たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

孤高のプライドから集団進化の楽しさへ

2013-04-04 00:53:29 | Weblog
 プライドの高さを決定づけているモノは、その人が持っている「言葉」だ。
 だから、能力以上の「言葉(時間によって確実に得られてしまう言葉も含む)」を得てはいけない。「言葉」ではなくガチの能力で他人は評価してくるから、プライドだけは高い、というような批判が蔓延してしまう可能性がある。
 そのような蔓延を帯びている集団は、成長しないし、結果を出せないし、信頼関係を築けないし、楽しくない。負のスパイラル。

 肩書きが欲しいだけなら、今すぐ手を引く方が、コスパー良いんだぜ?
 ある期間だけ我慢、っとイイワケをする人が多いけど、そんな成長の仕方をしていて、いつ本質が始まるのだろうか。本質を始める頃には、何も能力がついていなくて、何をしたらいいのかわからず、何もできないから、言葉を持っていない人をバカにしたりいじめたりするのが関の山。そんなの、なんて徳の低いスタンスなのだろう、俺は絶対にイヤだ。

 かといって、そうなりかけている個人や集団に対して、理想論だけ押し付けていても仕方ないので、できることから、徐々に変化させていくように働きかけるべきだ。
 あえて自分の駄目な部分の言葉を露呈させながら目立ってみたり、相手が誤魔化している部分をオフェンスするかのような喋り方をしたり、とにかく「ナニクソ!」っと思ってくれたらイイんだと思う。さらに、誰だって褒められたいのだから、相手のイイ部分を引き出しながら、のバランスが大切。

 それは全体を活性化させることになると思っているけど、こういうことも考えながら、絶対的な論理性を高めなきゃいけないのは、至難の業だ。

 『だってさ、いくらなんでも俺にも限度があるし、現実的にオカシイこと言ってるんだから、何やってんのかなーって思っちゃうじゃん。』
 ≪それはしょうがないですよ。ヒトにはプライドってもんがありますし、そういう、明らかにオカシイことでも、自分にイイワケをして、思い込むことを繰り返しながら、自分を誤魔化して、プライドを構築しないと、生きていられないんですよ、きっと。≫

 『そう、そこ。そこが問題なんですよ。ヒトは、いつまで、変われるのか?、ってね。』
 「いつまででも変われるよ、きっと。その気持ちが本人にあればね。」

 履歴に依存しないことが生命らしさの一つの側面、つまり、時間に依存しないことこそホンモノ、だと俺は想っているから、俺自身と俺が信頼している人達が、習慣や風習に依らず、単に、優しさに秀で、正しく能力を追究していくことを期待している。

 そして、そういう時間を共有することこそが生命(進化)の本質であり、生きていることの状態を特質的に表わす物理量「楽しさ」なのだと思う。
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