たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

こなしてる感と守ってる感

2012-08-20 01:35:09 | Weblog
 勝ち負けを気にしない人なんていない!、と言っても過言ではないと思う。
 どんなに気にしていなく観えたとしても、他人と比べてどこかの勝負では勝っていたい、って思っているのが多いし、そっちのが自然だ。

 その負けたくない勝負について、誰かのためにリスクを冒せるときに、初めて、「助ける」とか「守る」とかそういう言葉が使えるんだと思う。そうじゃない限りは、「こなしてる」。
 言葉は大きく違う印象を受けるけど、「助ける」のと「こなす」のとは、根源的には同じものであるべきだ。よーわ、「こなす」程度で大多数の人間にとって有益に作用させるほどの能力がなければ、いざというときに「助ける」ことなんてできないから。

 指を鳴らす程度、片手間にこなす程度で、心が澄んでる誰かの何かの役に立てるなら、いつだって喜んで行うくらいの心の余裕を持っていたいよね。実際、その作業の最中でも学習することは沢山あるし、その学習されたことをガチの系に活かせれば、と考えている。
 ほんのちょっと笑顔で褒めながら話してみたら、ちょこっと自分の負けを認められたなら、たった少し手を差し伸べるだけで、ものすごく助かるんだとしたら、そのコスパーは半端無く良い。

 ただ頑張る、なんてきっとダメ。人生は情報戦だ。その情報の中から、一番コスパーの良いモノを選びだして、そこに対して全力を尽くして努力する。短い人生、それしか手段は無いと思ってきた。
 でも、ここへ来て、それ以外の方法もきちんと存在していることを知ることができた。本気で想いの容量が大きく、その心が優しさで溢れると、目の前のことにきちんと一生懸命になっていさえいれば、結局は一番イイ道を通ってこれるのかも、っと終に信じ切ることができるかも?

 もちろん、ラッキーとか、ついてないとか、そういうのはある。でも、あれほどの能力と可能性と助ける感に溢れていれば、ただのラッキーで片づけるわけにはいかない。
 まだまだ、知らなきゃいけないセオリーが沢山あるんだなって思う。改良の余地はあれど、ついに、俺が高校の頃から知ってる最高の助け方を超える手法の一端に出会えているのかもしれない。

 まぁ、かといって、すぐに使えるはずもなく、理論が開拓しきっていないから、使用するわけにはいかない。
 今できることをとにかく考えて、今の系に貢献していくこと以外、術は無い。

 そして、どんなに間接的であろうとも、多くの関数fを介しながらも、今、ちょこっとでも変化させられることを良い方向へ導けたらと思うところもある。

 そういったことができるかできないかこそが、俺の一番気にする、勝ち負け。

 いつまでも守られていてはいけない。
 そんな中でも、搾取させないように、守りかえさなきゃね。
コメント
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