゃ、下剋上できるもんなんて、そうそうねーぞ。』と繰り返していたのかもしれない。
努力すれば手に入れられるモノ、しかも人に迷惑がかからないなら、実質的な価値だけでも、掴んだほうが得だし、そこから悩めばイイから。
実質的で、仕事上のモノのほうが、こーやって割り切れるから、ラク。計算が正しいだけ、ラク。
大切なことにまで駆け引き計算し始めて、何も感じないロボットみたいに、どんどんなっていって、しかも、それが大人に見えたりもするけど、でも、まだまだ、そんな風には、なりたくないな。。
だって、おとぎ話やよくあるストーリーの、言葉の表面上だけをさらって、その言葉に操られて、翻弄されて、束縛されて、決定を急ぎたくはないから。
それをロマンチックとは言わない。
まったく。上手い戦略だな。
だって、音が聞こえないわけじゃないから、修理に出すと、音楽から離れなきゃいけない分、損だし、かといって、いつ無くすかわからない。一部分を無くせば、いくら保障期間中でも、修理代は無料ではないだろう。価格も1900円ほどっと微妙なもん。最近、一番安いモノで、1000円を切ってる中、壊れにくいだろうっと、ちょいだけ高めのモノを買ったら、これかよ。
俺が経営者側だったら、この戦略を思いついた社員を、昇給させるだろう。素晴らしい微妙な加減だ。
でも、仕事(学校)とプライベートは別。あんまり、そういう汚いことをしたくないときのが、当然、多い。
ヒトは手に届きやすいモノを選びたくなるようにできている。だからって、掴みやすい、つまりは価格が低いモノを選ぶとサイテーってーのも、わかってる。だから、価格と価値を関数として、変分計算を行うのだ(価格と価値をリスクとベネフィットで駆け引きして、中間点を探す)。
きっと、それが賢いんだ、って教えるような教育が、一般的になってしまっている。それは、「利口だけど聡明じゃない。」。つまり、現象として、傍から見ると愚かではないけど、自分自身が、納得できにくくなってしまう。
「弱虫!並で良いんだったら、もぅ仕方ないっ、どうぞ切り捨てて。だけど、手ごたえのある結果が欲しいなら、努力してっ。その価値はあるはずっ!」
価格と価値を駆け引き計算しろ、なんて、ホントは言いたくもないんだよね。そんなんじゃなくって、せめて大切なフィールドの中では、もっと、、ホンモノを信じていたい、たとえ、自分自身は、今、掴めていなくても。
何か、どデカい大きな事態の前には、いつも、こう思う。『これが終わったら、死んでもイイ』
それが成功しても、失敗しても、次の日、朝起きると、周りが、なーんにも変わっていないことに、ビックリする。どうして、世界は終わったはずなのに、こんなにも、何事もなかったかのように、日々は続いていくのだろう?って。理解できないな。あ、みんな知らねーんだ、世界が終ったってことを。。(日本語にすると、過激だな…)
それと同じような、終わってしまったら、失ってしまったら、世界は終わりだって思うほどの、ホンモノを、信じ続けたい。
確かに割と長い時間、世界は終わったって思ったりするけど、だけど、たいてい、その先に、どこか不価値さを探して、見出して、そこを理由に、ホンモノでなかったと、言い分ける。
今後も、そんなんじゃ、ダメなんだよね。
だから、、だから、実習の進路決めの時間のとき、『たいした夢がないヤツは、第一希望は、とりあえず、東大にしろ。試験で点数さえとりゃ、下剋上できるもんなんて、そうそうねーぞ。』と繰り返していたのかもしれない。
努力すれば手に入れられるモノ、しかも人に迷惑がかからないなら、実質的な価値だけでも、掴んだほうが得だし、そこから悩めばイイから。
実質的で、仕事上のモノのほうが、こーやって割り切れるから、ラク。計算が正しいだけ、ラク。
大切なことにまで駆け引き計算し始めて、何も感じないロボットみたいに、どんどんなっていって、しかも、それが大人に見えたりもするけど、でも、まだまだ、そんな風には、なりたくないな。。
だって、おとぎ話やよくあるストーリーの、言葉の表面上だけをさらって、その言葉に操られて、翻弄されて、束縛されて、決定を急ぎたくはないから。
それをロマンチックとは言わない。