たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

思考の体力をつけよう

2012-08-22 02:08:14 | Weblog
 AならばB。AだからB。BはAより成り立つ。
 自然科学はこれらの論理的思考によって形成を保っている。だから研究者は論理力を高めなきゃいけないんだけど、ただ高級なA→Bをやってるだけならただの知識の域を出ない。このA→Bを、逆を考えることも含め、何ステップ踏めるか、が実力を測る上でのひとつの指標となる。

 理系なら4ステップ、文系なら3ステップくらいは、最低でも持っていて欲しいよね。ちなみに、高校生以上ならその人の所属を問わないし、学問だけに限定した話じゃない。
 知識をバラバラにして覚えていたり、受験勉強の弊害からか(という言い方は俺は普段しない。受験自体が悪いんじゃなくって、受験対策している予備校やテクニック、そしてそれらをバカの一つ覚えのように受け入れてきた人が悪い。)、ワンステップでパブロフ効果のようにパサパサ話を展開しようとする人は、記憶という面では優秀であるのかもしれないが、そんなんじゃ新しい発想は出てこない。

 っていうか、理想を言うなら、思いつく限りは、ずーっと、ステップを踏めるくらいじゃなきゃダメ(とにかく、思考を停止させない!)。
 こういうことがどれだけできるか?の指標としての、いわば「思考の体力」をつけていかなきゃだよね。

 まー、これだけじゃなくって、ややっこしいのは、誰かが思考の体力を使って創った「お話」をフルに覚えている人もいる。これもただの暗記だから、こういうのも頼り過ぎてはダメ。
 例えば、この完成された「お話」を他人に対して問答法で伝えることはできない。そのストーリーに沿わない限りは認めない、ってのは無茶だ。だって、あなたは覚えているけど他人は覚えていないのだから。なのに、試験で穴埋めを使う出題者の中で、単に「お話」しか覚えていなく、思考の体力について無頓着な大学教員も多い。
 っていうか、あなたもこの内容を覚えてしかいないでしょ?、沢山ある試験範囲の中でここだけ抽出してきて、そんなの公平なの?、ってかなり多くの先生方に発言してきた気もするしね(もちろん、この時期が必要、こういうことも必要なこともある、というのは認める。だけど、遅くとも高校生までで卒業すべきだろう。日本はアイディアで勝負しなきゃいけないのに、大人がこんなことをずっとしていてはいけない。)。

 この「お話」を覚えているだけで、「理解」なんて言葉を使ってはいけない。
 理解ってのは、複数の「お話」を自分で組み合わせたり、自分なりの言葉を使えたり、自分でお話を構成できるだけの力があって、初めて理解と言えるのだと思う。
 だから、「これ1冊で○○学は理解できますー」なんて言ってる人は、ありえない。ただ覚えているだけでしょ?最低でも2冊は必要で、同様の箇所を読みこんだり、コンセンサスをとりあったり、一方を否定したりして、自分のものにしていくのが本当のやり方。

 A→Bが確約されるならまだイイ。この矢印が確率的であっても、思考の体力を使って考え続けなきゃいけないし、確率を加味しながら別の方向性も考えて、樹形図みたいなんを創れた時に、初めて未来が予測できるし、系を掌握できる(それをするため情報が必要だから、基本的に人生は情報戦なのだと思う)。
 そういう意味で、俺は、理論は実験(実行)に先立つ、と考えている。

 これが人間に内在する、外部とのやり取りに直接的に作用する部分の半分。「頭」だけの世界。
 これとは別に、「心」もあって、違う系で成り立っているから、それだけでもヒトって面白い。
コメント
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