たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

La ligne Maginot

2016-08-05 01:54:18 | Weblog
 世間体を身につけようとすると、実力が身につかない。
 夢を掲げ続けながら実力を高めたいのであれば、世間や多くの人から指差されて笑われても大丈夫なくらいに、まずは、自分の想いを屈強にしておかなくてはいけない。

 本来というか、事実はこれなのだが、多くの人は、世間体と実力を両方得ながら、つらいのは今だけで、未来には夢を持って生きていけると思っている。

 例えば、俺のもとには、もっと社会的に成功してから意見を言った方が良い、と人生の先輩面をしながらアドバイスをしてくる厄介者が定期的に現れる。こういうヤツは、もっともウザイし、たちが悪い。自分の方が明らかに頭がいいと思っている時点で俺の前から消えてくれればいいのに、いい人のスタンスを出しながら俺を利用してくるからだ。
 世間的に成功しようと政治力学の作用反作用を考えることだけに注力した時点で、自分の意見は失われる。自分が権威になったときに、この失われた部分を認識しながら、自分の本来の意見を上手く抽出し、それだけを言うことは成功者のうち1%もできないだろう。過去の一点から現在までの履歴についての自分をスパイとして否定しながら、スパイとしての成功後に、過去の一点以前の本来の自分の意見だけを宣言することは超絶的に難しい。というより、原理的に不可能だと言っても過言ではない。

 世間体を得ようと思った時点で、本当の実力をつけることもできないし、ホンモノの関係を得ることも不可能なのである。
 全世界を敵に回しても君のことを愛している、と言えてしまう、幼くも純粋な気概は、そこまで間違ってはいないのだ。

 前提として、何をするにしても、未来への想像力を高めることは重要である。
 自分の複数の理想が原理的に実現可能かどうかを思案し、それらに折り合いを付けていかなくては、たとえ政治力学に終始し、権威を得た後に実力をつけるのだ!と常に考えていただけの人生を目指すのであったとしても難しい。この部分をきちんと考えていないから、不倫とかが流行るわけで。。本命に世間体的要素を求めながら浮気相手に心の繋がりを求めたり、具現化されるはずのない未来をその逆に押し込めてみたりする。

 まぁ、だってさ、自然科学の研究で例えれば、誤差論知らないヤツが書いてるのが大半なのに、論文出すことに信仰を捧げているのって、よくよく考えてみると、超危ういでしょ?何かで名を馳せたいと思っても、現在のシステムの中で無難に最高に評価されたいと考えているくらいに、皆、怠惰なのだ。
 こういう本末転倒さは、実力と政治力学は等価交換が可能だという発想をベースにしているわけで、そんなわけないのにね。生きていくために、ということを超えて、そこに一生懸命になるなら、その、難攻不落だと信じている要塞の欠陥を見つけたら、きちんと直面して真っ先に改善しなくちゃいけないのに、政治力学に注力するようなやる気のない連中は、道徳や哲学は何も役に立たないモノの代名詞として切り捨ててしまうから、そういうことにも気が回らない。

 それは、権力者が無駄に反権力でありながら、これを兼任する責任者たちが、いかに自分が責任を取らないか?、ということしか考えられないくらいのクズだからである。

 この部分を変えるためには、、打開するためには、、まぁ、確かに、、全世界を敵に回しても、2人で逃げ出すくらいしか、解決策が思いつかないかもなぁ笑
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